構わない、何があっても
ね、フツヌシ。ありがとうね、分かってくれて
ん、何がだ? 俺は別に、お前に何かしたつもりはないぞ
ふふ、そんなこと言っちゃって。よく分かってるくせに……希望を信じてくれて、ありがとう
……フン、どうせ達成は出来ないだろうがな
もう! アンタはいつもそう言うじゃない。すぐにネガティブな方向に考えるんだから
あうあ、う……す、すまん……
でも、まあ分からなくもないわ。突拍子も無い話だもの。“全ての生き物が己が意思で前に踏み出せる世界”、なんて
……無理だろ。そんなの
……! アンタはまた……
でも、お前の見る希望なら、信じることが出来なくても構わないさ。俺は……お前のために刀を持つよ。お前の希望の、その向くままに
…………! ふふ、フツヌシ。私はアンタのそういうとこ、大好き
っ! …………んん!
恥ずかしいの? ほれ、ウリウリ〜
「ぐっ!」
「頭が……!」
勇気とララは、同時に頭を痛め、膝をつく。それは、今しがた目の前に走った映像によるものだろう。
今、二人の頭には目の前の男、フツヌシとある女性が向かい合って会話しているのが見えた。背景は簡素な日本の家の一部屋だった。薄緑の畳、木を剥き出しにした天井、襖、そのどれもが綺麗ではなかった。だが、汚いわけではない。落ち着く雰囲気、使い込まれた家という感じを醸し出すシミが、視覚だけでにおいまで感じさせるような一部屋。
その中で、フツヌシと女性は穏やかな表情で、あることについて語り合っていた。女性の夢に、フツヌシがついて行くという旨の会話。それに、勇気にとってその女性は見覚えがあった。そう、初めて涼と会い、フツヌシと対峙した時に頭の中に流れた映像の中で、腹を割かれていた女性。
それを思い出した勇気は思わず、口元を手で押さえかけた。だが、すぐに思い直し、目の前へ視線を戻す。
(確か……前にもこんなことが……あの女、いいや!)
そうだ。今は決して、そんなことをゆっくりと考えていられるような状況ではなかったのだ。フツヌシが、目の前から刀を持って走ってきている。今にもその切っ先は、勇気かララかを捉えんという具合だ。
それを目にした勇気は、すぐに行動を起こす。呆気にとられたという感じのララの手を引き、部屋の奥へ駆け出したのだ。
「ララ! しっかりしろ!」
「……あっ! ごめん勇気」
「逃げるんだろ、お前の作戦だ。お前がいなくちゃあ駄目なんだ! 行くぞッ!!」
勇気は大声を上げてララの意識をしっかりと覚醒させ、その手を引いた。ララも、鬼気迫る様子の勇気にすぐについて行く。そうしながら、勇気は前へ目を向ける。前、特に部屋の壁にはめ込まれていた窓だ。それを見て、歯を食いしばって自分に言い聞かせる。
(さあ、神崎勇気。ビビるなよ……)
後ろからはフツヌシが迫る。勇気とララが全力で走っていても、すぐに追いつかれてしまうだろう。怯えている暇はない。行くしかないのだ。勇気は決心を固め、大きく一歩を踏み込みながら大声を上げる。
「ジャンプしろララ!!」
「うんっ!!」
勇気の呼びかけに応え、ララは勇気の前に大きく飛び上がる。それを目に入れた瞬間、勇気は前に両手を差し出してララを抱え、また走る。お姫様抱っこの形だ。
それを背後から見ていたフツヌシは、思わず目を疑う。
「何を……一刻も早く逃げなくてはならないというのに、何故こんな不合理な……」
だが、彼は勇気とララの奥の窓を目に入れて、二人の思惑を理解する。気付いた後は、驚愕に足を思わず止めてしまう。それが、普通では有り得ない選択だったからだ。
「まさか、貴様ら飛び降りるつもりかっ!!? ここは五階だぞ!?」
