遠回しの優しさ
「…………ん、んぅ。朝か?」
勇気は妖館の一室にて、安らかに目を覚ます。彼はベッドの掛布団を静かに前へ追いやって、体を起き上がらせた。そうして、頭を抱える。
(ここは……ああ、そうか。妖館……希望の)
勇気は先ほどの話での一件の後、そのままそのベッドで眠った。他の妖館の一同はそれを見送って、各々のその後を送ったのだ。これはそれより、しばらくした後の話。
「……改めて感じる。酸化し錆びついた心が、奴らの良心で澄んでいくのを……」
勇気は顔に手をやり、目から溢れ出てくる涙を押さえようとする。だが、しばらくしてそんなことをする理由もないと悟ったのか、フッと手を放してベッドの脇に足を下ろす。いや、別な目的を見つけたからだろう。
(飯を作ろう。そうだ、こんな希望を見せてもらっているのならば、せめて……)
立って、廊下に向かった。
「で、どうしたんだ? 何か用でもあったのか?」
「ん、そうね」
勇気は部屋から出て、廊下に向かった。すると、彼の部屋のすぐ前に、昨日に会ったマーレが緩い私服でそこに立っていたのだ。ふと、勇気は廊下の壁にはめ込まれている窓を見る。その奥には、青く輝く朝の色があった。大体五時か、その辺りだろうか。それを念頭に、勇気は問う。
「こんな時間にどうして俺の部屋の前に……もしかして」
「違うわよ、心配なんてしてない」
「……そうか」
勇気の言葉に、マーレは軽く目を逸らして応える。何かしら、隠したいことでもあったのだろうか。それに気付いた勇気は、あえてそれには触れず、自分がしようとしていたことを話す。
「俺、ここに世話になるだろ? だからこう、少しでも貢献できるようにご飯でも作ろうと思ったんだ」
「へえ、殊勝じゃない。あ、私は朝食いらないから今朝はいいけど、これから間違ってもニンニクは入れないでね。まず倉庫にないと思うけど」
「ニンニク?」
「私、吸血鬼だから」
マーレは赤い髪をいじりながら、さりげなく勇気にカミングアウトした。それに対し、彼は思ったよりも冷めた反応をする。驚くことなく、次の話へと移行したのだ。
「そうか、じゃあ考えておくよ。夕飯とか、昼食にしても、やりようはいくらでもあるだろ」
「……驚かないのね」
「ん、まあ。涼が鬼だってことも、太三郎さんが化け狸だってのも教えてもらったから」
「そ……よかったわ。もし、私が吸血鬼だって知って、騒ごうものならあなたは変わらないものね、他と」
「他? 変わる?」
「他の人間と、あまり変わらないってことになるものねってことよ」
勇気は少し、今のマーレの言葉に表情を崩す。それは安堵からだろうか。自分が人間より幾分か逸脱した者であるという確信を得られたことの。もしくは、マーレに鑑定をされるような目で見られていたことへの恐怖だろうか。
それは分からない。彼はどちらともとれる、あやふやな表情を取っていた。
マーレはそれに構わず、話を進める。
「そうそう、ここに来たのはこんな無駄話をするためじゃないのよ」
「ん、ていうと?」
「あなたの歓迎会プラス、懇親会プラス、面倒押し付けがあるんだけど」
「……ん?」
「それにあたって、聞きたいことがあるの。アンタ何歳?」
マーレは終始自分のペースで話を進める。勇気よりも結構背が低いというのに、その上から目線は下からでも効力を発揮するかのようだ。勇気はそれに飲まれながら口を開く。
「俺は十五歳、んで中三だった」
「そう、勉強はできる方?」
「……? まあ、模試では全国で五十位以内には入るけど」
「へぇ……いいわね。よかったわ。アンタが十五より下で、勉強できなかったら話は消滅してたから」
勇気の言葉に、マーレはフッと表情を柔らかくして微笑んだ。それは……妖艶。少女の姿をしているのに、もっと上の何かがあるかのような雰囲気を持っている笑みだった。それを持ったまま、勇気から離れていく。
「じゃ、朝の十時に食堂に来て」
「え、あ、ああ……。何するんだ?」
「それはお楽しみ。ああ、バックレたりしたらアンタの寿命を全部吸うわ。よろしく~」
サラッと怖いことを廊下を歩きながら言い残し、マーレはどこへかと向かっていく。勇気はその背に、何を言うことも出来ず、ただただ見送るのみだった。
だが、勇気の胸にいらだちとか、そういうものはない。清々しい表情から、それがよく分かる。
(ああ……頼みごとをされるなんて……)
勇気はまたも、恍惚の表情を浮かべていた。彼からすれば、新しいこと、希望、幸福に満ち溢れているのかもしれないが……
よだれをも口の端から流すその姿は、どこからどう見ても変態にしか見えない様相であった。




