手を取れない
しばらく……。勇気達は夕飯を食べた。そして、その場にはマーレがいなかった。結局、彼女は本当に食卓の場には現れなかったのだ。夕飯をつくらなくていいと勇気に言ってはいたが、それ以降、他の住人に全く姿を見せていない。寝ていたからと言えばそれまでだが、鼬、マーレ、涼が帰ってきたのは五時やそれほど。そこからずっと寝ているとは……
時間は十一時ごろ。その時分になって、ようやく決心のついた勇気はマーレの部屋に向かっていた。他の者達はもう既に自分の部屋へ戻っている。そんな中で、一応、顔だけは見ておこうという判断である。
勇気は扉の前に立って、一瞬息を飲む。今、自分は夜に女子の部屋の前に来ているのだ、と。そんな風に緊張しながらも、震える手で扉をノックする。そうして、声を上げた。
「マーレ、マーレ! その、なんだ。ちょっと心配になって! お前、夕方頃から眠るって言って一回も外に出てないだろ? だから顔だけは見ておきたいんだ!」
扉を叩いてそう言った後で、勇気は一呼吸置く。すると……
ガチャッ
「ふわぁーぁ。あ、おはよう勇気」
マーレが内側から扉を開き、寝ぼけ眼で部屋の中から出てくる。上下とも、寝間着であった。結構はだけている。彼女のそんな姿を見て、勇気は一瞬にして顔を赤らめ、後ろに一歩バックステップした。
「うぉうっ! マ、マーレ……そんな姿でいきなり出てくるなよ……」
「むにゃぁ……別に私が私の部屋でどんなカッコしてようが私の勝手でしょうが。つか、何でこの部屋来たのよ」
「いや、眠るっつってから本当に、一回も見かけないから心配になって」
「ふ~ん。あっそぉ」
勇気は目を逸らしながら、普通なら恥ずかしがるはずの格好なのに堂々たる様子のマーレに向かい合う。そうしていれば、マーレが思い出すようにして勇気に問う。
「そういえば、勇気。今、何時ごろだか分かる?」
「い、今か? 今は十一時ちょっと回ったくらいだが……」
「……そう、分かったわ。んじゃ、私は部屋に戻るから」
マーレは問いの答えが返ってきた瞬間に、簡潔に話を終えようとする。どうやら、何かしらの理由で急いで部屋の中に戻りたがっているようであった。
ただまあ、女子なのだから、あまり寝間着姿を晒したくもないだろう。少なくとも、勇気はそう取った。そうして、顔を赤くして頷く。
「あ、ああ。こんな時間に、わざわざ心配だからって理由で悪いな」
「うん、大丈夫……。ああ、そう。私のパジャマ姿、可愛い?」
「なっ、ななな何言ってんだ!? じゃあな! おやすみ!」
勇気の心配は、全然捉えるべき方向を捉えていなかったのであった。
マーレが少しからかうと、勇気は顔を真っ赤にし、彼女の部屋からすぐに早足で遠ざかってしまう。
「あらま。行っちゃった……。ま、予想通りなんだけど。……」
勇気が自分の視界から消えたのを確認すると、マーレは首を振って、廊下に誰もいないかを確認する。そこには、確認するまでもなく闇が広がるのみであった。それをしかと確認した後で、マーレは扉を閉め、部屋の中に入る。そうして、部屋の中で寝間着を脱ぎ始めた。
「まったく、昼に寝なきゃ夜に眠くなるように調整してたけど……それを戻すのも大変なんだから……」
そう愚痴を呟きながら、手早く着替える。そうして彼女は寝間着から、時間の合わない中学校の制服へと様相を変えた。
「さて、向かおうかしら……」
「琴音……琴音。どこで何をしてるの……」
愛音は一人、ラーメン屋で頭を抱えていた。客が一人もいないその店では、空しく天井で電気が光っている。それに照らされるのは、灰色の壁や床、寂れた店の様相。そんな中で、愛音は右往左往していたのだ。
