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絶望

 雷と、雨が地面を穿つ音が通りを騒がせる。まるで、商店街のような騒がしさだ。だがそのどれも、笑顔を持っていない。物体で生物なのだから、笑顔なわけもない? 感情で表現するのはおかしい? いいや、それほどということだ。琴音の走るその道、その通り、その行く先は、それほどまでに暗いものだった。


 琴音は帰路を急ぐ。自分の親友達が、助けに来てくれるんだ。助けると言うのは言い過ぎかもしれないけれど、手伝いに来るだけだけれど、それだけで彼女にとっては大きい支えになっていた。だから大雨の中なのに、傘から肩を出してしまうような勢いで走り続けるのだ。


 そんな彼女には、一つだけ暗い所があった。つまり、先日と今朝に、母親の財布に黒い事で稼いだ金を忍び入れたことである。

 だがそれも、彼女は拭ってしまおうと走っていた。謝ろうとしていたのだ。それに、これまでのこと全てを母親に。無理をして彼女に心配をさせていた。きっと、今朝のこともバレてしまった。心配させていただろう。だから、真っ直ぐとそれに向かい合って、謝ろうと……。











「はぁ……ふぅ……」


 琴音はしばらく走り続けると、自分の母親の店に辿り着いた。相変わらず周りには土砂降りの雨。いや、先ほどまでよりも強いだろうか。ともかく、雨が降っていたのだ。黒く灰色の雨。

 雷が光る。琴音は肩で息をしながらも、雷光によって照らし出された店に目を向けた。


「……あれ」


 店の中の灯りが、全く光っていない。こんなに外が雨で、暗いのだから中で灯りがあればすぐに目に入りそうなものだ。だが、愛音のラーメン屋からは全く光が漏れていなかったのだ。

 琴音は首を傾げて、そのことに適当な理由をつける。


(こんな雨だから客が来ないと思って店を閉めてんのかな……。んでも、近場で飯を済ませようと思う人もいるし……ん、まあいいか)


 怪訝そうな表情をしながらも、琴音はラーメン屋の軒下に入る。そうして、傘に着いた雨水を払った。その後で肩の辺りが濡れた上着を脱ぎ、店の中に入る。


「ただいま~!! 母さん! …………?」


 自分の家と言って何の相違もないラーメン屋に入ると、琴音はすぐに声を上げた。すなわち、ただいまの合図である。だが、それに応える者はいない。沈黙の色彩だけが、床の灰色の響きだけが応える。


 琴音はそれを受けると、やはり、不審に思った。彼女は結構な音量でただいまと言ったはずなのだ。それこそ、隣の家の人まで耳の端に捉えるほどの。家の中にいたら聞こえるはず。聞こえたら、返すはずだ。「おかえり」と。そうでなくとも「琴音、アンタは何をやっていたの!」という怒号が返ってくるはず……


「…………何だ?」


 琴音の首筋に、冷や汗が伝う。嫌な予感を感じた彼女は、そこらのテーブルに付属されている赤い椅子へ、適当に傘と上着をかける。その後で、カウンターの奥へとゆっくりと歩いて行った。その足取りは既に、何かを感じ取っているようであった。


「母さん! いるなら返事してくれよ!」


 胸の不安を、言葉にしながら階段を上る。あわよくば不安を根こそぎ払ってくれと思ってその言葉を放ったが、それには何も返ってこない。誰もいない。琴音は一瞬だけ、階段の途中、足を止めた。


(……何だよ。何でこんな、静かなんだよ……)


 そんなことを考え始めた瞬間、彼女の頭に嫌な予感が走る。雷が鳴った。


「ッ! 違う!! そんなこと……あるわけない……」


 嫌な予感を、琴音は首をブンブンと振って否定する。


 彼女の頭が思い描いた予想とは、母親が彼女自身の自室で首を吊っているという情景だ。


「違う、違う違う……あるわけ……ヘッ、ねえだろ……んくっ」


 琴音は青を顔に浮かべながら、喉を鳴らした。嫌な予感は、彼女の頭に氷をぶちまけたような予感は、本当に外れているのか?


 琴音は体の中を不安に支配されながらも、まずは自分の部屋へ向かった。母親の部屋には向かいたくなかったのだ。さっきの予感がある以上、それは当然の事。嫌なことから、目を背けたかったのだ。


 だが、“それ”はそこにあったのだ。


 自分の部屋の扉を開いたとき、琴音はそれを目に入れた。机の上、黒い、何もないはずの机の上だ。


「……なんだ、これ」


 琴音は机の方へと足を向け、しかと目に入れる。

 それは、手紙であった。ピンク色の可愛らしい装飾をあしらった紙が、何枚かに重なってそれを成していたのだ。

 その手紙を目に留めた琴音は、すぐにそれを手に取った。無論、手紙を目に入れた時の琴音の表情は不安という言葉の権化であった。それ以外の何物でも……絶望では、合ったのだろうか。彼女はある程度、手紙の内容が予想できたのだ。今までの事から鑑みるに、と。


