私はアンタの希望
(私が……やるしかない、のか)
発狂寸前、というか発狂している勇気を目の前にした涼は、さっきまでとは打って変わって自信を無くしてしまう。彼女の心についてしまった傷が疼いて、信念を鈍らせるのだ。自分一人と知った瞬間に、顔が青くなったのはそのため。
(……でも、マーレと鼬も言ってる……。私が、行かなくちゃいけない……!)
だが、彼女は後ろにマーレと鼬の言葉を受けていた。二人の、自分を信じているという言葉。彼女の親友のその言葉は、彼女の足を思うよりも大分、動かしていた。
いや、それだけではないか。マーレの言った通りでもあるし、その反対でもあったということ。……つまり、涼にとっても勇気は特別で、彼を助けるための一歩を、踏まなければならないという心が大きくなったと。彼女自身の、その心である。
そんな心を持って、涼は勇気の目の前へ。彼は今、赤い煙に体を覆われて、動けなくなっていた。だが、彼の顔の表情と、体がこわばっている様子から全身に力を込めているのが分かる。暴れるつもりは満々らしい。それを見た涼は、冷や汗を浮かべる。
(けど……どうすればいい? なんて言えばいいの……)
そうだ。心をぶつけると言われたはいいが、それは一体どういうことなのか。涼は自分がこれからどうすれば勇気を助けられるか、全然分からなかった。
だが、彼女はとりあえずこうしてみよう、というのを決めた。
(……素直に、口にしてみよう。思ってること、全部)
涼は勇気の顔のすぐ前で、ふぅと息を吐いた。そうして目をつむって、今までのことを思い返す。自分がこれまで勇気と過ごした短い期間で、彼に何を思ったのか。そうしてその感情を整理して、ゆっくりと言葉に編集していく。そうして、ちゃんと見ることが出来るような言葉へ。
しばらくして、勇気が呻って攻撃的な表情を取るそのすぐ眼前で、涼は口を開いた。
「あのね、勇気。私はアンタの事……その、嫌いじゃないと思ってるわ」
「………………ああ?」
今まで、ここにはいない誰かに恨み辛みの言葉を吐き出して床に落としていた勇気の注意が、涼に向く。それを見止めてか、それとも知らずか、涼は続ける。一人で、自分に言い聞かせているようだ。
「最初に会った時は、差別の方があったわ。私自身、アンタを最初はただの自殺者だと思ってたから。けど、話すにつれてよく分からない奴だと思ってね。お前は俺の希望だなんて言われた時、照れはしたけど、気持ち悪いと思ったわ……。でも、フツヌシから私を、自分の身を犠牲にしてまでかばってくれた時には……真っ直ぐで、優しい奴なんじゃないかと思った」
「………………」
涼は続ける。
「次、勉強会の日さ。こいつ不器用でナルシストで、意外と普通の奴なんじゃないかって思ったわ。少し勘違いしちゃった、才能だけはある奴。……でも、励ましてくれたのは嬉しかったし、出来なくてもいいって言ってくれたのはすごい、嬉しかった」
「………………ん」
吐露し続ける。
「ああそう、昨日のことだから忘れてないでしょうね。ララのためとはいえ、私のパンツ盗んだの」
「勇気……そんなことしてたのかよ」
「まあ、ね」
「あん時も今も、許せないわよ? けど、あの事件を受けて私が思ったのはやっぱり、アンタはどこまでも不器用で、優しい奴ってこと。だって普通、着替えさせてやろうとは思うかもしれないけど、下着までとは考えないわよ。それに、どうしようもないからって人のから盗るって……助けようと手を伸ばすとき、周りが見えなくなる性格ね。ま、褒められたもんじゃないけどさ」
そこまで言って、涼は一旦口を閉ざす。だが、またすぐに開いた。自分の気持ちを吐き出す彼女の口にはいつしか、ブレーキが利かなくなっていたのだ。そんな彼女の姿を見て、勇気は……
