収まらない怒り
「本当にありがとう、マーレ。お前がいなかったら、大分まずかった」
槍を腕に刺され、呻く鼠田が目に入っていないかのような感じで勇気がマーレを振り返る。彼はどうやら、自分を助けてくれた彼女に礼を言いたかったようだ。
それを受けると、マーレは肩をすくめて別にという風に口を開いた。
「いや、大丈夫よ。ただ単に、あの部屋を出る前にアンタの服に私の体の一部を突っ込んどいただけ。アンタが一人の時、もしもがあって捕まるようなことがあったらってね。いやぁでも、万が一のことを考えてやった私に感謝なさい」
「ん、まあそうだな。ありがとうよ」
「……素直ね。まあいいわ」
マーレは勇気に対して適当な応対をした後で、チラと、鼠田に目を寄こす。彼の腕には、マーレの手に持っていた赤い槍が腕に突き刺さっている。それから来る激痛によって、彼は悲鳴を上げていた。それを見たマーレは、舌打ちをしながら歩み寄る。
「見苦しいわね……暴れるんじゃないわよ」
そう言い放つと、鼠田の腕に刺さっている槍を、わざと捩じるように引き抜いた。鼠田の腕から血が噴き出る。当然、彼は悲鳴を上げた。
それに対して、またマーレは可逆的な行動を取る。体を地面の上で捩る鼠田のことを、踏みつけるのだ。血の吹き出す腕を。
「ドブネズミが……一丁前に悲鳴上げてんじゃあないわよ。もしかしてさっきまでので、罪の清算が出来たとでも思ってるのかしら?」
「あがっ……うぅ……ゆ、許して」
「あ? 今、何て言ったの?」
マーレが鼠田の腕を踏みつけていると、しばらくして彼は、涙目になって懇願を始める。それは、自分の身の危険を感じての事だろう。震える口で、肩をがくつかせて、そう言った。プライドも何もない。重要なのは、自分の身だけという境遇の人間のする行動、浮かべる心理だ。救いだけを求める、その目。別に見下げているわけではない。
「頼む、命だけは……命だけは、助けて」
鼠田は腕の痛みに耐えながら、土下座した。
だが……
「……チッ、舐めてんじゃあないわよッ!!!」
土下座をする鼠田の頭を、マーレは蹴り飛ばす。こめかみを捉えるようにして、蹴ったのだ。鼠田の体は宙を舞ってビルの壁に叩きつけられる。彼は悲鳴を上げながら血を吐き、震えながら壁に寄り掛かる。既に、満身創痍という具合だ。
だが、マーレはそれだけでは終わらせない。
「く、ククッ……琴音と琴音のお母さんがやめろって言ったらアンタはやめたのかッ!!」
そう言い放って、また鼠田の顔面を蹴り上げる。今度は、壁が背にあるから吹っ飛ぶことはない。だが、今度は一発では終わらなかった。マーレは何度も、何度も、何度も何度も、蹴っても位置が動かないことをいいことに、鼠田の顔を蹴り続けるのだ。
「ほら、言ってみなさいよオラッ!! 小賢しい、アンタみたいなクソにッ、ええおいっ!? 許されるとでも、アアッ? 思ってんのかしらねぇクソドブ野郎ッ!!!」
マーレは鼠田の顔を数え切れぬほどに蹴る。いつしか、鼠田は悲鳴の声を上げるのをやめ、ぐったりとし始めた。肩が動いていることから、死んではいないだろうが……顔はまともなものではなかった。鼻は折れ、歯がスーツに何本が、転げ落ちている。
そこまでやっているマーレを、勇気は後ろで黙って見ていた。
(……まあ、当然の報いだろう。それに、マーレがあそこまで怒る理由も分かる)
彼は全く、自分の友人がしたことに関して悪いと思ってはいなかった。それがどれだけ残酷な事だろうが、彼は気にも留めなかったのだ。報いだからと、頷いている。その顔には満足感さえある。
二人はある程度ではあるが、ネジが外れた人間だったのだ。
そして誰も止めないから、マーレは自身にブレーキをかけることは出来ない。そうして、しばらく……
「さて、そろそろね……」
自分の手に持った赤い槍を翻し、気絶している鼠田の首へ当てた。槍は少しでも引けば鼠田の首を裂くだろう位置へ静止する。
それを見て、マーレは冷酷な表情をする。まるで命を奪っても、全く構わないというような目だ。
そして、何秒かした後……
「死になさい」
槍を、引いた。
「……お前は何をしている?」
「ッ! 誰よ!?」
「っ……」
突如、裏路地の中に声が響く。マーレが鼠田の首を掻っ切るその寸前だ。そして、その声の主はどうやら、マーレの腕を掴み、止めているようだった。マーレはそれを鬱陶しがり、手を払って声の主の方を見る。勇気も、異変を感じ取って顔を上げた。
二人の目の前にいたのは……
「は……なんで、先生がここに」
「先生? こいつが……話に出て来た?」
飯田であった。




