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衝動

「ハッッッ!!!」


 勇気は夢から覚めた。夢というより、自分の記憶である。自分がいじめっ子を助けた際にそれを拒まれたこと、助けた相手が自分のせいだと言って自殺したこと、人を助けることは無駄なことだと言い切られたこと。

 そんな悪夢を見て、勇気は全身を汗にぬらして起き上がった。その勢いたるや、自信ありの受験結果を見たい学生が如く。だが、気持ちはそれと真反対である。……いや、期待の反対ではないか。彼の頭に今、飽和している感情は……


「クソがッ!! クソがクソがクソが、クソ共めがッッ!!」


 飛び起きた直後に、弾かれるようにして立ち上がってベッド脇の棚を蹴り上げる。彼がそうした瞬間、その棚は一瞬にして(くう)を舞い、部屋の中央を通って壁に叩きつけられる。その後、棚は木片となって中に入っていたものを散らす。彼の蹴りは、それほどまでに怒気と力を孕んだものだった。


 そして、その激しい音と勇気の怒声を聞いてか、彼の寝ていた部屋の扉が勢いよく開かれる。


「おい勇気! どうしたんだ急に……って」


 外から入ってきたのは鼬である。彼は部屋の中の惨状を見て、目を見開いて息を飲んだ。つまり、勇気が怒り狂っているその結果を見て、だ。


「おい勇気……落ち着けよ。一旦、深呼吸を……」


「うるさいぞッ!! 黙って、黙って壊せるものを持って来いよ!!!」


「っ、おい勇気、本当に落ち着……」


「黙れッ!! 人間だ。人間を殺さないと気が済まないッ!!」


 勇気は完全に正気を失っていた。目に、怒りやら殺意やらが、淀むというよりは燃え滾っている。殺したくて殺したくてたまらないと、本当の熱を持って言っているのだ。それを目の前に、鼬の足はすくむ。


(あの目……フツヌシの、目……)


 彼は勇気の顔を見て、フツヌシの顔をフラッシュバックさせる。彼の、自分に向けた殺意の目を。殺意に燃えて、復讐せんと刀を振り上げる奴の姿を、勇気に重ねたのだ。

 自分の意識の中でだけとはいえ、そうしてしまえば鼬は怯えるのを止めることは出来なかった。足が震え、後退る。恐怖とは、恐ろしいものである。一度感じてしまえばその跡は一生残る。それを、勇気にも感じてしまった。こうなってしまえば、しばらく前へは進めない……。


 だが、鼬は拳を握りしめて前へ踏み出した。


(こっ、ここで止まっちゃ駄目だ! マーレを助けられなかった時みたく……勇気まで、このまま暴れさせちゃあ……お前だって救えないことになっちまうだろ……!)


 手に何デシリットルかと言わんばかりの汗をかきながら、立ち直る。そして、部屋の中央でベッドを殴って叩き割っている勇気の脇腹に突っ込んだ。


「落ち着くんだ勇気!! 頼む、俺を見てくれ!」


「うるさいうるさい!! 俺は人間をぶっ殺さないといけないんだッ!! 少なくともあいつ……あいつだ!! あいつが生きている、殺さなくっちゃあいけない!!」


「何があったのかは知らない! けど、ともかくは止まってくれ!!」


 鼬はそう声を荒げながら、勇気を羽交い絞めにして動けなくする。それ自体は意外と簡単であった。勇気は狂っていながらも、鼬に手は出そうとしなかったのである。暴れながらも、自分が尊いと思ったものは見据えていたのだ。だが、未だに彼を傷付けない程度には暴れている。

 そんな姿の勇気を見て、鼬は冷や汗をかく。


(受けた憎悪に心をむしばまれる……どうなるのかは分からないが、ともかく……俺だけじゃ駄目みたいだ)


 鼬は歯を食いしばりながら、勇気の拘束を強める。そうして、悔しながらに把握した。自分の気持ちだけでは、勇気の中に入ってしまったらしい憎悪を取り除けないということが。


(俺は今、本当にこいつを心配してる。なのに、何の反応もないってことは俺じゃ駄目だ……呼ぶか)


「涼、マーレ! 来てくれ!!」


 判断した鼬は、勇気を羽交い絞めにして動けないようにしながら二人を呼ぶ。外で鼬の声を待っている二人をだ。本当なら、鼬はそうしたくはなかった。自分だけで危険が済むのであればそれでいいと。だが、そうはいかなかった。なら、呼ぶしかない。

 鼬が大声を上げると、外から人の駆ける音が響いて来た。そして扉の前に、


「鼬、勇気!! 大丈夫!?」


「とりあえずは無事みたいね……。さて」


 涼が慌てるのに反して、マーレは落ち着きながら部屋に入ってくる。そうして、鼬に目を向けた。


「鼬、勇気を離していいわよ」


「え……したら、こいつ暴れちまうっつの!」


「大丈夫。私が押さえておくから。アンタの拘束の仕方じゃ、落ち着いて話も聞けないでしょ? だから……私を信じて」


 鼬はマーレの、真っ直ぐな目線を受ける。彼女の目は真剣そのもので、加えて揺るがない自信があった。そんな目を真正面から見てしまっては、鼬はそれを否定することが出来なかった。頷いて、ゆっくりと勇気を離す。

 それを見止めると、マーレは左手を横に伸ばし、集中するように息を吐いた。すると、左腕が見る見るうちに、手の方から肩にまでかけて、赤い血煙のようなものに変化する。それはまるで意志を持つかのようにうねり動いて、勇気の体にまとわりついた。そうなると、鼬の拘束がないはずなのに彼はその場に立ったままになった。


「ぐっ……これは……」


「吸血鬼は万能でね。寿命を吸うなんてちんけな能力だけじゃないのよ。体を蝙蝠や煙に代えて操れる。……まあ、そんなことはどうでもいいのよ。さて……」


 マーレは左腕が煙に変化させ、そのままで落ち着き払ってベッドに座る。そんな彼女の様子に、今の切羽詰まった状況でそんな風にしているのが気にくわないと言わんばかりに涼が声を荒げる。


「ちょっとマーレ! 何落ち着いてんのよ。今の状況が分かってるの!?」


「……マーレ。取り乱せとは言わないけど……」


 涼の言葉に影響されて、鼬も声を上げる。つまり、マーレは勇気が危険な状態に陥っているというのに、落ち着きすぎている、と。だが、マーレは焦燥を浮かべる二人に対し、冷静な目を向け、こう言った。


「そりゃ冷静よ。今私は、もう出来ることは全部やりきった」


「全部……?」


 二人はマーレの言葉に首を傾げる。全部やり切った、そう言うのは勇気が正気に戻ってからではないか。だが、反論の隙も与えず、マーレはまた口を開いた。

 今度は静かに、涼の方に目を向けて。


「後は……アンタしか踏み込めないわ、涼」

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