そうとしか思えない。勇気はララを抱えながら、頭を窓ガラスへと突っ込ませようとしていたのだから。いや、しようとしていたではない。
「その通りだッ!」
勇気はララが顔を怪我しないように彼女の顔を手で覆いながら、腕を使えないために、思い切り頭をガラスに叩きつける。
ひび割れる音、そしてガラスが飛び散った。勇気の顔と、肌と、頭にガラスの破片が突き刺さる。それによる刺すような痛みに、勇気は思わず顔を歪めた。
「んぐっ……!」
だが、そんなことでは彼は止まらない。勇気は一歩を踏み出して、割れた窓の桟に足をかけ、空へと体を発射させた。
「ぐぅぅぅうううおおおおおおあああぁァァァ――ッ!!!」
自分自身の恐怖心を乗り切って、痛みなどは目に止めることもなく、叫びながら足を思い切り伸ばして廃ビルから飛び出た。二人の背を追っていたフツヌシは、それをあんぐりと口を開けて見ることしかできなかった。
「何故だ……。何故、そんなことが出来る……」
(構うものか! 痛みも恐怖も、フツヌシ、お前にどんな事情があろうと! 俺は守りたいと思ったものを守る!)
勇気はララを抱えながら五階から飛び降りて、宙を舞っている間に空を見上げてそう心の中で気高く叫んだ。彼の目には、迷いはなかった。
ただ一つの嘘を除いて。
勇気は自分の身とララの身が回転しながら、重力に逆らえずに下へ落下していくのを感じる。それに対して、恐怖を感じていたのだ。
それはもう、小便を漏らしそうなほどに。飛び出した直後こそ、彼は決心のために涙を流すことはなかった。だが、体が足の力の勢いを失い、完全に落下し始めると彼の顔には恐怖がありありと刻まれた。そうして、さっきまでのとは同一人物とは思えないほど、情けない悲鳴を上げる。
「キャアアアァァァァーーーッ怖い怖い怖いーーーーーッ!!!」
勇気はもう、泣き叫ぶことしか出来なかった。
だが、彼に抱かれていたララは違う。彼女はグルグルと回転しながら一直線へ地面に向かうのを全身で感じながらも、目を閉じ、静かに心に決心を固める。
「次は……私の番!」
そうして、目を見開いて地面を見た。しかと、どうやって自分達の身を支えるか考えるためだ。そうして、どうすればいいのかを一瞬で理解した彼女は、それを行動に移す。
(君に会うまでは、ほとんど自分の意志じゃ動かせなかった。けど、今なら動くって信じられるから!)
ララの長い金色の髪が、一瞬、落下している最中で陽光を受けてキラリと輝く。その様、まるで宝石のよう。そしてそれは一気に体積を増した。滝のように、ララの頭から地面へと勢い良く伸びたのだ。そして地面に辿り着くと、その一本一本が筋線維のようにうねる。
ララは髪がそうなった瞬間、顔をタコのように赤く、そして膨らませ、力を入れる。
「ふぬうぅぅぅぅーーーーッ!!」
気合の声を上げて、自らの髪に力を入れた。自分の身と、そして自分を支えてくれた勇気の身を守るために。
そうして、少しの時間がたった。ララと、そして先ほどまで泣き叫んでいた勇気は、いつの間にか自分達が地面の上に立っているのに気付く。ララは無意識に髪を動かしていたのだ。彼女が目をつむって、体中に踏ん張りを入れた辺りから、だ。髪の毛は地面へと伸びて二人の体を支えながら、ゆっくりと二人を地面に降ろしたのだった。
それを理解した瞬間、一気に二人の体から緊張が解ける。
「……っはぁぁ~……はっ、怖かった」
「うん。勇気……あ」
だが、解けたのは緊張の糸だけではない。ララの力も、解けてしまった。彼女は先ほどの髪の酷使のせいで体力を失い、その場に崩れ落ちたのだ。それを目の端に捉えた勇気は、すぐに彼女の方へと駆けよって体を支える。
