整然と次へ。日々は続くのだから
「昨日の事、本当にありがとう!! それと、悪かった!!」
勇気は食堂に涼、鼬、マーレを呼んで、その前で土下座をしていた。もちろん、昨日のことである。自分のせいというか、自分の意志で行った行動ではないとはいえ、迷惑をかけたという確信を勇気は感じていたのだ。流石に、自分を心配してくれていたという喜びに酔ってはいてもだ。
(どうやって埋め合わせすればいいんだ……)
彼は結構、そういうことを考えていた。そうして朝起きてすぐ、朝食の準備が出来たからと呼んだ三人を前にして、一気に謝ったのだ。すさまじく綺麗な土下座であった。涼にしたような……いや、それよりもか。
と、そんなことはどうでもいいんだ。その土下座を受けて、三人は……
「別に。気にしてないわよそんなこと」
「っていうか、何かあったっけ」
「……ま、二人の言う通りよ。勇気」
マーレと鼬がすまして言うのに対して、涼は呆れながら勇気に首をすくめて示す。そうして、言った。勇気に、優しい目を向けて。
「礼も謝罪も必要もないわ。鬱陶しいだけだから、やめてよそういうの」
「なっ…………あ、ああ。……そうだな」
勇気は一瞬、涼の言葉に驚き、叱咤されたのかと思った。だが、その次の瞬間に気付く。今の鬱陶しいという言葉が、涼の気遣いなのだと。だって、それを言う間の涼は、まるで森林の風のように落ち着いた表情だったのだから。
だからこそ、勇気はすぐにいつも通りの対応をした。いつも通りと言っても一週間や二週間の付き合いだが、それだけで十分なほど色濃かった日々だ。その中でのいつも通り……の、はずだった。
勇気は土下座を終えると、すぐに背の方においてあるテーブルを示した。
「今日の朝食はこれだ! さあ、早く食って遅れないように学校に行けよ」
「……あれ」
「量、多くないか?」
……否、いつも通りではなかった。勇気が今日の朝食に用意したのは、豪華そのもの。まるで一流ホテルが少し遅めの朝食に出すかのような定食である。それが、一つのテーブルに所狭しと並べられているのだ。見渡してみれば、小さいが鍋類もあるように見える。
それに対して、三人は打った。舌鼓でなく、心臓の早鐘を。事前に彼らは話し合っていたのだ。きっと今日の勇気は、気遣いがすごいからそれを全部受け取ってやろうと。だが……
「さあ、食ってくれ! 遠慮はいらない!」
それにしたって多すぎる。いざ目の前にすれば、冷や汗を浮かべて顔を見合わせてしまうほど。それに、料理の脇に立つ勇気の圧倒的な笑顔だ。彼が今までの人生で浮かべたことのないような、希望に満ち満ちた笑み。それは、脅迫的なまでに三人の心を攻め立てる。
「どうした、さあ!」
「……え、三人共、太った?」
ララは自分で勝手に起きてきて、食堂に入って来た。そうしてまず、目に留める。お腹の辺りが少し膨らんだ涼、鼬、マーレの三人を。彼らは一つのテーブルに皆突っ伏し、呻いていた。その脇にララは立って、三人に問いかける。
「あともう少しで学校じゃないの? そんなんで大丈夫?」
「いや……きついっす。勇気の朝ごはん、多すぎるっつの」
「こりゃもう、多分一時間目から睡眠コースね」
「消化する頃合いだしね……ってか、私はともかくアンタらは起きてなさいよ鼬、涼」
三人はだるそうに、ララのことがまるで目に入っていないかのようなテンションの低さで話した。彼らはやり切ったのだ。勇気のご飯を、全て食べ終えた。既にテーブルの上からは食器が取り除かれているから分かりづらいが、相当量だ。
ララは三人の様子に圧倒されて、どう話したものかとその胸の上に腕を組む。と、彼女がそうしていると……
「三人共、もう時間じゃないか?」
勇気の声が、ララの立ち尽くす後ろから響いてくる。どうやら、掃除やらで食堂から出ていたらしい。三人は彼の声を受けると、はーい、とダルそうな声を上げて立ち上がる。どうやら、一応は勇気の言う通りにしてやろうという意志は残っているらしい。