 手紙の内容はこうだ。





 私の娘、愛しき琴音へ


 私はあなたから、全てを奪ってきてたのね。今更こんなことに気付いた。三十後半まで生きてきて、こんな簡単なことにやっと気付いたの。娘のことはわかっているつもりでいたのに、何もわかっていなかった。それどころか


 初めて、隣のあなたの部屋から、ギターの音が聞こえなくなった日に言えばよかった。いなくなればよかった。その時、私はあなたから夢を奪った。

 それに、琴音が栄養ドリンクを飲んでいると知った時。あの時もそう。私はあなたから時間と元気を奪っていた。その時に、いなくなっていればよかった

 今日、あなたの財布から避妊具を見つけた。きっと、あいつらに言われたのね。母親を苦しいのから救うために、体を売れって。その時にもう、私は


 結局、元気も、時間も、夢も、体さえも。私は立っているだけで、あなたから奪っていた。無意識に、残酷で残酷で 今からでもいいから自分の首を絞めたい。でも、そんなことしても何にもならないのよね。わかってる。わかってる。だから、消えようと思うの。あなたの前から、影も形も残さずに。そうすればもう、あなたから何も奪わないで済む。


 あなたは私という重石を人生から取り除けるの。だから、これからは前を向いて歩いてね。夢も見れる、自分のことも捨てなくて済むの……だから、だから、今まで私が奪ってきた分の幸福を、いつか、いつか、いつか取り戻してください。お願いします


 ここに電話番号を置いておくね。これは一昨日、助けに来てくれた人がどうしようもなくなったらかけろって言ってた番号。それじゃあ


 愛音より










「……………………」


 琴音は一言一句違えず、愛音が自分に向かって書いたのであろう手紙を読み切った。全然、文字が震えていて読めるものではなかったが、長い付き合いだったから、彼女は全てを理解してしまったのだった。

 先ほど、彼女は不安と絶望とが混じった表情をしている、というように言ったが、少なくとも半分より先を読んだときは絶望の表情のみであった。目を見開いて、黒い……クマも戻ってきているようだった。

 一瞬にして、彼女はやせこける。絶望が彼女の身を削いでいるようだった。


「……………………」


 ふと琴音が目を向けたのは、ギターだ。静かに佇むそれに、目を向けた。

 次に、机に付属されている棚にしまった紙を見る。そうして、それに手を伸ばした。それは、先日に彼女が鉛筆を立てようとしていた五線譜の書かれた紙である。それを、手に取ったかと思うと……


「……こんなもの……こんな、こんなっ」


 ビリビリに破き捨てた。

 その五線譜の書かれた紙は、実のところ、琴音が初めて作曲してみようと時間のない間を縫って手を入れていた物であった。

 つまり、彼女は自分の歌手になるという夢の懸け橋を自分で引き裂いた。その彼女の目には、黒い涙があった。


「こんな……こんなものに時間をかける余裕があったら、身を壊すくらいに、壊れてもよかったんだ!! 何で……ゥぐぅぅうううっ……うぅっ!」


 全て、紙を、夢を引き裂く。その後で琴音が目を向けたのは手紙だ。そうして、その手紙がまるで自分の母親とでも思っているが如く、叫ぶ。


「違うんだ、違うんだよ母さん!! 違うッ!!! 私は……体を捨ててなんかないんだって……フ、ふふ……違う。私はただ、キャバクラに顔を出しただけ。あれは……もしも。それに、私は別に母さんのためならこの体くらい……何も分かってないのは、分かってないんだ…………フ、ふ」


 膝が崩れ落ちて、琴音は床に這う。そうしながら、次はギターに目を向けた。


 その瞬間、彼女の頭に絶望以外の感情が咲き乱れた。怒りだ。


 それを持って立ち上がり、ギターに歩み寄る。そうしてそれを、両の手に持って持ち上げた。投げるつもりなのだろう。その態勢で、彼女は怒声を泥のように吐き出す。


「こんなのに、こんなのに時間をかけている暇があったら!! あったのなら、あったのならあったのなら! うぐぅ、うううううっぅぅぅうぅ……!! 全部全部全部ッ、全部母さんに使っていればよかったんだ。そんでなければ、こんなッ!! うううぅ、うああァァァぁ――――っ!!!!」


 だが、振り下ろせない。自分の夢の権化、それを、投げ捨てることが出来ない。


「どうして……どうして……う、うぅ、うぅぅ……あ、あああ……は、はっぁ……あ………………あ、あぁぁぁぁ」


 ギターを持ったまま、琴音は崩れ落ちる。そうする彼女の顔には、目には、果てしのない悲哀があった。悲哀と、絶望と。黒い涙が流れ続ける。











 外では土砂降りの雨が降り続ける。琴音の悲鳴は、どこにも届かなかった。

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