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絶望の手、救いの手

「……腹が減ったな。動いていたからか?」


 天翔は一人、雨の中を歩きながら呟く。彼はその時、見回りの途中でとある通りを歩いていた。人の多く通る、駅から少しだけ離れた所だろうか。

 ともかくだ。天翔はどうやら、言った通りに腹が減ったらしい。黒い傘を手に持ちながら、空に目を向けてそんなことを言ったのだ。


(……ラーメンを食いたい。はぁ……不摂生だが、毎日食いたいんだよなぁ。えっと……うん。私なら全然だ。十分じっぷんもかからない)


「堀田さんの所、行くか」


 天翔は雨の中を、静かに歩きだしていくのだった。












「んくっ……う、ぅぅ……あ。……………………どうして、どうしてだよ……どうして、どう、してぇ……」


 琴音は一人、暗い自室で泣いていた。絶望が頭を支配して、悲哀がその下を跋扈(ばっこ)する。怒りは過ぎ去ったが、今度は失意が胸を締め付け始めた。すべてを失ってしまったという、その現実が彼女の目の前に。


 到底、一人でいて拭えるものではない。絶望は、一人では拭えないのだ。


 だが、そんな彼女の肩に手を伸ばす者が一人。


「ついに、消えたか……。ようやくだな」


「…………ぁ?」


 手を伸ばしたのは、琴音が一人うずくまっている後ろに立っていたのは、善意ではない。悪意だ。後ろにいたのは鼠田だったのだ。


 鼠田はいつの間にか愛音と琴音のラーメン屋に入り、琴音の背後に立っていたのだ。そうして、この間に二人に向けたような目を向けた。もっと貶めて自分の懐を温めようという、汚らしい目だ。


 それを目に留めた琴音は、びくっと体を震わせて鼠田から距離を取る。


「いやっ……いやぁ……」


 彼女の目には恐怖と、絶望があった。ついこの間に、その勇気を奮い立たせて手を頬に払って見せたとは思えない。

 それもそのはず、あの時は母親がいた。守らないとならないものがあった。だからこそ、自分を奮い立たせることが出来た。だが、今は違う。いなくなったのだ。いなくなって、しまったのだ。少なくとも、彼女の意識からは。


 鼠田は、逃げることも出来ずにその場でもがく琴音の肩に手を伸ばす。


「どちらか、片方でよかった。生きているのは。片方消えてくれれば、片方はもう自由にできる。待っていたよ。絶望で、どちらかが少なくとも、自殺でもしてくれないかと……いや、本当は死体があって、臓器を回収できればよかったんだが……」


「は、離れろ! い、いやぁ……」


「好きにさせてもらうぞ。お前の体、売ればどの程度になるか……」


 鼠田は、自分の利益しか目に入っていない不気味な目をして琴音の肩に手を触れた。それは、明らかに悪意のある強さを持っていた。琴音の来ている制服のワイシャツの、軋む音がする。それを聞いてか、琴音は顔にさらに深い絶望を浮かべて手を払おうとした。


「さわ、るなよぉ……私は、私はぁ……ぐっ」


「……チッ、うるさいな。静かにして……もらおうか」


 琴音の手はいとも簡単に押さえられた。次いで、鼠田は拳を振り上げる。言葉から考えてみれば、彼は琴音のことを殴ろうとしている。そして、琴音はそれに気付いて身構えた。だがもちろん、躱すことなど出来るわけもないのだ。


 琴音は頭を手で覆って、体を小さくした。そんなのが、目にも入っていないと言うように鼠田は……


「お前は、俺の利益だ」


 そう言って、鼠田は拳を琴音のうなじに振り下ろすのだった。












「お前は何をしている……?」


 ふと、声が響いた。暗い、灯りのない琴音の部屋に。どこまでも絶望しかない部屋に。その声を聞くと、目を閉じていた琴音は目を開いた。それには声を聞いたからだ。加えて、自分のどこかへ振り下ろされるはずだった鼠田の拳の感覚がないから、というのもある。だが、一番大きい要因は……


 その声に、聞き覚えがあったのだ。


「…………え? その声」


「なっ……誰だお前は!!?」


 琴音が疑問の声を上げた後、次に響いたのは鼠田の焦る声だった。それが気になって、琴音は目を見開いて背後の情景を意識に入れる。


 目の前では、部屋の暗がりから手が伸びて、それが振り上げられた鼠田の腕を掴んでいたのだ。鼠田の腕を掴むこと、それはつまり、琴音を助けることだ。彼女から危険を除いたのだから。


 琴音はその手の主を、自分を助けてくれたのかもしれない手の主を見ようとした。


 暗がりの奥で、良く見えない。涙で目の前がかすむ。だが、琴音の目はしかとその人物を目に留めた。


「……せん、せい……?」

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