鼠田との対峙 2
「な、何をバカなことを言っているのよッ!?」
マーレは思わず、声を上げた。
それは当然だ。前回、勇気とマーレは鼠田と対峙を始めた。だがその瞬間、鼠田は姿を消し、そして数秒後に瞬間移動をしたかのように二人の後ろに現れ、勇気を殴ったのだ。今はその謎について、二人で話し合おうとし始めた時。勇気の案で、背後を取られないように二人は壁を背に合わせていたのだが……。勇気はあろうことか、壁から背を離し、一人で部屋の中央に立ったのだ。
その自分の安全を顧みないかのような勇気の行動に、マーレは声を荒げたのだ。
「また、また妙な……自分を犠牲にしようとしてるんじゃあないわよねッ!?」
次に、マーレは心配する。勇気の心の問題の事だ。今までに何回かした、自分の事よりも他のことを優先してしまうという彼の性情。それについてだ。
「アンタはもう一回殴られて、フラフラじゃない! 何か作戦があるなら私が……」
「いいや、別にいい」
「勇気、何かあるなら話しなさいよ!?」
「黙ってろッ!!!」
「っ……」
だが、マーレの言葉は勇気の確固たる意志を揺らがせることさえ出来なかった。寧ろ彼は、マーレに向かって怒鳴り声を上げたのだ。思わず、マーレは口をつぐんでしまう。
「お前は黙ってそこにいればいい。俺一人で何とかする」
また、勇気は独りよがりなことを言った。だが、マーレも引けない。引いてしまえば、勇気の身が危険。ゆっくりと、恐る恐る口を開く。
「……勇気……」
「静かにしてろッ!!」
だが、勇気が彼女の口が開くのを認めない。言葉を遮るようにして、彼は声を上げたのだ。その様子は、まるで鬼のようだった。そうして、圧倒的な意志の光を持つ目で、マーレを睨んだ。それを受けると、思わずマーレは黙り込んでしまう。
そうして、二人は傍から見ればまるで仲間割れを起こしているように見えた。精神的な意味ではそうでもないのだろうが、この戦闘上においては。片方は片方を心配し、突き放してまで守ろうとする。そうして、その片方は危険な状況へと身を投じるのだ。加え、両方の意志は食い違っている。こんなことでは、いつ鼠田に攻撃されるか分からない。
だが、勇気の意志は落ち着いていた。慎重に、耳に神経を光らせる。
(来やがる……いやらしい悪意を響かせやがって……)
彼の耳は、何かの動きを把握していた。そうして、その何かは、勇気の元へと……
「ここだッ!!」
突如、勇気は足を振り上げ、床に散らばった紙の束の一つを思い切り踏みつけた。そうして、少しの間だけ沈黙が広がる。緊張感のある沈黙だ。マーレにとっては勇気が訳の分からないことを言って地団太を踏んだように見えているのだから。
だが、その沈黙の中で勇気はフッと笑った。
「捕まえた。姿を現してみろ」
勇気はそう言って笑うと、自分の足が踏みつけている紙の束に手を触れ、破く。紙の束が覆っていた灰色の床には……
小さな黒い塊があった。それは……鼠である。どうやら勇気の足は、そいつの太い尻尾を踏んづけていたらしく、鼠は動くことが出来ないようだった。キーキーと、耳障りな声で喚いている。
自分の足が鼠を捕らえていると分かると、勇気は心配そうな表情をするマーレの方を向いて頷く。そうする彼の表情には、さっきのような怒気はなくなっていた。
「もう大丈夫だ。背中は壁に合わせなくていい」
「……何よ。一体、何が起きたって言うの?」
「ああ、それはな……」
勇気は足で鼠の尾を踏みつけたまま、マーレに説明する。
