縁
ズズズーーッ
ラーメンをすする音が、店の中に響く。それは一つだけだった。灰色の壁と床、そしてあまり明るくない赤のカウンターや椅子。テーブルは黒で、全体的に寂れた雰囲気のある飲食店である。ラーメン屋だ。その中には、一人を除いて客はほかにいなかった。その誰もいない店の中で、一人の男がラーメンをすすっていたのだ。
その男は一口、麺を口に含むとカウンターの奥で作業をしている女性に声をかけた。
「すまないな。今日は遅れて開店だというのに、店の前に来ているというのを見たからという理由で……」
その男とは、天翔である。彼は昼時、一人でその寂れたラーメン屋に来ていたのだった。
「いいんですよ。鳥山さんはいつも来てくれる常連さんですし、度々助言をいただいてるじゃありませんか」
天翔の言葉に、カウンターの奥の女性が応える。彼女はラーメンの仕込みであろう作業をしながら、顔だけ振り向いて天翔の方へ顔を向けていた。
女性、彼女は黒の髪にピンクのメッシュを入れるという特徴的な見た目をした女性であった。だがそのパンクな見た目に反して、目や、物腰は柔らかそうな感じである。
その女性は天翔の声がかかると、ある程度まで進めた作業を切り上げ、カウンターの方へと歩み寄ってくる。
「まあ、今日はあまりゆっくりはさせてあげられないんですが……」
「ああいや、大丈夫だよ。堀田さんのラーメンが食べられるだけで、充分だ」
天翔はそう言って、ラーメンをすすり始める。どうやら女性、堀田が言っていたように天翔はこの店の常連らしいのである。彼はいつも、朝から外に出て見回りに行っては、昼時にこのラーメン屋に寄るのだ。
そして、天翔の頭には今、ラーメンを食べながらもそれにのみ集中できない疑問があった。それは彼が堀田の店に常連であるからこその疑問だ。それを、箸をせわしなく動かしながら問う。
「そういえば……ズズッ、いつもはこの時間には人で賑わっているだろう? 今日は何でまた、どんな用事で開店の時間を遅らせることになったんだ? それに、ゆっくりさせられない、というのは?」
「ああ……それは……」
天翔の問いに、堀田は答えあぐねる。天翔はその声の様子が気になって、ラーメンの器と顔を平行にして口を動かしがらチラと堀田の顔を見た。そこには、何か後ろめたいものがあるような、不安なような表情があった。それを見止めた天翔は、一度、箸の手を止めて言う。
「いや、すまない。言いづらいことであれば別に、言わなくてもいいんだ」
「ああ……すいません」
「謝ることじゃない。……そうだ、娘さんの様子はどうなんだ?」
「ああ、琴音ですか? あの子はですね!」
天翔は気まずい質問をしたのに気付き、話を転換させる。そうして出て来た彼女の娘、その名前は琴音であった。
まあ、お気づきの方もいらっしゃっただろう。堀田という名字、言ってしまえば現在、天翔の目の前にいる堀田愛音は涼達と友人の、堀田琴音の母である。
愛音は琴音の話を天翔が持ち出してくると、急に元気になって、笑みを顔に咲かせて語りだす。
「良い友達と学校を過ごせているという話をしてくれますよ。なんでも、皆クソいい人ですとか……そいつらと一緒なら、一生安心していられるほど、だそうです。娘がそんな友達と出会えて……」
「なるほど……うまくいっているようで良かったよ」
「ええ。ですが……その」
「ん?」
愛音は先ほどまでの笑顔が嘘のように、また不安な事があるような顔をした。そうして、次の話をすることをためらう。それを見た天翔は、もう一度それに触れる。そうして、愛音からその不安の原因を聞き出そうとしたのだ。
「どうしたんだ。何か、私が力を貸せるようなことなら……」
「ああいえ! 大丈夫ですよ。ええ、大丈夫です……」
天翔の言葉に、愛音はやり過ぎというくらいに否定の言葉を入れる。それを耳にして、天翔は目を光らせた。彼女のことが心配になっての事、愛音の顔を見る。
彼女の顔は……彼女の目の下には、黒いクマがあった。化粧で隠してはいるが、それでも見え隠れするほどの。それを見た天翔は、もう一度ラーメンに向き合って、それをすすりながら思案する。
(……どうするか。金のことならどうにでもなる……が、堀田さんがそれを受け入れるとは思えない。責任感の強い人だ。それに……)
と、天翔がラーメンを口に含みながら、この先のことを考えていたその時であった。
バン、とラーメン屋の扉が乱暴に開かれる。そうして外の光が入ってきて、天翔と愛音がそれに気付いた時、男の声が響いた。
「堀田さ~んッ! 今日こそお金、返してもらいましょうかねぇ~」




