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愛の音

 天翔は一人、曇り空と晴れの間の天候の下を歩く。どちらかというと、曇り寄りであろうか。少し灰色が目立つ。それは街並みからも放たれている色を見ているから、曇りに寄っていると思うのだろうか。ともかく、自発的に気分が良くなる天気ではない。かと言って、不愉快になる天候でもない。


 その下を歩く天翔は、多少の焦りを顔に浮かべて通りを歩いていた。街を行く人々、特に女に逐一目を向けては、首を振るのだ。それは、愛音を探すためである。

 だがそれはうまくいっていなかった。成果を上げられていなかったのだ。手がかりさえつかめていない。金を多く持っていないことから、彼女のラーメン屋の周辺を重点的に探してはいるが……


「どこにいる……どこにいるというんだ」


 天翔は苛立ちを感じさせる口調で、そう呟いた。

 

 その時だ。彼の懐の中から、電子音が響く。電話の着信を知らせる音だ。それを耳にした天翔は、表情を変えてすぐにそれへと手を伸ばした。そうして、相手を見る。電話をかけてきた相手は、河野であった。それを見ると、すぐに天翔はスマホを顔の横にあてがい、電話に応える。


「河野かッ!? どうだ、見つかったのか」


 天翔はすぐ、問うた。もしもしすら言わず、だ。だが、電話の相手、河野も分かっているのだろう。そういう前口上はすべて無視して、結論を言った。


「見つかったッス! ちょっと遠くの妖館の近くで、一人で歩いたのを見かけたって報告が!」


「っ! そうか……で、詳しい場所は? その妖館の番号でいい。教えてくれ、すぐに飛んでいく!」


 天翔は河野の返答を聞いて、一瞬だけ表情を緩ませた。そりゃあ、自分の探していた人物が見つかったと言うのだ。安心もするだろう。だが、彼はそれをすぐに飛ばした。位置を聞き、自分で顔を合わせに行くためである。

 その意思を感じ取ったのか、河野はすぐに彼の問いに答えた。


「えっと……31番ッス」


「よし、じゃあ……」


「ちょっと待ってくださいッス!!」


「?」


 天翔は河野の答えを聞いた瞬間、すぐに身構える。だが河野はそれを予想してか、電話の奥で声を荒げた。それを耳にした天翔は、体の動きをピタッと止め、電話の方へと意識を戻す。すると河野はゆっくりと、だが慎重に語り始めた。


「彼女、どうやら随分と疲弊してる様子ッス。それに、あれは……随分と追い詰められているようで」


「……ああ。そうだ。だからこそ、早くいかなくてはならない」


 河野の問いに、天翔は神妙な面持ちで頷く。そうして、だから私はすぐに向かわなければならないのだと、そう言った。


「……はい。お願いするッス。見ているだけで……いいえ、ともかくは……。天翔さん、私達に何かできることはあるッスか?」


「いや、ない。普段通りに戻っていていい。これが終わったら、一応連絡は入れよう」


「分かったッス。では……」


 天翔と河野は別れのやり取りを終えて、ほぼ同時のタイミングで電話を切る。


 その後で、天翔はゆっくりと自分の懐の中にスマホを戻した。そうして、空を見上げる。そのまま彼は、空を睨むようにしながら口を開いた。


「今、行くぞ……」












「灰色…………」


 女は背の高い建物の屋上に立っていた。そうして、見上げるのだ。見下げるのだ。どこまでも灰色な空を。いつまでも灰色な、自分が暮らしていた世界を。


 女は思い返した。これまでの自分、自分がなしてきたきた事。彼女はそれを思い返したのだ。そうしてすぐ、彼女は目に涙を浮かべた。純粋な、きらりと光る涙だ。それは、そういう人間にしか宿せない涙。どこまでも、綺麗な感情を宿した涙。悲しさが、その涙に宿っている。


(私は……奪ってきた。奪って、来てしまったの……もう、生きてはいけない)


 女は一歩、踏み出した。建物の屋上、その端へと。その一歩は重い。それは、ただただ自分の身だけを背負っているのではないのだから。


(娘に、捨てさせた。その罪のために死ぬんじゃない。それを、もうしないようにするために死ぬの。償いじゃあない。あの子に展望を)


 女の流した涙には、悲しさだけが含まれていたのではない。それだけではなかったのだ。希望があった。それはきっと、彼女の思う娘が、自分という障害が除かれた愉快な人生を、歩めるという確信から来るものだろう。悲しさは、それを自分の目で見届けることが出来ないという事実から来るものだろう。


 どちらにせよ、母親は愚かだった。重要な“そのこと”に気付かなかったのだ。そのこととは、娘の意志だ。


 母親はそれに気付かなかった。そのまま、自分の立つ灰色な建物の床を歩く。そうして向かうのは、(くう)。その下には人々が灰色の街で暮らしているのがあった。まだ雲の奥の太陽のおかげで、真っ暗ではないから電灯はついていない。そのせいか、街は本当に灰色であった。


 女は見下ろした。下に泥のような道路が広がっている。沼のようなコンクリートが広がっている。


(でも、もういいの)


 女は決心した。そうして、踏み出そうと……


「娘のことはどうでもいいのか!?」


 だが、女は間違いへ足を沈み込ませることはなかった。止められたのだ。彼女の後ろから響く、その聞き覚えのある声に。彼女は足を引っ込ませて、後ろに振り向いた。そこには、女が自殺しようと立っていた建物の屋上には……


 天翔が立っていた。

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