孤児院、ハッピーハウス
「ここか……」
十時辺り、ある大きめな建物の前で天翔は紙を持ち、それと目の前の建物を見比べていた。朝の陽光が白く輝き始める時分で、彼が用事があったのはこの建物だ。
その建物には建造物のすぐ前に広めの運動場のような場所があり、幼稚園だったり、子供が遊ぶための施設だということが掴める。保育園のような、そういう雰囲気もある。広場で遊んでいる子供達がその印象を強めていた。
そうして場所の確認を始めてしばらく、天翔はここだという確証を目の端に捉える。
「ハッピーハウス……。ここで間違っていないな」
天翔は紙を懐に突っ込んで、息を吐いてから建物の方へと向かった。
天翔の持っていた紙。それは勇気の住所やらを書き記したものだ。昨日の内に、太三郎が聞いておいたもの。彼はそれをあらかじめ、天翔へ渡していた。孤児院、ハッピーハウス。
そして、彼がここに来ていた理由。それは……
天翔は建物の入り口、そのすぐ前までたどり着くとチャイムを鳴らす。そうして、中に向かって声を上げた。
「すいません。ちょっとよろしいでしょうか」
中の人間を呼ぶ。そうしてから、一つ後ろに下がってドアが開くのを見る。すると、しばらくして……
「クソ……今は大変だというのに……」
耳を澄ませていた天翔の耳に、それがひっかかる。中から、男声が聞こえてきたのだ。大分イラついている様子だ。それを聞いた天翔は、少しだけ眉をひそめた。
そうしてすぐ、扉は開いた。
「すいません、お待たせしました。今回はどのようなご用件でしょうか」
扉の奥から制服と思われる白い服を着た男が出てくる。男が出てきてすぐ、天翔は彼の様子を下から上まで見た。
(平常、ではないな。何か妙なことがあった……勇気か)
「ちょっと気になることがありまして……。今日、私共の家のポストにこれが」
天翔は観察だけでなく、嘘を言って男に紙を差し出す。それは先ほどまで、彼が見ていたものだ。男は天翔の手からそれを受け取ると、すぐに表情を一変させる。驚きであって、他ではない。
「これは……ここの住所ではありませんか」
「ええ、そうなのです。そして、これが同封されていました」
そうして、もう一度懐に手を突っ込む。次に取り出したのは、少し大きめの一枚の紙。それを男に差し出す。さも、申し訳なさそうに。
「これは……?」
「すいませんが、中身を拝見してしまいました。これは、あなた方の所でお世話になっていた子のものではありませんか? 神崎勇気という少年から、あなた方への手紙です」
「……神崎、勇気……」
天翔は勇気の手紙と言って、紙を手渡す。
これは嘘だ。天翔の、真っ赤な嘘。この手紙は、天翔が書いたものだ。内容は……
今までの人生、あなた方にお世話になりました。これまでのご恩を忘れたことはひと時たりともありません。ですが、私はもう耐えられなくなってしまったのです。この先を生きて、耐えられるかどうか分からない。ですから、私は一人でどこかへ行こうと思っています。どうか、心配はしないでください。迷惑はかけたくありませんから。
……だ。
(すまないな、勇気。これが私のやり方だ)
「遺書、ですか?」
「多分。ですが、探す価値はありますよ! だって、旅に出るとしか書いていません!」
天翔は手渡した紙を凝視する男に対し、必死に言った。必死を偽るようにして、できていない風だった。
本当に必死だったのだ。勇気のためを思い……。そうしながら、また懐に手を入れてまさぐる。今回は何を出すこともない。懐に入れていた、ある機械にスイッチを入れたのだ。
天翔はそうしてから、男の様子を見る。彼の目が偽造の手紙に向いている間、鋭い目を光らせて。その目的はただ一つ。
(何か、何かあるか。勇気の問題に直面する決定的な何か。それか、彼の問題を解決してくれるような何か。心配しろ、勇気を!)
天翔は優しかったのだ。太三郎に、子らが解決することだと言っておきながら、自分は勇気に手を差し伸べようとしていた。
だが……
「なるほど……分かりました。ありがとうございます」
「………………!」
何もなかった。男は無表情で手紙に目を通した後、無表情でそれをしまいこんだ。
いいや、それだけではない。無表情ではない。手紙を懐にしまう時、彼は口元に一瞬だけ、醜く歪んだ笑みを浮かべたのだ。笑みは隠れるように一瞬で消えたが……それを見止めた天翔は、肝が奥から冷え込んでいくのを感じる。
(なんだ……この男)
「すいません、ちょっといいですか?」
「はい、なんでしょう」
「何か……言うことはないのですか?」
天翔はつい、問うてしまう。男が神崎勇気、そうでなくとも、自分達が経営している孤児院の一員が一人、自殺したかもしれないのだ。それに対しての、この無反応。どう考えてもおかしい。
「自殺したのかも、しれないんですよ? 神崎勇気君が」
「はあ……そうですね。誠に、悲しく思っていますよ」
無表情だ。圧倒的、無表情。勇気の自殺に対して、何も思っていない。思っているとしたら、先ほど口元に浮かべた笑み。愉悦。
「本当に?」
「ええ。……あなたが帰ったら、すぐに警察に連絡しますよ。捜索願を。……あの、私達、今忙しくて……。それにまたやることも増えましたし」
その言葉を、男は平然と吐いた。やることが増えた、と。実質としてはそうだ。間違えてはいない。やること、そうだ。間違っちゃあいない。
だが、子供の自殺の捜索、それを“やること”という一つのグループに括って一言で片づけるなど、どう考えても正気ではない。
天翔は思わず、表情を崩す。
「…………テメエ」
「あの、さっきも言いましたが私達は忙しいんです。ここは……」
「死ね」
天翔は男が言い終える前に、自分と男を勢いよくドアを閉めることで別った。彼はもう、話す価値がないと踏んだのだ。そうして振り返り、帰路を急ぐ。
「クソ……どうしてだ。どうして……」
早歩きで朝の通りを歩きながら、天翔は表情を歪めて額を押さえていた。それは、失望からでもあり、苛立ちからでもある。
彼は期待していたのだ。勇気を世話していた孤児院の連中は、本当は勇気を心配してくれているのではないかと。だが、そんなことはなかったのだ。
「……まあいい。ともかくは、奴自身が問題を解決することだ。早く帰ろう」
額から手を離して、それに合わせて思考を切り替える。次に考えるのは、勇気の保護者の事でなく、彼自身の問題だ。
天翔は歩く。子供達が悩み、苦しむ透明な問題達の上を、一足、一足と踏みしめるように。




