10 長距離電話
「どうして、地図を持ってるカナちゃんが道に迷ってるんですの?」
長距離電話をかけながら、ルイーズは憤然たる口調で電話先の相手を責めた。
電話には二種類あって、通信状態は良好だが近距離しか通信ができない近距離電話と長距離でも通信はできるが、通信状態のよろしくない長距離電話である。
近距離電話は一般的な家庭にも普及されていたが、長距離電話はこの村でも教会と村長の自宅、それから村一番の雑貨屋であるカインの家にしか置いていなかった。
現在ルイーズは教会の与えられた一室、元はパド神父が使っていた隣の空き部屋を使わせてもらっていた。ベッドと本棚、テーブル、小さなクローゼットがあるのはどの部屋も同じのようだった。
扉の外に注意を払いながら、声をひそめて会話をする。幸いなことに、一緒に教会に残っている少女リズは、眠ってしまっている。あの幼く小さな身体で、大事な死を受け止めるには、まだまだ時間がかかるのだろう。
その隙を見計らって、ルイーズは電話を拝借しているのである。
固定型ではないことを幸いに、自室まで運んでしまった。できる限り、自分達の会話を他人に聴かれたくはなかった。
「違いますわよ。その駅から、東ソネア急行に……え? 西ソネア急行に乗ってしまった? しかも、終点まで乗っちゃった?」
まさかというか、案の定というか、相棒は絶賛迷子中だという。
電話の相手は現在、ルイーズが滞在している村から、ずいぶんとはるか離れた場所にいるようだ。せめて中央都市に、そのままいてくれれば……という、一縷の希望をあっさりと打ち砕き、相棒殿は現在国の最西部にいるらしい。
「てゆーか、あともうちょっと行ったら帝国のお外ですわ。ビックリしますわよ、本当に。迷子になったら、現在地から動いちゃいけないのが、迷子になった時の鉄則ですのよ。わかっていますこと?」
電話口から反論されたが、ルイーズはとりあわなかった。
「そう言って、カナちゃんは今まで何度も何度も迷子になりましたのよ。いい加減、自分が決定的に方向音痴なんだってことを認めてくださいまし。猫やら犬やら動くものを目印にしても、目的地には辿り着かないものなんですわよ」
電話の相手にも聞こえるよう、ふぅぅうううと大きなため息を吐いてやる。
基本的になんでもそつなくこなしてしまう相棒殿をやりこめる機会など、そうそうないのだ。きっと今ごろ、あの理知的な美貌で愁眉をひそめていることだろう。
自分が通信販売マニアというどうしようもない弱点があるとすれば、相棒殿の弱点は、地図を持っていても決して一人で目的地に辿り着くことのない、方向音痴が弱点である。
だからこそ、本来は二人で行動をするはずだったのだが……
「それより、ツルちゃんとはちゃんと仲よくしてますの? 喧嘩なんてしちゃ、いやん、ですわよ。ごはんもちゃんとあげてくださいましね。あ、でもあまり甘いものを与えすぎちゃダメですわ。虫歯になっちゃいますもの。あと、夜更かしにも注意してくださいまし。それからお風呂に入る時は………え、ツルちゃんの話はもういい? もぉ、カナちゃんたら、ツルちゃんに対して冷たいですわ。ツンツンですわ。ツルちゃんがカナちゃんにいじめられて泣くようなことがあったら、あたくしショックで、食パンが二十斤くらいしか食べられなくなってしまいますわ」
そんなことを言う彼女に手には巨大なライスボール(具はタラコ)が握られており、その口元にはしっかりとお弁当をつけていた。
近くに好男子でもいれば、「口元についてるよ」「まぁ」「ほら、とってやるよ」の図が完成するのだが、残念ながらいるのはルイーズただ一人。
グイズとリズの前では人並みの量しか口にしていないが、あの程度の食料で足りるわけもない。というか、世の中の人間すべてが、少食すぎるのだとルイーズは常々思っていた。
彼女は口元に米粒をみっつもつけたまま、電話を続けた。
「――それで。話を元に戻しますけど、パド神父の件につきましては……本当に残念でしたわ。ええ、やはり指輪もなくなっていました」
命を落とした神父のことを思い、追悼するようにまぶたをわずかに伏せる。長くて細いまつ毛が目元に影を作り、憂いを帯びた幻想的な美しさをかもし出していた。
その口元に、米粒さえなかったら。
「ちょっと、気になることがいくつかありますの。それをとりあえず調べますわ。ええ、ええ。やはり、この村はちょっと不可解すぎます」
思わずズブズブと沈んでいきそう思考を、無理やり浮上させて会話を続ける。
会話の最中も、ライスボールにかぶりつくことをやめない。ルイーズは何よりも、自分の欲望に正直だった。
「それですね、むごもご、あたくしといたしましては、早急に遺跡の方をもぐもぐ、探索、むきゅ、するべきではないかと、ゴクン。思いますの」
中に入っていたタラコを味わいつつ飲みこむと、鋭くつっこまれてしまった。
「え? 食べながら電話するな? まさか、レディがそんなはしたない真似するわけないじゃないですの。カナちゃんの気のせいですわ」
とぼけようとしたものの、電話の向こうからで脅すように低い声で名前を呼ばれ、ルイーズは身を固めた。自分の保護者がわりを名乗る相棒のこの声を聞くのは、どうも苦手だ。
「…………嘘をつきましたわ。ごめんちゃい」
素直に謝り、半分になったライスボールをようやく皿へと置いた。
未練タラタラの視線をライスボールに向けたまま、ジュルリとヨダレをたらす美少女は複雑怪奇に哀れだ。
まるでこちらの様子が見えているかのように、「話に集中しなさい」と言われ、舌を巻く。
「できたら、カナちゃんにも早くこの村に来て欲しいですわ。もしかしたら、あたくし一人では手に負えないかもしれませんの」
まだ確信は持てないけれど、その予感がしてならないのだと……
ルイーズは口元に米粒をつけたまま、思い詰めるような眼差しをしていた。
二章終了
三章へ続く