「大丈夫かララ!?」
見下ろしてみれば、ララは大分具合が悪そうだった。頬が紅潮して、息が荒い。だが、そんな風になっても、必死に勇気へ警告する。
「勇気」
「あ、何だ? 言ってみろ。その間にでも、妖館に……」
「まだあいつ、追ってきてる」
「あ? ……あ」
満身創痍のララの警告を、すぐに勇気は理解した。それは、彼の耳にフツヌシの心の音が聞こえてきたからだ。詳しく言えば、その音源が移動しているのを把握したからだ。廃ビルの階段を、下りてきている。
それを理解してか、ララは勇気の腕の中で廃ビルの方を見ながら言う。
「逃げ……て。私を助けてくれた、勇気、君だけでも……」
そう言った彼女は、すぐに意識を失う。まるで、それだけは言いたかった。伝えたかったと言うように。それを受けた勇気は、表情を一変させて彼女の言葉を否定する。
「そ、そんなことが出来るか! ……くっ、もう……」
声を上げた後で気付く。ララが、意識を失っているのだと。だが、それを理解した勇気の行動は早かった。ララの体を持ち上げておぶい、妖館の方へと走り始めたのだ。
「こんなところで……ぐっ、残せるか。あんなことを言ってくれたんだ、そうでなくとも、救うと心に決めているんだ!」
自分に言い聞かせるように、勇気は走りながら言う。彼の体も、もう限界だった。さっきまでのフツヌシとの戦い、それにララの髪にジェットコースターのように振られたのが深く影響していたのだ。それにガラスも、彼の体の中に食い込んでいた。
ふいに、勇気は転んでしまう。ララの体も、思わず離してしまった。
だが、意志は決して手放さない。
「ぐあっ……く……。立ち止まる、訳には……」
すぐ、とはいかなかった。だが立ち上がり、またララの体を抱えて走り始めた。
だが、現実というのは非情である。しばらく、勇気がララの体を支えて走り続けた頃……
「手こずらせてくれたな」
「っ…………!」
勇気の背から、フツヌシの声がかかる。その声を聞いた勇気の背には、まるでそこに氷河期が降りて来たかのような、そんな冷気が走る。息が、白くなるような錯覚を感じる。体が、足が震える。もう動くことはないと、そう思いながらも気力だけで走らせていた足が、止まってしまう。緊張が、恐怖が、勇気の体を覆った。
そうしながら、恐る恐る背後へ振り返った。そこには確かに、刀を構えたフツヌシが立っていた。
「ここまで時間を費やしたのは久しぶりだ。だが、それもここまでだな」
そう言って、刀を振り上げて勇気達の方へと歩み寄ってくる。それを目に入れた勇気は、もう、走ることが出来なかった。体力も、気力も、尽きてしまったからだ。
(クソ……あと、もう少しだったのに)
振り返り、一歩、一歩。ゆっくりと歩く。勇気はそこまでして、自分の腕で気を失っているララを助けようとしていた。走ることは出来なくとも、歩いて。もしかしたらフツヌシが自分と同じスピードでずっと歩き続けるかめ、などという、有り得ない可能性を信じて。あるいは、フツヌシが自分達に同情するのを信じて。
だが、そのどれも叶わなかった。フツヌシは勇気達の背後に早歩きで向かって、振り返りもせずに歩く彼の背に容赦なく刀を振り上げた。
「……死ね」
足を引きずって歩いても、勇気はララを助けられなかった。彼の全力を尽くしたその行動でも、全くもって可能性はなかったのである。
ただ……
「久しぶりじゃの、フツヌシ」
ただ、その場にいたのはフツヌシ以外で、勇気だけではなかったのだった。
希望と、そして全霊は、確かに届いた。