しばらく彼女がそうしていると、ガラガラガラ、と出口の戸が開く音がした。それを片耳の端に留めると、愛音はパッと顔を輝かせてそちらへと走って目を向けた。自分の娘が、帰ってきたと思ったのだろう。
「琴音…………じゃ、ない。琴音じゃない……? 誰、あなたは……」
「失礼します。えっと……私は、マーレっていいます」
愛音の店に入ってきたのは、彼女の娘ではなかった。マーレである。マーレが、さも普通の客かのように店に入ってきたのでった。
だが、どう考えても普通ではない。しかし、動揺しているのか愛音はそのことに気づかない。マーレのことを、ただ単に自分の娘と同じ中学の少女だと思ったのだろう。娘のことを知っているとも。そう考えた愛音は、縋り付くようにしてマーレに駆け寄った。
「ね、ねえあなた! こ、琴音がどこにいるか知りませんか!?」
「え、琴音……?」
「そう、そう! 私の娘。今日、まだ帰ってきてないんです!」
「っ! すいません、分からないです」
「そ、そんな……」
愛音の必死の問いにマーレは驚いて息を詰まらせた後で、首を振って応えた。彼女は琴音のことが心配でここに来たのだから、当然だ。
どうやら愛音が言うには、琴音は学校から帰ってきてないらしかったのである。琴音は、どこか外で何かをやっているようなのだ。
それを受けた愛音の様子は壮絶に悲しかった。膝が崩れ落ちて、その場に半ば倒れこむようになったのだ。咄嗟に、マーレは彼女のことを支える。
「大丈夫ですか!」
「あ、ああぁ……ごめんなさい。こんなこと、こんなこと話しても仕方ないですが……ああ。お金がなくて、店を閉めるに閉められなかったんです。ケータイにメールが一通だけで……遅れるって。でも、普通じゃないですよね、こんな時間!? 本当なら、いつも帰ってくる時間に帰ってこなかった時、外に探しに行きたかったのに……行けばよかったのに……」
「…………」
マーレは自分の腕の中で涙を見せる愛音を見て、つばを飲み込む。ここまでか、ここまでだったのか、と。すぐさま、マーレはその意思を行動に移す。
「あの、琴音のお母さん、なんですよね」
「え、えぇ……そうですが」
「私、学校で琴音と仲良くさせてもらってるマーレっていいます。こんな時間でなんなんですけど、今日、琴音がどうやら様子がおかしくって……今更になって様子を見に来る気が固まって、いてもたってもいられずに飛び出してきたんです」
「あ、あぁ……」
「手伝います! 琴音を一緒に探しましょう! ともかく、手を尽くさない事には前に進みません!」
マーレは一旦、語気を強めて愛音の肩を揺さぶった。明らかに、気が動転しているようだったからである。とりあえずの目的を見定めさせて、その意思を固めさせようという腹積もりだ。
そうして、愛音はマーレの思惑通り、その昂ぶった息を一度落ち着かせる。
「は、は……そ、そうですね。い、今からでも……」
「そうです! きっと、そう遠くには行ってないと思います。電車に乗れないって学校で言ってたから……」
「ええ、ええ。学校にはお金をほとんど持って行ってはないはず。あるとしても、昼の……」
マーレは愛音と喋りながら、琴音が向かいそうなところを捻りだそうとする。二人は必死そのものというような表情をしていた。かたや自分の娘、かたや自分の親友であるのだから当然。
だが、そうしてしばらく、二人がラーメン屋の中で、必死な形相でそうしていると……
ガラガラ
「ただいま~」
そう、入口の方から声がしたのだった。二人はその声を耳に留めると、体の動きを凍り付かせ、ゆっくりと、ゆっくりと後ろに振り返る。ラーメン屋の入口のすぐそばには、琴音が立っていたのだった。




