妖嫌いの神、二度現る
「やっぱり、声の聞こえない静かな町を歩くのは気持ちがいいな」
勇気は閑静な住宅街を、誰も連れずに一人で歩いていた。その顔には、安らかな幸せのようなものがあった。涼達と話している時は、キラキラした笑顔と言うような感じであったが、今は静かに口元に笑みを浮かべている。
(最近は大変で外にまともに出てなかったが……こうやって、一人で歩くのは楽になる)
ポケットに手を突っ込みながら、コンクリートの上を歩く。そうしながら、髪を撫でた。
勇気の顔、体、精神にまとわりつく今までの苦労や幸福から来る疲れを、この状況はこそぎ落としていくのだった。
(…………ん?)
ふと、勇気は眉をひそめる。何かの異音を、耳に止めたのだ。鉄の板に乱暴に爪を立てるような音と……木の床の板が激しく軋むような音。それがどこかからか、聞こえてきたのだ。
勇気は、その音に聞き覚えがあった。
(この音は……敵意と恐怖。それに……)
勇気の耳は、感情を捉える。そのために、人間や妖怪、その他の心情の様相というのを、事細かに理解することが出来る。加えて、心というのには人それぞれの音がある。人の声に違いがあるように。例えば、涼のは風鈴のような、鼬のは風が吹いて足を通り抜けるような。
そしてそのそれぞれの音というのを聞き取ることで、勇気は心の声だけで人を特定することが出来る。今、彼が耳に捉えたその音は……
(この音……あの男、確か、フツヌシ!!)
「だとするとこの恐怖の音は……まずい!!」
勇気は耳に止めた感情と、誰の色かを把握した後で今、聞こえてきた感情の主達がどのような状況にあるのかを予想する。そうした後、すぐにさっきまでの安らぎを忘れ、全力で音のした方へと駆けていくのだった。
「はっ……はっ……はぁ」
勇気は息を荒げながら走り続け、ようやく声のした方向、その発生源の近くへ辿り着く。そうして、もう目視できる範囲に来たはずだと首を回して辺りを見渡す。
(どこだ……どこから……こっちか!)
勇気は未だ鳴りやまない音の方向に当たりをつけ、角の多い住宅街を走り抜ける。そうしていると……
「や、やめて……やめてぇ……!」
まだ見えてはいないが、少女の声が勇気の耳に入って来た。その声を耳に止めた瞬間、勇気はハッとしてまた駆け出す。今の少女の声は、まるで死ぬ寸前のような、そんな状況で助けを求めるか細い声のように聞こえた。
(助けなくては……このノイズはきっと、妖怪……)
妖怪であるということを確信して、勇気はまた駆け出す。彼にはそれだけで、全然人間よりも救う理由になったのだった。
そうして、勇気はさっきの声がした方向への角を曲がった。すぐにそちらへ目を向ける。すると声のした方向には……
「面倒な……手間をかけやがって」
「いやぁ……死にたく、ない」
抜き身の刀をその手に持っているフツヌシと、長すぎる金髪の少女が家を囲う石の塀に涙目になりながら背を合わせているのがあった。少女は足を崩してその場に崩れ落ち、正面から刀を向けるフツヌシをブルブルと震えながら見つめている。
「さあ、終いだ」
勇気が二人の現状を確かめ終える間もなく、フツヌシは刀を振り上げた。それを見ると、少女は身を固まらせ、目を手で覆って、現実から目を背けようとする。
瞬間、時間が圧縮するように勇気は感じた。ゆっくりと、目の前の動きが進んでいく。彼は状況を、少し離れた角の方で見止めた。彼は少女が命の危険に晒されそうになるのを把握すると、すぐに弾かれるようにしてその場から駆け出す。
「やめろッ!!!」
走りながら、フツヌシの気を引くように声を荒げる。すると、勇気の思惑通り、フツヌシは彼の方へと顔を向けた。
「なに、一体……な、貴様は!」
刀を振り上げいていたフツヌシの体に隙が出来る。何せ、これからとどめを刺そうという時に水を差され、尚且つその邪魔をしてきた声の主が自分が逃した相手、それも人間だったのだから。驚愕の余り、彼は刀を振り上げたままで身を固まらせる。
その隙だらけの脇腹に勇気は、全速力で走り寄って肩から体当たりを食らわせた。
「どけッ!!」
「っぐ、この力……がはっ!」
勇気の全力の体当たりを、もろに腹に食らったフツヌシは通りを四、五メートルは吹き飛ぶ。神ではあるが、その隙だらけの体に勇気の渾身の一撃は深く刺さったらしい。十数秒は動けなさそうだ。それを体当たりの後ですぐに目で確認した勇気は、次に怯えている少女の方へと目を向けた。
「おいお前!」
「ふぇ……わ、私?」
少女は目を手で覆っていたために、状況の把握が追いつかない。勇気の声を聞いてようやく手を離し、目の前の状況をゆっくりと理解し始めようとした。
「え……これって……君が」
だが、状況を把握し終えるのを待つ暇は勇気と少女にはない。勇気はすぐにその少女の手を取って、フツヌシを吹っ飛ばした方向とは逆の通りへ突っ走る。
「そんなことはいい! 放すなよ!!」
「あ……え、うん!」
少女は自分の腕を引っ張る勇気の声に、返事をした。どうやら彼女は、少なくとも勇気が自身を助けてくれた存在だと理解したらしい。必死に走る勇気に従い、通りを二人で駆け抜けるのだった。
「……がふっ……く、この力。本当に、奴は人間か……?」
一方、取り残されたフツヌシは地面に手をつきながら起き上がっていた。その口の端からは、一筋の血が流れ出でている。その原因は、勇気の体当たりだろう。その血を手の甲で拭いながら、刀を杖のように地面について立ち上がる。
「……まあいい。どうあれ、危険。そして妖怪と、自殺した人間とあれば……殺す他、選択肢はない」
刀の柄を握りしめ、自分に確認するかのようにそう言ってフツヌシは通りを駆け始めた。




