まずい事態
「いつも通り、じゃの……」
太三郎は一人、灰色の部屋にて煙管を口に咥えていた。そうして、煙を勢いよく吐き出す。そうすると、煙の灰色は壁の灰色に、擬態するようにして溶けていく。それを見て、また息を吐く。そうして俯き、前を見た。
太三郎の目の前には、勇気とララが机の上に突っ伏すようにして倒れていた。彼の言う荒療治、つまり激情をその心眼に受けて、一時気を失っているのだ。それを見た太三郎は、よいしょと腰を上げる。
「さて、運ぶかの……。この年寄りに、二人は重いんじゃが……」
「……不幸に、する」
「……んあ?」
煙を吐き出して、太三郎がそれを手繰り寄せるようにして操り始めた時だ。彼の背後から、声が聞こえてくる。その声のトーンは、低かった。地を這うように、まるで冷気を持った煙が床を伝うように太三郎の耳へ入った。そして、それは……
「勇気……?」
「殺すんだ……殺す」
勇気だった。彼はさっきまで倒れていたというのに、今はそこに立っていた。だが、その様子は満身創痍という具合である。フラフラとして、目が淀んでいる。
……満身創痍、それは少し違ったか。まるで、何かに乗っ取られているように、自分の体の扱いが分かり切っていないような……表現するのでさえ難しい危うさで、勇気はそこに立っていた。
それを見て、太三郎は首元に冷や汗を浮かべる。
「……まさか、の。いや……有り得ん」
太三郎は頭を抱えて首を振り、自分の頭に浮かんできた嫌な考えを振り払おうとする。
だが彼の考えが事実であると、勇気が行動として表してしまうのだった。
「殺すッ!!」
太三郎に駆け寄って、その拳を振り上げたのだ。それを見止めた太三郎は、すぐに後ろへ一歩下がって、歯を食いしばる。悔しい……いや、自分を責めていると言うような表情。だが太三郎がそんな表情を浮かべているのも知らずに、勇気は太三郎へと攻撃を続ける。秩序のない、一撃一撃に全体重をかけるかのような粗暴な攻撃だ。理性がない。それを見て、更に太三郎は頭を抱える。
「……何じゃ。まさか……くっ、こんなことが……偶然か? にしても、出来過ぎじゃろうがッ!」
「死ね……死ねッ!」
「…………すまぬな。一度、静かにしていてもらうぞ」
太三郎はひとしきり思考を終えた後で、煙管を口に咥える。そうして、一言。静かにしていてもらうぞと言った後で、煙を勢いよく吐き出した。
その煙はまるで、生きている蛇のような動きをして勇気に向かった。まるで、太三郎の都合に合わせて動くかのようである。理性のない状態の勇気は、それを躱す余裕も……躱さなかった、か。彼はまるで煙にそのまま突っ込むようにした。
「まるで危機管理能力がない……儂が煙を操れるというのは知っておるはずじゃ。やはり……」
太三郎は口から吐きだす煙を操って、勇気を縛り付ける。その場に、大の字のようにして手と足を開かせたのだ。どうあがいても、勇気の力でははがせないだろう。どういうわけか、太三郎の煙は強固に彼の体を縛っていたのだ。だが、その拘束を受けてなお、勇気は暴れ続ける。
「不幸に……してやる。一生、日の目も見せない……!!」
口から呪詛を吐きながら、涎を垂れ流している。その涎は、これまで勇気が垂らしていた恍惚から来るようなものではなく、恨みに満ちたものであった。
それを見て、太三郎は申し訳ないと目を伏せながら、勇気に歩み寄った。
「すまぬ、一度、眠っていてもらうぞ」
そうして、勇気の顔面に向かって煙を吐き出す。それはまた、意志があるかのように動いて勇気の鼻と口に漏れなく向かっていく。そこまでいくと、後は勝手に彼自身が吸い込んだ。そうしてしばらく……
「殺……して……や……ぅ…………」
太三郎の口から吐き出される煙をそのまま吸い込んだ勇気は、一瞬にしてその瞼を落とした。眠ったようである。どうやら、太三郎の煙は先とは違い、睡眠ガスのように働いたようであった。
勇気の体から力が抜けるのを見て、太三郎は拘束を解いて彼の体を自由にする。そうして勇気の体が倒れこんでくるのを支え、その耳元でささやいた。
「すまぬ……この事態を招いたのは儂じゃ。……しかも、儂が尻を拭くことが出来ぬ」
そう言う太三郎は、悔しくてたまらないと言うように歯を食いしばっていたのだった。
「鼬達に……頼る他ないのか、の」




