初めての感覚
「それで、そのね。私は、妖館って所に行かなくちゃならないの。君と離れるのはすごい心苦しいけど……」
「妖館はここだ」
「…………ふぇ??」
これが勇気とララが他愛のない話を幾分か交わした後。ララは緩い話を終えた後で、ゆっくりと話し始めた。自分が、妖館という所へ行かなければならないのだ、と。彼女にとって、これは別れの宣告のようなモノ。助けてもらった相手に、さよならと言うこと。
だが、実際はそんなことにはならなかったのだ。当然だ。勇気はララの目的地、妖館の住人だったのだから。ララからしてみれば、意外や意外。自分を偶然助けてくれた人が、偶然自分がこれから向かう所、世話になるところの住人だったのだから。
それが信じられず、つい問うてしまう。
「……本当?」
「ああ、本当さ。嘘はつかない」
ララの顔に浮かんだ疑問を見て、勇気は椅子から立ち上がり、自分の胸の辺りを手で示しながら口を開く。彼がフツヌシから逃げている間、適当に済ませてしまったそれをもう一度するのだ。
「俺は勇気、神崎勇気。故あって、しばらく前からこの妖館に世話になっている人間だ。ララ、お前もそうだろ?」
「ふぇぇ……まあ、そうだけど……」
「これから、よろしくな」
勇気は立ち上がったついでに、ララがベッドで上体を起こしているのに手を伸ばす。それを見たララは……
「うん……。ふふ」
頷いた後で少しだけ笑った。口に指をあてて、色っぽく。それを見た勇気は、一体何がおかしいのかと問う。
「ん、どうしたんだ? 何か、変なところでもあったか?」
「いや……でもね、君みたいな綺麗な心を持っている人と暮らせるのは……嬉しいなって」
勇気の質問に対して、ララはフッと一瞬だけ、ほんの小さく、顔を俯けて暗い顔をする。それはまるで、満開の花に少しだけついてしまった汚れのよう。それを持ったまま、ララは静かに口にする。
「私は悟りだってことで、同じ妖怪からも嫌われてきた。君が、目で見られたほとんど初めての温もりだったんだ。目で見て、それを感じられた。今までは嫌な感情をぶつけられて……これからも、きっとここでも、そうなってしまうんだろうって思ってた。けど……」
ララがそこまで語り、まだ続けようとした時だ。
「それは間違いだな、ララ」
ララの言葉を遮って、勇気は口にする。彼がそうする表情は、真面目そのもの。さっきまでの少しの柔らかさというものは消えて、硬くこわばったような。だが、それでいて優しい言葉を口にする。
「ここにいる奴は良い奴ばっかりだ。悪い奴なんていない。きっと、お前は前を向いて歩けるよ」
「…………! うん! それに、私はもう勇気っていう最高な人とも会えた。すごい運がいいよ私」
「ああ……。いやいや、俺は全然さ。俺より良い奴の方が多い。それと……少し話しておきたかったことがあるんだ」
「ん、なに? 何でも聞くし、話すよ」
話の途中で、勇気はまた神妙な表情をしてララの方を見る。そうして語ることは、自分と彼女の特質のこと。彼は、ララが目を覚ましてからずっとそのことを話したかった。そのタイミングがやっと来て、勇気は語り始めた。
「実はな、俺はお前と同じ……って言ったら俺は悟りじゃないから少し違うが……俺は、他人の心の声が聞こえるんだ」
「…………え? 本当? ……本当だ」
勇気の言葉を、一瞬ララは疑って勇気のことを凝視した。だが、すぐにさっきのが真実だと知る。勇気の背からは、誠実の緑色が光り輝いていたのだ。嘘ではない。
しかし、ララは真実をよく咀嚼できなかった。つまり、自分と同じような特質を持った人物が目の前にいること。それは良くも悪くも、彼女を動揺させた。
「大丈夫だ」
「……え?」
ララの動揺している最中に、声がかかる。勇気の声だ。その声を受けて、ララは立ち上がっている彼の方を見上げる。
勇気は、ララの横たわっているそのすぐ脇に立っていた。そうしながら彼は、ララの掛布団の上に置かれた小さく白い手に目を向けた。そしてそれを彼は両手で取って、覆いながら語る。
「これから多分、また悪意を受けたりする。俺も、お前も。だが、二人なら大丈夫だ。絶対だ。二人ってのは、単純に二ってわけじゃない。一が単純に二個あるのとは全然違う、差がある。そうさ、俺達は同じ。二人で一緒にいれば、悪意なんかには負けたりしない」
そういう話を、勇気はララの手を覆いながら言った。ララは、それを最初は疑問、途中からは恍惚を持って聞いていた。
何から来る恍惚か、それは勇気の温かさ、温もりである。手から、言葉から、心から響き渡るような温色。ララはそれを感じて頭をぼやけさせた。ある種、クスリのような感じでもある。
そうなったララの取った行動は……
「勇気!」
「ふごっ……え?」
ララは、勇気の頭を思い切り抱き寄せた。自分の胸に、顔面を押し付けさせるようにだ。
説明しておこう。前回、ララは下着をしていないという話をした。それに、涼のブラが合わなかったことから、彼女の胸はちゃんと質感のある胸ということ。そんなララの谷間に、勇気の顔面は、もにゅっ、という感じで押し付けられてしまったのだ。
「や、やめ……ヤバい」
勇気は自分の煩悩が暴れだそうとするのを感じ、抱きしめられながら抵抗の意を示す。当たり前だ。年頃の男子が、ブラなしの胸の谷間に顔を押し付けられて正気でいられるはずもない。勇気は鼻血を出していないだけ良い方だ。
だが、彼の抵抗空しく……
「駄目。っていうか、さっきの言葉はもうこうしてって言ってるようなものだったじゃない」
「チ、違う。そんなつもりは……」
「うるさい!」
むにゅっ
(ひゃう……うぅ……)
ララは勇気の顔を更に自分の胸に押し付けた。勇気の顔に、それが食い込む。彼は一瞬にして顔面を紅色にした。ララに悪意や他意はないとはいえ、勇気は自分の感情を抑えきれない。ララは目を瞑っているために気付かない。だが、どこかからか感情というのは漏れてしまうものだ。
それは、勇気の口元に現れた。一瞬だけ、ニヤついてしまったのだった。この状況から逃れようとしながらも、有り難いと思っていたのだ。
(クソ、まずい……このままじゃ……。ヤバい、辛すぎ……いや気持ちいい……ってやめろっ!!)
勇気は、失いかけた自分の正気を、一喝で何とか取り戻す。そうした後で、もう一度ララに言う。
「……なあララ。流石に、ずっとこうするってのは……」
「うるさい。あと一時間はこうするから」
だが、勇気の提案などララは聞き入れなかった。寧ろ、また力を込めた。勇気の目の前に、またそれが押し付けられる。そんな状況になりながら、勇気は折れかけていた。
(ああ……もういいかな)
彼は力づくで何とかすることも出来たが、流石にそんな気にはならなかったのだ。それに、ララだって初めて感じる温もりと言っていた。自分にそういうつもりがなくても、応えるべき……
というのは建前。勇気は自分の頭を覆う温もりに、本当は酔っていたのだった。
(ああ、初めて感じる感覚だ……あったかいし、柔らかい……)