「さっきから、この部屋にいることは分かっていたんだ。こいつが瞬間移動してるんじゃあないってな。だが、少しだけ自信がなかった。何せ、今まで経験がない。こんな小さいのの心を読む、なんてのは。でも、大体わかったぜ、こいつの力は。鼠になる能力。恐らくは、さっきまでぶちまけてた紙の下、俺達が最初に入って荒らしちまったデスクの下を通って、後ろを取ったんだろう。その後で、鼠化を解いて殴る」
「へぇ、こいつがさっきのでかいの。信じられないわね。……でも、さっきの怒声は何よ。私、本当に心配したんだから……」
「悪い。だが、こいつが聞いてるかもしれないだろ? 部屋にいるんじゃないかと分かってたからな。それで、俺の作戦はこうだった。ターゲットを俺だけに絞って、こっちに引き寄せる。んで、寄ってきたところを捕まえる……っと。悪い、心配かけたな」
「いや、いいの。悪いって謝るのはこっちだわ。っと、そうじゃなくて……」
勇気の解説を受けた後で、マーレは改めて俯く。そうして、鼠を見たのだ。勇気の足に尾を踏みつけられ、無様にキーキー鳴いている鼠を。鼠田を。
「こいつ、どう始末を……」
だが、マーレはその言葉を最後まで言い終えることは出来なかった。
鼠の体が、急に膨張したのだ。そして、その体が変容していく。黒い毛皮はスーツへ、尻尾は引っ込んで、人体で言う尾てい骨の辺りにまで引っ込み……鼠田の体は、一瞬にして鼠から人間の体へとなり替わったのだ。尻尾はないのだから、勇気の足は意味をなさない。そして、その人体が取っていた姿勢は、拳を振り上げる姿勢だ。
尻尾を踏みつけ、余裕を感じていた勇気の反応は一瞬遅れる。
「なっ、何が……」
「勇気危ない!」
今度は、マーレが勇気を弾き飛ばす。だが、今回はそのまま拳を受けるのではない。その手に持つ槍の柄で、鼠田の振り下ろす拳を受けた。
鉄を強い力で撃つ鈍重な音が、部屋に響く。未だ、槍と拳はせめぎ合いを続けていた。ギリギリという音が周囲に響く。拳がうまく通らなかったことを理解した鼠田は、舌打ちをして顔をしかめる。
「チッ、不意を突けたかと思ったが……」
「……私、前までゴキブリより鼠の方がマシだと思ってたの。でも、考え直したわ。鼠の方がクソよ。でも、そんな鼠にもいい点が一つあるわ。踏みつけても、体液が飛び散りづらいっていう利点がね……」
マーレは目を漆黒に光らせながら、恐ろしい文句を重ねる。それを聞いた鼠田は、まずいと冷や汗をかく。それに、彼に冷や汗をかかせる要因はそれだけではないらしかった。マーレの槍と、拳がせめぎ合っているのが、押しているのだ。マーレの槍の方が、少しだけ。
それをチラと見た鼠田は、顔をしかめ、口を開く。
「そりゃあもっともだ。俺も、ゴキブリを見つけるとそのまま叩き潰せないことを悔しく思うよ。ただ、鼠はな。それを考えるまでもないんだ」
「分かんないこと言ってんじゃないわよドブネズミ。アンタにはクソした後の便所で土下座してもらわないと気が済まないのよ、似合ってんでしょアンタに」
「それはいいが……ネズミは体液のことを考える必要はないんだ。それはな……」
一瞬間のあと、鼠田は拳を槍から離し、後ろに飛び退く。そのせいで、マーレの槍は空を切った。それを見た鼠田は、その隙を突き……
「跡形もなく、逃げちまうからだ!」
スーツの懐から、新聞紙を取り出してマーレと勇気の間辺りに投げつける。だが、これはもう三度目だ。
「ワンパターンな思考しか出来ないクソッたれ哺乳類が!」
マーレは自分達の目の前へと新聞紙が迫るより前に、それを槍で切り刻んだ。そうして、自分の視界が狭まる数秒を短くしたのである。
それのおかげで、彼女と勇気の視界の端に、黒いものがうごめくのが映りこむ。
「あそこだ!」
「分かってるわよっ!!」
マーレは勇気に指示されるのを待たず、床を蹴り、その床をうごめくものへと槍を振り上げたのだった。




