入学式へ
昨日の意味深な鼬と太三郎のやり取りの次の日。また、勇気が鈴木という自分の業を表したような人間と会ったその翌日。また、マーレが自分の過去をララに語ったその翌日。様々なことがあったが、何も完結を迎えることはなかった次の日だ。
「さて、お主ら今日、入学式じゃったよな」
珍しく朝に起きた太三郎。彼は食堂に子供達を集めていた。子供達とはすなわち、勇気に涼、鼬とマーレ、ララ、それに琴音である。
彼らは太三郎の言葉通り、入学式に備えるために向かう高校の制服を身にまとっていた。そして、太三郎の話を聞いていたのだ。
当の太三郎は、少し気だるげに話していた。
「ま、最近の世の中じゃ一番楽しいと言われる時間じゃ。初日からつまずかぬよう、励むのじゃぞ。んじゃ、儂からそこまで言うことはない。行ってらっしゃい」
太三郎は気だるげにしながらも、話すべきことを話し、子供達を見送る言葉を言った。対し、子供達はありがとうと言って椅子を立ち、自らのバッグを持って食堂を出る。そして、玄関へ、外へ、未来へ向かうのだった。それを、太三郎は遠い目で見守る。
……ただ、一人だけ太三郎の方へ残った者がいた。
「あの……太三郎さん」
「む、何じゃ?」
それは琴音であった。彼女は少しだけ申し訳なさそうにしながら、食堂の椅子に座ったままの太三郎の方へ歩み寄ってきたのだ。
「いや、その……本当に、世話になりっぱなしだなって、思って」
「ああ……そんなことか」
琴音が気にしているのは、自分が世話になっているのに、その代価を支払えていない事だった。
「そんなことっつったって。高校の費用は結構なもので、生活費だって……」
「そんなこと、じゃ。子供がそんな難しいことを考えるでない。子供は自分のしたいようにするもんなんじゃ。生活費や学費、その他諸々を出来るだけ考えなくてよくさせるのが大人の務め。儂はただ、当然のことをしてるだけじゃよ。お主の場合は特にじゃ。これから、他人よりもっと自由に、手を広げて生きるんじゃ」
「太三郎さん……」
太三郎の言葉を受けると、琴音は何も言えなくなる。悪い意味ではない。圧倒されて、感動して、そういうものだ。
ともかく、そう言って太三郎は琴音の背の方を指し示す。彼女はそれを受けると、首を傾げて太三郎の指が示す方へ目を向けた。そちらには、勇気達五人が待っているのがあった。
それを見て、太三郎は言う。
「友がいるんじゃ。何とかなるじゃろ? さ、細かいことは考えず、行くんじゃ」
「っ……。はいっ!」
太三郎の言葉を受け、琴音は走り出した。自分の友達が待つ方へ。細かいことを考えるのはやめにしよう、そう思えたのだろう。
太三郎はそれを、友達に迎えられて遅いとなじられる琴音を、尊いものを見る目で見つめていたのだった。
「愛音さん。子供達はもう行ったッスね。んじゃ、休憩するッスか。胡瓜でも……って」
一方、こちらは他の妖館。河野という天翔を溺愛する女性の妖怪がいる妖館。そこでは、彼女とこの間にそこへ加わった愛音が食堂で話していた。どうやら、学校へ通う子供達を見送り終えた後らしい。少しの休憩を挟もうとしているらしかった。
ただ、そんな河野の視界にあるものが入ってくる。それは、食堂へいつの間にか現れていた天翔であった。
「天翔さんッ!」
「え、鳥山さん?」
「どーしてこっち来たんッスか? 何か用事でも……」
河野が天翔の登場に対して驚きを示すと、愛音もまた天翔の存在に気付き、驚きを露にする。
二人の女性が自分に向かって驚愕するのを見て、天翔は面倒そうに説明した。
「少し伝えたいことがあってな」
「私に対する愛の告白ッスか?」
「違う。伝えることがあるのは堀田さんの方だ」
「え、私に……(ポッ)」
「何で頬を赤く染めるんだ。違うぞ。伝えたいのは別にそんなことじゃない」
二人の女性の感情を、天翔は一瞬にして払いのけて本題に入る。女性達は少し残念そうな顔をしながらも話を聞くのだった。
