影が伸びてきた
「私が見てくるわ」
勇気、涼、マーレ、ララの四人が食堂で話していた時だ。一つ、玄関の扉が開く音が届く。それを耳にして皆がそちらへ目を向けた時、いち早くマーレが腰を上げたのだった。それに対し、三人は行ってらっしゃいと告げた後で、琴音の店に行った時、どう手伝うかを話し合い始める。
それを後ろにして、マーレは一人、食堂の外へ向かおうとしていた。その首筋には、一筋の冷や汗が浮かんでいたのであった。
(……嫌な、予感がする)
「鼬……何でアンタ、帰ってきてんのよ」
マーレは玄関まで来た。そうして、音の発信源を目にする。
それは、鼬であった。つまり鼬が帰ってきた、ということ。いや、違うか。鼬が手伝いを終えたか、そのまま帰ってきたということだ。それを見て、マーレは目を見開いて鼬に問うた。
「手伝い、終わったって訳じゃないでしょ?」
「いや、琴音のお母さんの店さ。今日、休みみたいで……」
マーレの質問に、鼬は頭をかきながら答えた。悪気は、一切なさそうである。その様子は、本当に残念でならないという風。それを目にしたマーレは、拳で自分の頭を軽く叩いて口を開く。その姿は、自分を責めているように見える。
「…………そう、か。そうよね。アンタに限って、そんなことはないわよね」
「ん? そんなことって、なんだ?」
「いや、いいのよ。こっちの話。……そうだ。今、勇気とララも含めて、今日から琴音を手伝いに行こうって話をしてたのよ」
マーレは鼬の問いには答えず、話を転換させて食堂に入ろうと示す。それを受けて、鼬は素直にも笑顔になって、頷く。
「そうか……。じゃあ俺もすぐに行くよ」
「ええ、そうね」
「おう。ああ、それと……」
鼬はエントランスの階段に走って向かう途中、足を止めて振り返る。そうして、マーレを見てニカッと笑った。
「バッグ、ありがとうな」
「……大丈夫よ、そのくらい、どってことないから」
鼬の礼に、マーレは軽く首をすくめて何でもないという風に応えた。それを受けて鼬は、そっか、と言ってまた階段に向かう。その二人の間には、長年連れ添ってきたからこその、素っ気なさがあった。
鼬を見送った後で、マーレは一人、エントランスに残る。エントランスには、夜の神社のような静けさがあった。そんな中で、マーレは頭を抱える。そうして彼女が思うこと、それは……
「どんな状況でかは分からないけど……琴音。鼬に店が閉まってるって……嘘を言ったわね」
琴音の事であった。そしてどうやら、マーレは理解しているらしいのだ。つまり、琴音が鼬に、店が閉まっていると言ったこと。だが、嘘とは……。
(琴音のお母さんの店は日曜しか休みじゃないはず。行ったことはないから知らないけど……今まであいつと付き合ってて、急いで帰ろうとしたのは土曜含めた平日。それに少なくとも、今日は休みじゃない。随分と特別な日じゃなきゃね。……だけど)
マーレは自分の思考の内で、今の状況を確認する。そんな彼女の背に、影が伸びてきた。
(鼬達に言って、今から行きでもしたら……。あいつはきっと、自責の念とかいうのに頭を痛めるんでしょうね。琴音はどっちかって言うと、今は精神的にまずい風に見えるし、あんまり刺激するのは良くない。……仕方ない、か)
そんなことを考えながら、マーレはエントランスから食堂へ入る扉を開き、中に入る。すると、中にいた三人、勇気達が彼女の方へと座ったまま目を向けた。そうして、疑問を投げてくる。
「マーレ、誰だったんだ?」
「鼬かな。野暮用って言ってたけど……」
「いや、鼬……じゃないわよね。だって、あいつは……」
マーレは三人の問いに、まとめて答える。
「鼬よ。それと野暮用ってさっき言ったけど、あいつは先に一人で手伝いに行ってたの。だけど、今日は琴音の店、休みだったんだって。だから、今からって息巻いてたとこ悪いけど、明日からね」
短くまとめて、マーレは伝えた。外から入ってきたのが鼬であること。彼は一足先に琴音の手伝いに向かおうとしていたが、それは琴音の店が休みだったから意味をなさなかったということ。
二つの物事を受けると、三人は残念だという風に顔を見合わせた。今から琴音のことを手伝おうとしていたのに、それが明日からしか出来ないのだから。
しかし、マーレはその三人の様子にはあまり目を向けなかった。そのまま、食堂を出ようとしたのである。それを目の端に留めた勇気は、彼女に声をかけた。
「おい、マーレ。どこか、行くのか?」
「いや、ちょっと眠くって……。私のご飯は作らなくてもいいわ」
「あ、ああ……。そう、か。分かった、おやすみ」
「ええ、おやすみ」
マーレは勇気に適当な受け答えをした後で、サッと食堂の外へ出て、エントランスに入る。そうして、ため息を吐いた。憂鬱でたまらないという風に。
だが、その表情には善意というものがあった。張りつめ切った表情でなく、少し柔らかいような。そんな顔をして、誰もいないエントランスの中、彼女は呟いた。
「ニンニクの臭いって、残るって言うわよね……。はぁ、憂鬱……」




