受験結果発表前夜
「さて、受験の結果発表は明日みたいだけど……」
説明しよう。あの日、勇気が自分の能力を使いこなすために、太三郎の荒療治を受けた日の後の話だ。あの時より、時間はしばらく回った。受験が終わる日まで、だ。それまでは変わりなく、皆、普通の過ごしをしていた。異常はなし、特筆して言うようなことはなかった。ああ、言うとすれば、勉強を開始しようとする度にララと涼が発狂して暴れ回ったくらいだろうか。まあともかく、何もなかったのだ。平和な日々が、妖館の中では過ぎていた。
そうして、そんな日々の中、受験が終わった。勇気、涼、鼬、マーレ、ララの五人がそれに臨んだその日の夜。勇気とマーレは夜、食堂でコーヒーを飲んでいた。十一時ほどである。
「明日、か。お前は大丈夫だったか?」
「ま、問題ないわよ。全然ね。それよりもさ、アンタは大丈夫だったの?」
「ん、ああ。問題ないよ。でもどうして……」
勇気は首を傾げた。何を疑問に思ったかというと、何故、勉学のことに関して自分が心配を受けたのか、である。勇気は妖館の中で一番勉強が出来るのだ。随分と達者なマーレを越して。それをマーレ自身も了解しているはずだ。
だからこそ、疑問に思ったのだ。そうして問うと、マーレは自分の耳を叩いて示す。
「ほら、アンタ聞こえるじゃない。ララもだけど、集中できたの?」
「あ、ああ。それの心配か……」
勇気はなんだと、拍子抜けだという感じで説明する。
「あの日、狂っちまった日からオンオフが効くようになってるよ。自由にとはいかないから、これが手放せないが……」
勇気は首にかけたヘッドホンを指でたたいて示す。それは、あの日に太三郎からもらったものであった。それを見たマーレは、なるほどと頷く。
「ああ、そう。あんな風になるもんだから、失敗していたのかと思ってたわ」
「まあ、あんまりここのことについて話してなかったからな。ともかく、耳に関しちゃ心配しなくていいよ。それよりも……」
勇気は自分のことはいいとマーレに言った後で、二階を見上げるように、天井を見る。その視線、意識の先には、その場にいる二人以外、つまり涼、鼬、ララの三人がいた。
「あいつらは……大丈夫なのかねぇ」
「ああ……ククッ、自信がなくて、すぐに自分の部屋にこもり始めちゃったわよね」
「はぁ……教えられることは教えたつもりなんだが……不安だ」
「アンタが不安がっててどうすんのよ……。そうだ、アンタに話さなくちゃいけないことがあるのよ」
「ん、何だ?」
話の途中で、マーレが思い出したように手を叩く。三人の結果を憂えて頭を抱える勇気は、そちらに目を向けてそのマーレの顔に問う。
「何か相談でも?」
「いや全然。そうじゃなくって、明日の話」
勇気の言葉に首を振って応えた後で、マーレは真剣な表情を顔に浮かべる。そうして、言った。
「明日の合格発表。私達と同じ高校を受けた友達と、一緒に見に行こうと思うのよ。つまり、人間とね」
「…………ああ……」
一瞬にして、ゆるりとした心の落ち着く雰囲気は冷えた空気に変わる。勇気が、不機嫌な表情を取ったためである。当然、マーレもそれを覚悟して話を始めた。だからこそ、彼女は真剣に、この冷たい空気と勇気に向き合う。
「言っておくけど、悪い奴じゃないわ」
「……でも、腹の中じゃ何を思ってるのか分からないだろ」
「はぁ……そんなこと言ったら、私達もでしょ? ……私達が、信用してる相手。そう言っても駄目?」
「………………もし」
「え? どうしたの」
一瞬の沈黙の後で、勇気は小さく口を開いた。マーレはそこに食いついて、問う。
「もしも、何かがあったらいいの?」
「いや……そうじゃなくて。本当にいい奴だとしたら、俺はもっと会いたくない」
「え……?」
マーレは一瞬、勇気の言葉から、彼が何を言いたいのかが分からず、首を傾げてしまう。
「思い違いかもしれないけど、アンタって、人間のクズみたいな奴に失望して死んだんじゃ……」
「まあ、そうなんだが……」
マーレが言いたいのは、だとしたらいい人間には会いたいと思うはずだろう、ということだ。実際、勇気は人の悪意に失望し、その道を行くことを決心した。であるならば、善意には多く触れたいはずなのに。
だが、勇気は全く別の理由で、その人間に会うのを拒もうとしていた。それを彼は説明する。
「実は、俺は一人だけ、人間でも良い奴を知ってる」
「…………ん? だから……」
「そいつは死んだ。俺と知り合って、しばらくして」
「………………」
また、重い話だ。マーレが前半で話した、悪意にしか触れなくて、人間に失望して死んでしまったというだけでも重いのに、更に。良い奴と会ったことはあるが、その人は自分と会って死んでしまった、と。
「唯一の善意だった。だけど……自殺したよ。人の悪意に触れて、耐えられなくて」
「…………」
「俺は今でも思うんだ。そいつと会わなければ、もしかしたら……そいつ自身が死んでいなかったかもしれない。だから……」
「怖がってても仕方ないでしょ」
「…………なに?」
勇気が自分の過去を独白する、その最中。マーレは彼の言葉をぶつ切りにして口を挟んだ。それを受けて、勇気は少しだけ不機嫌そうな顔をする。だが、そんなことには目も向けず、マーレは話を進めた。
「一度の失敗で、前に進むのを怖がってても仕方ないわよ」
「……一度の失敗って……命だぞ」
「言っておくけど、アンタは悪くないのよ、さっき話したことに関しても。アンタが会ったから死んだんじゃない、悪意を持った周りが悪いの」
「そりゃそうかもしれんが、だが……」
「トラウマになってるのは分かる。けど……歩まなきゃ」
マーレは勇気の手を取って、熱心に言う。それだけ、彼女は勇気のことを心配していたし、前に進んでほしかった。確かに、トラウマのことは理解しているつもりだ。自分と知り合った良い奴が、死んでしまったというのなんて、払拭は出来ない。だが、それでも、それを引きずっていては勇気は前に進めない。
しばらく、沈黙が広がる。だが……
「分かったよ」
「……え?」
「実際、俺はお前達に会ったが、お前達は死んでない。だから……安心して、踏み出すよ」
勇気は、受け入れた。自分自身の過去を乗り越えるという決心を、マーレの言葉で受け入れたのだった。それを受けたマーレは、見る見るうちに達成感に満ちた顔をする。
「……そう、よかった……。安心したわ」
「……すまないな。気を遣わせてしまって」
「いんや、いいのよ。全然大丈夫。……ふわぁーぁ、もうこんな時間。じゃ、また明日ね」
「ん……ああ。そうか、もう……。じゃあ、また明日」
話の途中で、マーレは椅子から立ち上がる。それを受けて食堂の中にある時計を見上げてみれば、それはもう十二時ほどを指していた。マーレはもう寝る時間だ。勇気はまだ起きていられるものの、生活リズムを意図的にずらしているマーレにとってはそうではない。
勇気は彼女が椅子を立つと、合わせてすぐに立った。そうして呟くのだった。
「人の……良い奴、か。人に会うこと自体、久方ぶり、か」