「あ、はい。すみません。それで、何でしょう?」
「分かってるんじゃないか? アンタの娘、琴音の入学式だ」
「………………」
天翔の言葉を耳に留めると、愛音は顔を俯かせる。まだ、触れることの出来ない話のようだ。それを、天翔はすぐに読み取った。
「悪かったな。急すぎたか」
「いえ、そんな。伝えてくれてありがとうございます」
「うむ。では。またこれからも何かあったら伝えよう。まあ、このことだけだ。河野、今後も堀田さんのことを頼むぞ」
「あ、はいッス」
天翔は必要な事だけを言い終えて、すぐに踵を返す。彼としては、琴音の話を長引かせないのは愛音につらい思いをさせない、その意識によるものだろう。その意思のまま、彼は食堂を、そして妖館を後にするのだった。
しばらく沈黙が続いて……河野は隣で俯いている愛音を見た。憂鬱そうだ。決して琴音のことが嫌いだというわけではない。ただ、彼女に会えない自分に対しての嫌悪だろう。
それを見た河野は、なんとなく口を開く。
「ゆっくりでいいと思うッスよ」
「え」
「急ぐ必要はないッス。お子さんがどういう意志であれ、真っ直ぐ彼女のことを見てあげられない状態で会っちまう方が失礼ッス。だから、自分のしたこと、お子さんの気持ち、ゆっくり考えて、何かきっかけがあったらでいいと思うッス」
河野は何となくで、愛音の心を安心させた。彼女に母親の経験などはない。ただ、言いたいことを言ったのだ。
「……ありがとうございます、河野さん」
そしてそれは結構、愛音の心を本当に、安心させたようだった。愛音の顔に浮かんでいた緊張が、少し緩む。その頬に、小さいえくぼまで作って河野に礼を言ったのだ。
河野はその礼を受けると、むふ~と少し誇らしげにして腕を組むのだった。
「大丈夫ッスよ。私に支えられるなら、そうするッス」
「……はい。本当に、ありがとうございます」
「あは~礼はいらないッスよ~……。それより」
愛音の礼に対し、また気楽に対応した後で……急に、河野は冷静な表情になった。そんな顔で、愛音の顔を覗き込むのだ。突然な事で、愛音は少しビクッと肩を震わせて河野の方へ問いかける。
「どっ、どうしました?」
「……もしかして、天翔さんにホの字ッスか」
「…………へっ!!?」
河野は問う。愛音に、お前は天翔に惚れているのか、と。その問いを受けると、愛音はつい、大声で疑問を示してしまう。それでまた、大声で否定を入れる。
「そんなことありませんよ! なっ、なんでまたこの年でそんな……それに私は既婚者ですよ? 離婚しましたけど。本当、嫌なことがあって未練なんて一つも残ってないですけど。だからと言って、それで鳥山さんに心を奪われるなんてことは……」
「……だったら、惚れてもおかしくはないッスね」
「いやッ違いま……」
「……まあ四十近くのバツイチをライバルに据えるのも違う気はするッスね」
「は?」
愛音は河野の物言いに、流石にキレそうになる。こめかみ辺りに、青い血管が浮き出た。彼女とて、元は男勝りな性格。状況が状況で、そのアイデンティティが出る機会がなかったが……
ともかく、ここからは下卑た女性二人の言い合いである。
「どうでしょうね。若いからと言って、それは武器にならないと思いますよ。それに、バツイチとかそういうのを誇る訳じゃないですけど、そういうのが好きって人もいます」
「え、何でそんな急に強気……」
「それに、河野さん。私は結構、自分の体に自信を持っているので。あなたは……うふ」
「なんスかその目。なんなんッスかその下品な目はッ!?」
「いえ別に。ただ、栄養はちゃんと取らないと……」
「ぶん殴るッスよ? 年上で天翔さんに頼まれているとはいえ、それ以上言ったら手が出るッスよ」
「ああいえ、私は心配しただけなので……」
「くっ……」
ただ、愛音もこういう下らないやり取りが出来るくらいには回復できたという事だろうか。ともかく、彼女の口元には少しの笑みがあった。以前ではありえない、確かな笑みが。