そうして、三人は席を立って自室へと向かっていく。荷物を取りに行くためだ。勇気はそんな彼らを見送っている最中、テーブルの脇に立つララを見止める。
「あ、ララじゃないか。もう起きてたのか」
「ま、まあ。それにしても、どうしたの? すごい元気そうだけど」
「そうか? まあいい。そうそう、お前にも朝食、用意してあるから」
「………………」
ララは思わず、黙ってしまう。三人をああまでしてしまう朝食。それが、自分にもつくられているのか。それにもう、用意は完了しているらしい。
避けることは出来ないのだと悟ったララは、ガクッと膝をついてテーブルに寄り掛かった。それを、何も知らない勇気は心配そうな顔で支える。
「ん、何だ!? 大丈夫か!?」
「いやちょっと、頭痛が……大丈夫」
「そうか……って、ん? あれは太三郎さん……」
ララのことを支える勇気の目の端に、太三郎が食堂へ入ってくるのが目に入る。彼は、珍しく煙管を口に咥えないままで歩いていた。そうして、二人の元へ歩み寄る。
「勇気、ララ。おはよう」
「おはよう、太三郎さん。おはようって、どっちかってと俺達のセリフだよ。いつもはもっと遅いのに。なあララ?」
「…………うん」
ララは依然、青ざめた表情をしていた。だが、勇気は気付かない。機嫌が良すぎるのだ。そして、そのままで彼と太三郎は話を続ける。
「それにしてもまた、今日は何でこんな時間に?」
「いや、お主に謝罪をと、思っての。昨日はあのまま、寝てしまったじゃろ? 三人には言ったんじゃが、お主にはまだじゃった。じゃから……」
太三郎はそこまで言うと、一歩下がる。そして、頭を下げた。
「すまぬ、昨日は儂の不注意で……」
「止めてくれよ、太三郎さん」
だが、太三郎の謝罪は一瞬にして遮られる。彼が顔を上げて見てみれば、勇気は真剣な顔をしていた。
「……勇気。じゃが……」
「いいんだ、そんなことを言わなくても、さ。逆に世話になってる身分だ。こっちが礼を言うもんだろ? ありがとうな、太三郎さん」
太三郎の謝罪に対して、勇気は快く返す。それはさっきの涼のとは少し色は違ったが、相手の気持ちを随分と軽くするものであった。それを受けた太三郎は、フッと顔の緊張を解いて勇気に向かった。
「そう言ってくれると、こちらの気も楽になるの」
「ああ、楽にしてくれよ。アンタが楽じゃないと、こっちが気楽になれない」
「そう、かもしれんの……。そういえば、天翔はどうしたんじゃ? もう行ったのかの」
流れですぐに、太三郎は問いかける。引きずるのも悪いと思ってのことだろう。それに対して、勇気は首を傾げて思い返しながら言う。
「ああ、もう外に出た。確か、胃もたれがするとか言ってたが……まあ、いつも通りどっか行ったよ」
「そうか。休まぬ男じゃ……。まあよい。そうじゃ、悪いが勇気、そしてララ。頼まれてほしいこととやってほしいことがあるんじゃ」
「え、どうしたの」
「何か、俺達にしかできないことか?」
太三郎は勇気とララの前に立って、二人に向かう。それと、彼の真面目な声を受けると、ララは青い顔を取り払ってすぐに立ち上がる。勇気も、気の抜けた表情を解いて真剣な目で太三郎を見返した。
そんな二人の目を受けながら、太三郎は言った。
「ララ、お主、受験勉強」
「はぅぅぅっ! …………うぐぅ……」
なんだろうか。太三郎の勉強という言葉を受けると、瞬時にララはその場に崩れ落ちる。まるで、聖水を受けた悪魔のようだ。どうやら、勉強という言葉に反応したらしい。そんな彼女に、太三郎は追い打ちをかける。
「お主も涼達と同じ高校に入ってもらわねばならぬ。学校に行っていなければ、将来を生きることは出来んのでな」
「……うぐぅ……うう」
「勇気、お主もじゃ」
「……え、俺も?」
