意外と普通
「す、すまないな。さっきは気が動転してた」
「……覚えておくよ。いつかし返す」
勇気が意識を取り戻すと、鼬が彼の目の前で手を立てて謝っているのがあった。時間がたって、落ち着いたのだろう。だからこそ、さっきした自分の理不尽に気づいた。
だが勇気はそれに対し、湿った目で睨み返した後で、ため息を吐く。元の目的へまた、戻るのだ。
「まあいい。勉強、するんだろ」
「あ、ああ。悪いな」
「いい、別に謝らなくても。恋は盲目って言うし、まあ実際、そうなってる奴も見たことあるから」
勇気は鼬の心配を、今までの経験を挙げて大丈夫だと安心させようとする。が、鼬はそれをちゃんと受け取れてはいないようだった。未だ、少し俯いている。
それを見た勇気は、そうだな、とそう言って顎に手を添えた。
「ん……そうだな。じゃあ代わりに、質問に答えてくれよ。今日だけでも、また疑問が多く出来たし」
「質問? あ、ああ! そんなことで、償いになるならドンと」
鼬は勇気の言葉を受け取って、それを救いだとでも思ったのかすぐに笑顔になる。都合のいい奴だな、勇気はそうフッと笑ってから疑問を口にした。
「じゃあまず一つ目。お前達って、学校とか通ってるのか?」
今日一つ目の疑問。というか、これが大部分を占めているだろう。だって、勉強しているのだ。受験に受かるために。それはつまり、学校に通っているということだ。
その勇気の問いを受けると、鼬はああと声を上げて説明する。
「通ってるぜ、大体はな」
「ふむ……じゃあ、必要なのか? 仕事とかするっていうのが」
「まあ必要だな。衣食住を整えるために。今は天翔さん達に世話してもらってるけど、いつかは一人で立たなくちゃならない」
「へぇ……人に溶け込むのか」
勇気は半分興味、半分気に入らないという顔をする。そうしてまた、鼬の顔に目を向けた。勇気の目には今、教科書などは入っていなかった。ただ、妖怪に対する疑問のみ。
そうする彼の耳に、鼬の一言が入ってくる。
「人に溶け込む、ね。まあ間違っちゃいないよ。そうするのが、一番楽な生き方なんだ」
人に溶け込む、それが一番楽な生き方。勇気はそれを耳にして、眉をぴくつかせる。不愉快だと感じたのだ。
「なあ、鼬」
「ん、なんだ勇気。まだ聞きたいことでもあるの……」
「妖怪が人間を征服するってことはできないのか」
…………
一瞬、鼬と勇気の間に沈黙が広がる。勇気は真剣な表情、鼬は少し、触れてはならないものに触れてしまった時の、焦燥の表情を浮かべている。
勇気の放った言葉、妖怪が人間を征服する。それが可能かどうかに関わらず、勇気の発言はやはりおかしい。何故に、そんなことを望むのか。
鼬は冷え込む気配を感じて一筋の汗を垂らしながらも、それを探ろうとする。
「ん……できないんじゃないかな。ま、まず数がな。それに、色々な兵器とかがあるだろ? ……それでどうして、んなことを?」
「……妖怪の方がきっと、生きる価値があるからだ」
「……どういうことだ」
「今まで生きてきて、人間は駄目だということをしっかりと理解したんだ、俺は。それに引き換え、お前達妖怪はこんなにも綺麗だ。綺麗すぎる。汚濁一つない」
勇気は、鼬の疑問を露わにした顔を無視し、自分一人で語りだす。
「俺はさ、真っ当に生きようとしたんだ。働いて、他人のためになって、他人を助けて……。だがそれでも、駄目だったんだ。俺は駄目だった。救おう救おう。そう思って動いても、駄目だった。逆に死んだよ。……人は命を助けられないんだ。俺だって、本当は周りのために頑張ったんだぜ? でも、二人も。この具合じゃ、ただ生きているだけで人間は命をいくつ浪費することになるのか分からないんだよ……。あっ」
語り終わって、勇気は気付いた。自分が妙なことを鼬に話してしまっていたことに。自分の世界に入り込み過ぎていたのだ。
それを認識した彼は、すぐに鼬の方へと目を向けて謝る。
「わ、悪い。妙な話したな。ごめん、勉強に戻ろう」
「あ、ああ。いいんだよ。こっちこそごめんな。デリケートなところに触れるような真似、しちまって」
鼬は勇気の謝罪を逆に、軽く謝って返す。それは勇気の、触れてはならない部分に触れてしまったと、彼の語り口を聞いて確信したからだ。
だが、それだけではない。加えて、勇気が語っている時の目だ。それまで彼は、ずっと希望に満ち溢れている目をしていた。昨日一日中、そして今日今までも。
だが、その一瞬、語っている間、人間について語っている最中だけは、目に淀みが浮かんだのだ。
それを思い返して、鼬は息を吐く。
(あの目は……あの目は、どんなことがあったら出来るんだよ。分かんねえ。なんか、夜の闇に何重も黒い布をかぶせて、その奥にまた沼が広がってるみたいな。……うっ)
一瞬、鼬は思い出す。勇気のその、淀んだ目を思い出して、それを重ねたのだ。ある人物の目を。それは……
(同じだった……。フツヌシの、目と……)
フツヌシだ。彼は自分が襲われた時のことを思い出して、肩を震わせた。
彼の頭の中の情景。その中で、フツヌシのスーツは赤に染まっていた。その赤は血。彼の手に持つ刀にもそれは付着している。そして、鼬の視界の端には赤の髪の少女が倒れているのだ。小さい、十歳ほどの少女。
それを脳裏に垣間見た鼬はまた、ブルブルと震えた。左手の指で右手をつねり、何とかしようとあがくが止まらない。歯ぎしりを立てても同じこと。
(……思い出すなよ。クソ……)
「おい、鼬」
「……あっ!?」
鼬が自分の記憶と格闘していると、勇気の声がかかる。それに対し、鼬は過剰な反応をしてしまった。恐怖の最中だったから、外からの干渉に驚いたのだろう。
すぐに失礼なことをしてしまったのに気付き、軽く勇気へ頭を下げる。
「悪い。ちょっと、嫌なこと思い出してた」
「そうか……。まあ大丈夫だ。それよりも、あれ……」
「ん、あれ?」
鼬の謝罪は勇気に軽く受け流される。勇気は鼬の動揺に気付かなかったのだろうか。それは、鼬には分からない。
だがともかく、話は前に進む。勇気はある方向を指差して、心配そうな表情をしていたのだ。動揺をやっとのことで拭いきった鼬は、彼の指差す先を目で追った。
勇気の示す方向には、マーレが涼に勉強を教えているのがあった。が、普通の状態ではないのであった。




