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近い、どこまでも

「……私?」


 勇気が心をある人物の敵意に飲み込まれそうになっているその現場で、マーレは涼を指差した。そうして彼女が言うことに、涼でしかこの後は踏み込めない、と。それの意図が分からない涼と鼬は首を傾げる。そんな二人に、マーレは未だ冷静に自分の考えを語る。


「太三郎さんは強い感情をぶつけると言っていたけど、私はそれだけではないと思うのよ。多分、勇気自身の心の持ちようも関わってくるんじゃないかしら」


「勇気自身の……」


「心の持ちよう?」


 鼬と涼はキョトンと首を傾げる。それを見ると、マーレは勇気の方を顎で示して話を続ける。彼は今、マーレの体から放たれた煙に大の字に縛られ、その場に直立のままで動けなくなっていた。それを尻目に、マーラは語る。


「心が物理に似てるって話を聞いたことがあるんだけど、その話ではさ。状況によって物体が起こす運動が違うように、状況や関係によって人の心も動き方が違うだって。例えばだけど、見ず知らずの奴に告白されるのと、幼馴染に告白されるのじゃ、同じ告白という行動を起こしているけど、それを受けた対象の心の持ちようは違うでしょ?」


「見ず知らずの奴に告白されても断るだけだよな」


「逆に幼馴染に告白されたら、オッケーするかもしれない。それに断るにしても影響があるかもしれない……けど、それで? 何が言いたいの?」


 涼は答えをマーレに急かす。どうやら、早く勇気を助けに取り掛かりたいという気持ちで一杯らしい。それは鼬も同じで、彼女がそう言うと静かに頷いてマーレに促す。

 その二人の表情を見て、マーレはまた涼の方に目を向けて口を開く。


「だからこそ、アンタなの涼。一番初めにこいつが死のうとしてたのを止めたこともある、それに勇気はアンタに、お前は俺の希望、なんて言葉を吐いたって話でしょ? ……きっと、アンタが勇気の心を動かすためのベストポジションに立ってる」


 マーレはそこまで言って、立ち上がる。彼女の言っていることは、勇気の心に一番影響を与えられるであろう人間は涼だから、アンタに任せたい、ということだろう。それを、ちゃんとマーレ涼の肩に手を置き、口にする。


「お願い。もし駄目なら、私と鼬も加勢する。でもどうしても私は、私達じゃ力不足な気がしてならないの……。それに、あんまりチャンスが多いとも思えない」


「……え」


「何を思ってるのか知らないけど、対面した他人の数だけ頭がおかしくなってるような気がしない?」


 そう言って、マーレは少し離れた所で縛っている勇気のことを示す。涼と鼬がそっちに目を向けると、彼は……


「もう……いい。何でもいいから、不幸にしたい……」


 完全に、飛んでいた。言っている言葉の意味は分かるが、それで何がしたいのかが全く分からない。さっきまではまだ、彼の人間嫌いが表に出てしまっているだけであった。人間を殺す、殺したいと。だが、今は何でもいいから不幸にしたいと言っている。加えて、もしかしたら、この何でもというのに涼達も入っているかもしれないのだ。


 そして、マーレは次に対面する度と言った根拠を話す。


「分からないけど、鼬が羽交い絞めにする前は人間が憎いって感じだった。今、私が縛ってるけど……対面って言うより何かしら干渉を受けると悪化するのかしら。攻撃的な感情を向ける相手が広がってる。……ともかく、チャンスは少ないと思う。だから……」


 マーレは立ち上がって、涼の肩に手を置いて勇気の方へ押す。それを未だに疑問に思った涼は、振り返ってマーレの表情を見る。マーレは……静かな顔をしていた。静かな顔をして、涼へ託していた。


「アンタに頼むわ。私は勇気が嫌いじゃないし寧ろ友人としてよく思ってる。鼬も男同士でいい関係を築けているわ。けど、アンタとは違うのよ。ただの友情じゃあないの。アンタとそいつとの関係は。だから無責任だけど、私はアンタに賭けるわ」


 涼は、マーレの真っ直ぐな目を受けて戸惑ってしまう。それは鼬もそうであった。しかし、彼は理解していた。マーレの言った言葉、少なくとも自分とマーレでは不十分であるということは。


(本当に俺でいいのなら、最初にもう正気に戻っているはずなんだからな……)


「いや、私って……私? 私が……」


 鼬が自分の頭で、自分自身の不足を嘆いていると、涼が戸惑っているのが目に入ってくる。いいや、戸惑っているだけではない。自信をいちじるしく失って、顔に陰りを浮かべているのだ。マーレに叱咤を受けた時のようだ。彼女の弱さが、出てしまっている。


 彼女の弱さとはつまり、自分に自信が持てない事だ。こういう重要な場面や、叱咤を受けた時、強い否定を受けた時、彼女の仮面は剥がれる。自分が情けなくてしょうがなくなるのだ。何故に彼女がそんな性情を持ってしまったかは、後に。


 鼬はその涼の心情のことをよく理解していた。見たのが初めてではないからだ。加えて、どうすればいいのかも薄らと分かっている。彼は彼女の方へと一歩踏み込んだ。


「涼」


「え……?」


 そうして、断固とした調子で言った。


「俺じゃあ力不足で……お前にしか出来ないことだ。それに……勇気にはお前が必要だ」


「…………え」


「見ていて分かるさ。多分、俺がどれだけ距離を詰めようとしても少し違うんだ。だからほら」


 鼬は首を振って勇気の方を示す。そうして、涼の背中を押すようにして言ったのだった。


「行ってやってくれ。俺じゃ駄目みたいだ。お前が……勇気の希望になってやってくれ。頼む」

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