勇気は思わず、首を傾げて太三郎に向かった。それに対して、太三郎は当然と言うように説明を加える。
「当たり前じゃ。いつまで儂と天翔の脛をかじるつもりじゃった?」
「いや……そのつもりはなかったが……」
勇気はうろたえる。何に対してか、それは今まで彼のことを見ていたなら分かるだろう。人間だ。人間と、それに人間の心が聞こえてしまうこと。
だが、それでこそだ。太三郎はまた口を開く。
「これはお主に、誤解を解いてもらうためでもある。人間も、別に悪い奴ばかりじゃないということをしっかりと理解してもらうための、の」
「……でも」
「そのために、昨日にあのようなことをした。お主もう、心の音を聞くというの。あれをコントロール出来ているじゃろ? まあ、完璧にするには時間がかかるがの」
「ああ……確かに」
勇気は自分の耳に手を当てる。そう、そういえばそうだった。勇気の耳は、人の心を捉えることも、それをしないことも可能にしていたのだった。
「じゃから、怖がらずに行くんじゃ。お主の将来のためでもある、じゃから……」
「……分かった。分かった……。太三郎さんが言うのなら、行くよ」
「……! そうか、安心したぞ」
勇気は、辛そうな顔をしながらも決断した。自分のこれまでを、忘れ切らなければ出来ないような決断を。人間を憎む彼にとっては、相当な決心。それをしかと、心に刻み付けたのだ。太三郎は少し驚きながらも、それを受け取った。
そうしてしばらく、二人、そしてララの間には沈黙が。その中で、思い出したように太三郎が口を開く。
「そうじゃ勇気。お主、受験の方は大丈夫かの?」
「ん、ああ……。俺は多分、勉強なしでも受かるよ」
「そうか! では、鼬と涼、それに……」
太三郎は目線を、未だに崩れ落ちているララを見て言った。
「ララの面倒を見れるかの、勉強の」
「……え」
「あれ、ララって勉強出来ない方なのか?」
「聞いた話では、出来るとかそういう問題ではないらしいのじゃ。じゃから……」
と、太三郎が、そこまで言った時だった。
「嫌ァァァーーーーッ!! 勉強したくないよおぉぉぉッ!!」
勇気と太三郎が話をしているその最中で、ララは急に悲鳴を上げながら駆け出して食堂を飛び出した。話の脈絡から察するに、勉強が嫌で嫌で仕方がないという様子だ。勇気と太三郎は、そんな彼女の姿を呆れた目で見送ったのだった。
「えっと……涼達を見送ったら、早速始めるよ。涼達と同じ高校なら、もう本当に、結構すぐ受験だし」
「ああ、頼む」
二人の間には、何とも言えぬ空気が広がったのだった。
「よし、じゃあな勇気!」
しばし間を空けて、妖館の玄関。そこでは、少し調子が悪いながらも元気に行ってきますの合図をする鼬がいた。それに対して勇気は笑顔で応える。
「ああ、じゃあな! 涼もマーレも!!」
「……うん、じゃあね」
「うぷぅ……重い。ニンニク入ってなかったでしょうね」
勇気の元気な行ってらっしゃいに対し、二人はお腹を抱えながら小さく答える。だが、テンションの高い勇気はそんな二人の不調には気付かず、笑顔のままであった。
そして、扉が開く。妖館の玄関の、大きな扉が。そこからは陽光が降り注いで……妖館の住人達、彼らのこれより先の道を、祝福しているようであった。
「じゃあ、勇気。行ってくるわね」
「帰ったら、なんかして遊ぼうぜ」
「はぁ……眩し……。じゃあね、後でまた」
「ああ、行ってらっしゃい!」
三人はそんな陽光の中を、かき分けて進んでいくのだった。勇気はそれを、三人の背を、遠いものを眺める目で見つめていたのだった。だが、彼の目の色と反して、彼の意志と三人との距離はそう遠くはない。
「……いつか、そこに」
勇気はそう呟いて、妖館の方へ振り返る。そうやって、反対の方向に進みながらも、四人の向いている方向は同じであった……
一部 「心を溶かし合う仲間」 完




