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ゆっくりと、闇へ

「……悪いこと、したよな」


 琴音は一人、夕日の差す通りを一人で歩いていた。俯き加減で、彼女が憂えていたのは学校でのことである。


(飯、譲ってくれたってのに……それを断って。それに、飯田センセにも……)


 琴音は今日、学校で何があったかを一つ一つ思い出し、頭を抱える。今日、自分は他人に自分のことを心配させ過ぎた、と。それに、それをちゃんと受け取ることも出来なかったとも。


(……でも、迷惑はかけられない。自分一人で、自分の問題は解決しなくっちゃいけない)


 だが、そんな風に思いながらも琴音は前を向いた。夕日が差しているが、黒い影が多く道に写っている通りを。その道はまるで、まるで……彼女の足に絡みつく、闇のようであった。彼女の足から伸び、彼女にまとわりつく。決して離れないそれは、彼女自身の精神に深く根付いた癖。他人を頼れないという、その……


「……あれ、あいつらは……?」


 しばらく、琴音は通りを歩き続けた。そうして彼女の家、愛音の母親の店が近くなってきたころ、彼女はあるモノを目に留めた。そのモノとは……


「あいつら、いつも母さんにちょっかい出してる……逃げないと」


 通りの角に、男が三人溜まっているのを琴音は目に入れた。そうして、その次の瞬間に彼女は気付く。その三人が、自分の母親をいつも脅している男達であると。

 それを把握した琴音は、すぐに反転し、逃げようとした。自分が捕まったら、母親に迷惑をかけてしまうだろうという判断だ。


 だが、物事とはうまく運ばないものである。


「おっ、琴音ちゃんじゃない! 探してたんだよぉ~?」


「っ…………」


 琴音は、逃げ始めるより前に声をかけられてしまった。それは、手を掴まれたも同然。彼女よりも年上の男が三人なのだ。逃げられるはずもない。琴音は足を止め、恐る恐る振り返った。すると、三人はその顔にいやらしい笑みを浮かべて立っている。


「……な、なんだよ?」


「琴音ちゃん、怖がり過ぎだよ。汗もすごい。何も、取って食おうってわけじゃあないんだからさ」


 どうやら、琴音は自身では気付かないうちに相当な恐怖を感じていたらしい。首元、額には冷や汗が。だがそれでも、態度は崩さずに三人に向かった。


「大体、同じだろ。やってること……食ってるのと、何も変わらないじゃないか」


「んぅ~……。ま、考え方によってはそうかもしれないねぇ」


「でも、ともかく今日は違うよ」


「は?」


 琴音の言葉に、男達の内の一人が今日はいつもとは違うと言った。それを受けて、思わず琴音は眉をひそめる。いつもと違うとは、一体どういうことなのか。彼女が考えつくまでの時間を与えず、男が口を開いた。


「提案をしに来たんだ。君が、一人で、お母さんに迷惑をかけずにお金を稼げる方法を教えてあげるよ」


「っ! な、何だよそれ!」


 琴音は男の言葉を聞いた瞬間、期待をする目で男にがっついた。


 それを見て、男達はもれなく口元に深い笑みを刻んだのであった。












「はぁ……はぁ……はぁ。確か、琴音のお母さんの店はこっち……」


 鼬は通りを走っていた。無論、琴音の店の手伝いをするため、愛音の店へと駆けていたのだ。マーレ達と別れてから、彼は結構な距離を走っている。そうして、あともう少しで店に辿り着くかと言った時だった。


「あれ……琴音?」


 彼は一つの角を曲がった時、その先に一人で立ち尽くしている琴音を見た。あともう一つ、角を曲がれば店に辿り着くその手前の角を曲がった辺りで。

 ともかく、鼬は琴音のことを見かけると、すぐさま彼女の方へと走り寄った。


「よー琴音」


「ん……鼬? お前、何でこんなとこに……」


「いや、ちょっとな……。んで、お前こそどうしたんだよ。こんな通りの真ん中で、黄昏ちまってさ。心配しちまうぜ」


 鼬はそれとなく、琴音が一人で通りの上に立ち尽くしていた理由を聞く。それを受けると、琴音は一瞬だけ目を逸らした後で、こう答えた。


「……今日、店が休みだからさ。ゆっくり、夕日を見上げながら帰ってたんだ」


「……へっ?」


 思わず、鼬は疑問の声を上げてしまった。自分が手伝いに来ようとしていた店は、休みだったのか、と。琴音に手を差し伸べようとしたこの機会は、実は機会さえなかったのか、と。その事実を目の前に突き付けられると、鼬はガックシと肩を落とした。


「……んだよ。店に寄りがてら、お前を手伝おうかなって思ったんだ」


 隠す必要もないだろうと、鼬は言った。自分は琴音のことを手助けしようとしていたのだ、と。それを受けて、琴音はフッと目だけを下に落とす。


(……やっぱりか)


「へぇ……。そりゃあ有り難いけど、今日は休みだから。羽を休められる日なんだぁ~」


 琴音はすぐに目を上げて、笑顔をつくる。そうして、両手を上にあげて伸びの姿勢を取り、声を上げた。


「んーっ。最近、勉強も店のこともあって疲れてたから」


「むぅ、そう、か……。空ぶっちまったな」


「いやいや。全然さ。機会がある時でいいぜ?」


 琴音はそう言って笑って見せると、体を自分の家のある方向、後ろへと反転させた。そうして歩き始めながら、鼬を振り返る。顔には、笑顔があった。


「気遣いだけで十二分に気が楽になったよ。ありがとうな、鼬!」


「あ、ああ……」


 戸惑いながらも頷く鼬に、構わないという風で琴音は手を振った。別れの挨拶を、するつもりなのだ。


「じゃあな! また明日、学校で!!」


「う、うん……。じゃあ、また明日、な。琴音」


 鼬も、困惑はしながらも元気に別れの手を振る琴音に応える。笑顔で振られた手に、仏頂面で応えるのも無粋だと思ったのだろう。少しの笑みを、口元に浮かべて。


(……杞憂じゃなかった。けど、今日は大丈夫だったってことだな)


 そうして鼬は、琴音が見えなくなるまで手を振った後で、自分自身の帰路につくのであった。












(ごめん、鼬……)


 帰路につく琴音の手には、十枚の一万円の束と、その上に……


 ああ、そう。これはあまり、言いたくない。だから、遠回りに言うよ。


 十万円ほどの札束の上には、ゴムがあった。

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