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聖なる鎮魂者たちの宴  作者: 缶詰め商店街パンダ支部
第一章 ルイーズ.アンダースワン
2/19

1 東ソネア急行



 線路から伝わる振動で、身体が揺れる。

 すっかり慣れてしまった振動ではあるが、早く陸地に足をつけたいと言う想いが頭をもたげているのは否定ができない。

 けれども、同じくらいの気持ちで、このまま時が流れなければいいのに……などという矛盾した想いを、グイズは抱えていた。


「…………」


 短い赤茶毛で、中肉中背のどこにでもいそうな青少年。

 普段はいかにも快活そうな明るい表情を浮かべている彼だが、今はすました顔で、読みもしない本に目を落しているフリをしていた。

 年齢はようやく十七になったばかりなので、まだ少年と呼んだ方が正しいかもしれない。


 遠く離れた帝都から伸びる鉄道線が、グイズの村まで通過するようになったのは、三年ほど前のことだ。今まで見るだけだった巨大な化け物のような移動する鉄の塊――東ソネア急行に乗車したのは、本当にたまたまと偶然と親切心、そしてほんの少しの好奇心が重なった結果と言える。


 東ソネア急行。


 栄えている帝国領中央都市(セントラル)から全国各地に伸びる鉄道を走る蒸気機関車の中でも旅行向けの汽車である。


 先頭の一等席は予約固定制で、コンパートメントになっている。

 料金が割高のかわりにそれなりに上質の生地を使った座椅子とサービスが提供されるため、金持ち連中の利用が多い。

 もっともこの東ソネア急行自体、どちらかと言えば平民用――豊かな平民用の汽車のひとつだったため、一流のサービスは期待しない方が無難だと言うのが、村で最も知識欲に溢れた幼馴染の言である。


 ほどほどの汽車の、ほどほどのサービス。

 その東ソネア急行の予約のいらない自由席――三等席が占める六号車に、とりあえずグイズは身を置いていた。

 六号車では、二人席同士がむかいあわせになって作られた四人席が合計十二組。


 普段の乗車率から考えて、かなり広めに設計されている。

 幸いなことに、六号車の客は数える程度しかいない。


「……ハァ……失敗したなぁ」


 かぶっていた帽子で顔を隠す。汽車に乗れるような恰好をしていないので、あまり顔をさらしたくはなかった。


 汽車への乗車は、これが初めてのことであるが……もしも、事前に乗車することがわかっていたら、きちんと髪を整え、靴の汚れを落とし、余所行きの格好をしていたことだろう。


 それは、グイズだけではなく大抵の人間の共通認識だった。

 蒸気機関車とは、そういう特別な乗り物なのだ。

 東ソネア急行は、どちらかというと平民向けの汽車ではあったが、それでも、きちっとした装いで乗車しなければ、白い目で見られることはわかっていた。ゆえに、グイズは帽子でできるだけ顔を隠しているのである。


「……早く村に帰りてぇな」


 グイズの生まれ育った村は、雄大な山を背に作られたごく小さな村で、村人全員が何かしらの顔見知り……と言っても過言ではないほどに、実に小さなものであった。その小さな村にまで鉄道の線路が伸びてきて、いちおう乗降車ができるように、駅まで用意された。


 しかし、なんの見どころもない片田舎の小さな村で降りる旅行客など皆無で、せいぜい、村を出て行ったものが帰省の際に利用するくらいのものである。しかも、その数も五本の指で足りるくらいの数しかない。


 反対に、村人たちが汽車に乗って他の場所に出かけないのかといえば、これもまた零といってよかった。


 グイズの住む村は、大きな娯楽がないかわりに大きな事件や事故なども起こらない、実に平和的な村なのである。年寄りを中心に、村を出て行こうなどと考えたことがないと口をそろえて言う。


 若い世代はどうかというと、グイズも含めてそれなりに憧れはあるけれども、どうしても汽車に乗って他の世界を見たい! という、強い想いを抱くほどではない……といった感じである。


 その、それなり程度にしか興味を抱いていなかったグイズが、その身を東ソネア急行に置いているかというと、数時間ほど前に事件は遡る。


 グイズは村でたった一つの鍛冶工房で働いている。この日、グイズは師匠であるハンスから預かった荷を、駅舎に届けるために足を向けていた。駅舎で無事に荷を渡し、工房へ帰ろうとしていた矢先、件の急行が駅舎へと入ってきたのである。


「おー、相変わらずでっけえなぁ」


 などという、のん気な感想を漏らしながら、なんとはなしに見ていると、中から上品そうな装いの夫婦らしき男女が降りてきた。

 あとから知ったことだが、列車が休憩の時間を取るアナウンス車内で流れたのを聞き、息抜きで外の空気を吸いに出たのだそうな。


 グイズもあまり鉄道に関して詳しいわけではないので、よくわからないが、路線時間を調整するために、たまにこういう時間がとられるとのことだ。


 夫婦が短い息抜きの時間をとったのが、グイズの住む村の駅舎だった。汽車が出発を告げる声が響き、二人は優雅に汽車へと戻っていった――のだが、グイズは夫人が何かを落すのを見逃さなかった。


 慌てて、落としたものを拾い上げると、それは女性用の財布だった。グイズは考えるよりも早く汽車に乗り込み、遠目で見ていた夫人の姿を車内で探し、無事に落とし物を届けることができた。


 しかし。


「あ」


 間の抜けたグイズの声は、汽車の出発する音にかき消される。

 汽車は、グイズを乗せたまま出発してしまったのだ。


 茫然とするグイズを見た夫婦は、自分達の過失から起きたできごとだったこともあり、謝罪した後に、とりあえず次の駅まで共に乗ることを進め、そこで降りて、村へと引き返すことを提案してくれた。乗車代も、気前よく出してくれた。


 もらった乗車賃で、どうにか村に戻る汽車に乗ることはできたものの、鍛冶工房で働いている汚れた衣服で乗るのも気まずかったし、何よりも村で待つ鍛冶工房の親方が一言もなく、勝手に長時間仕事から離れてしまった自分を、怒っているだろうなと思うと帰るのも気が重かった。


 事情を話せば許してくれるだろうが、自分が間抜けだったことはかわりがないし、仕事に穴を開けてしまったことが、何よりも申し訳がなかった。




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