「まとめるわね。私がアンタにこれまでで思ったこと。……アンタは私にとって……変な奴。でも、優しくて暖かくて……一緒にいたいなって思う、そんな感じかしら。ああ、そう……」
涼は思い出すようにして、未だ目が淀んでいる勇気の肩を掴んで引き寄せ、眼前の顔面に向かって言う。キッパリと、こう。
「アンタは私のことを希望だって言ったわね。……いいわよ。アンタの希望たるこの私は、いつまでも、アンタに希望を与えてあげる。だから……アンタの希望様が目の前にいるのよ。さっさと、目を開けて。アンタがその気にさせたんだから、私を希望として求め続けなさいよ……」
自分のことを示して、いつまでも一緒にいてやると宣言した。そう言った涼の顔は、清々としていた。少し、儚げではあったが……。言いたいことを言い切って、自分が出来ることはやりつくした、と。
しばらくした後。
この場において、最も重要な事。彼女がどうして気持ちを吐露したのか、もちろん勇気を助けるためである。今、最も重要なことは彼の今の容態だ。彼は……。涼はそれが気になって、勇気の顔を覗き込んだ。すると……
「うわっ、気持ち悪っ!!」
勇気の容態が気になって、改めて彼の顔を確認した涼は思わず後ろに飛び退く。勇気は……静かに、口の端からよだれを垂らしていたのだ。
「え何……うわ、ほんと」
「勇気、大丈夫なのか……って、何だよこれ」
涼の後ろから、彼女の様子が気になって鼬とマーレが勇気の顔を見る。すると二人共、大体涼と同じ反応をした。気持ちが悪い、と。
具体的に説明しよう。勇気は涼の話が終わった瞬間から、口の端からダラダラとよだれを垂らしていたのだ。加えて、顔には何故か恍惚とした表情が刻まれている。何を思ったのだろう。だがともかく、さっきまでのような敵意や悪意はない。マーレの煙が、彼の体には食い込んでいなかったのだ。
つまり涼の心は、勇気の心をむしばんだ悪意を取り払うに足りた。
……と、三人がドン引きしたところで……
「……あれ、俺は何を……?」
勇気がハッキリと、自分の意識を覚醒させる。今までどうやら、彼の意識は眠っていたらしい。なのにどうしてよだれを垂らしたり口元を二やつかせていたりしたのかは不明だが、ともかく彼は遅れて覚醒した。するとすぐ、自分の状況に首を傾げた。
「なんだこの赤い煙……ってか、よだれが……ジュルルッ……って、三人共。そろって俺の部屋に来て、どうし……」
だが、問う暇もない。
「さっき一緒にいていいって言ったけどあれ嘘。近寄らないで」
「……流石に不潔だぜ」
「うわ、煙……。巻きつけちゃったからお風呂入ってこないと」
三人は一瞬にして、さっきまでの心配が嘘のような辛辣な言葉を勇気に吐きかける。それを受けた勇気は思わず、惨めな表情をしながら三人に問いかける。
「え……お、俺が何をしたって言うんだ。……えっと、俺は確か……」
勇気は三人に問うた後で、自分自身を問い詰める。だが、答えを出す間もなく、三人はまた辛辣な言葉、そして辛辣な行動で応えるのだった。特に、涼とマーレ。鼬は少しだけ、何かに気づいて柔らかい言葉を出すようであったが……大差はない。
「「話は風呂に入った後で聞く!!」」
「ま、まあ……じゃあな」
そうして三人は外に出て、ドアをバタンと閉めたのだった。
勇気の部屋には、訳も分からないままで口をあんぐりと開ける勇気と、心地の良い暗闇のみが広がるのであった。
「でも、なんだか分かる。……残響が響いてるんだ。照れ隠しってことも……それに、記憶も塞がってきた。……鼬、マーレ。……涼、ありがとう。ありがとう……」
勇気は一人、部屋で呟いていたのだった。




