9 おやすみ
グイズはすぐに噛みついた。
「そんなの、帝都の中央都市のシスターだ。ちゃんと言ってただろ。それに、パド神父の葬儀が無事に終わったのは、ルイーズのおかげだぞ」
パド神父の葬儀をとり仕切ったのは、ルイーズであった。
村にはパド神父以外、葬儀…正確には鎮魂式をできる人物はいなかった。鎮魂式とは、死者の魂が迷わず安寧の世界に旅立てるよう、魂を沈める儀式のことであり、それができるのは聖職者のみである。
村唯一の正式な聖職者がパド神父だったために、そのパド神父が亡くなったことで、鎮魂の儀式ができない事態に陥ってしまったのだ。
それを解決してくれたのが、ルイーズだった。彼女は立派に、パド神父の代役を果たしてくれた。
「それはそうだけど……本当に、中央都市のシスターかなんて、彼女の言葉でしか確かめようがないじゃないか」
「鎮魂式をしてたんだぞ」
「それは……。でも、やっぱり……知らない人は信用できないよ……」
おそらく、カインの言いたいことはそれなのだろう。
外部の人間だから、信用はできない。
閉鎖的な村から出たことのないカインが、そう感じても仕方はない。
外からきた人間に対し、警戒心を持つのも当然なのかもしれない。
そう思いいたっても、やはりルイーズを悪く言うのは納得ができなかった。
カインに、自分達の恩人を悪く言ってほしくはなかった。
「大丈夫だって。だって、彼女は………」
「彼女は?」
「あんなにかわいいじゃないか」
「……………………ぼくは近い将来、グイズが悪い女の人に騙されるんじゃないかって心配になってきたよ」
いらぬ心配をしてくるカインに、グイズは憮然となった。
自分よりもよっぽど、カインの方が強引な女に押し切られて痛い目を見そうだ。
「馬鹿言ってんじゃねぇよ。カインは、ルイーズとそんなにしゃべったことがないだろ? だから、そう思うのだよ。ちゃんと縁を結べば、きっと仲良くなれると思う。な? 今夜の夕食をきっかけに、もう少し距離を縮めてみろよ」
「うーん……」
カインは腕を組む。
「でもさぁ。彼女、本当になんでこんなちっぽけな村に来たんだろう?」
「それは、言わなかったか? パド様が書いた本の内容を確認するためだって」
グイズはそう、ルイーズに説明をされていた。そして、説明された内容を欠片も疑っていない。彼女が、嘘を言う理由が一つも思いつかないからだ。
「本当に、そう思ってる?」
「思ってるけど……なんだよ?」
「いや……タイミングがさ……よすぎるし。なんといっても、ここ十年はやってこなかった外部のお客様だろ? 色々と、考えちゃって……」
「なんだよ。じゃあ、何か違う目的があって、ルイーズがこの村にやってきたとでもいうのかよ? だったら、何が目的だって言うんだ?」
矢継ぎ早に尋ねると、カインはもごもごと口を動かす。
「そ、そこまではわからないよ……でも、彼女が百パーセント信用に値する人間であるとわかるまでは、やっぱり心配なんだよ。もしも万が一、グイズやリズちゃんに何かがあったら……ぼくは、シスター・ルイーズをきっと……未来永劫、許さない」
心配し、怯えるような声音だったが……カインの言葉はどこまでも本気に聞こえた。
内向的で優しいカインには、こういった一面もあるのかとたまに驚かされる。
彼の何もかもを知っている気になっていたが、知らないところもあるのだなと、グイズは思った。
しかし、カインの心遣いはありがたかったが、グイズにはルイーズを警戒する意味がまるでわからない。
「大丈夫だって。だいたい、万が一、本当に万が一ルイーズが何かを企んでいたとして、あの子一人で何ができるって言うんだよ?」
小柄で華奢な身体つきしかしていないルイーズなど、自分が少し本気を出せばすぐに、取り押さえることができるだろう。
「それはそうなんだけど……」
「大丈夫、大丈夫」
「もお、グイズは能天気なんだから。いいよ、ぼくがグイズの分だけ心配してあげるから」
ほんの少しだけ拗ねたような声でカインは言う。
「でもさ。本当に、あまり信用しない方がいいと思う。ぼくたちは、彼女のことをまったく知らないんだからね?」
最後とばかりに、カインはグイズに念入りに言い聞かせてきた。
グイズはカインの心配だけは受けとることにして、笑いながらうなずく。
本当にわかってんだか……という顔をしながらも、カインはカウンターの後ろに並んでいる棚から開封済みの苺ジュースを出した。予め用意していた背の低いグラスに、中身を注ぐ。とろりとした赤透明の液体が、グラスの中に納まる。
これはこの店のサービスの一環だった。
「はい。いちごジュース。仕事中だから、アルコールはなしで」
「おう、ありがとな」
手に取って口元に近づけると、ほのかに甘酸っぱい匂いがふわっと広がった。
何度となく嗅いだ匂いではあるけれども、いい匂いだと思う。このジュースはリズも好きなので、いちご酒と一緒に買ってやろうと思う。そちらは、ちゃんと代金を払わせてくれたらいいのだが……払わせてくれるか、怪しいところである。
「いただきます」
グラスに口をつけると、濃厚な甘みとほのかな酸っぱさが見事にブレンドされた液体が、喉を通る。瑞々しい生の苺を口にしているのとはまた違う、美味を感じる。
「おまえんちのやつ飲むと、なんか元気が出るんだよな。疲れたあととか飲むと、特にそういうのを感じるよ」
「それはよかった」
ふわりと笑って、中身の減ったグラスに再び注いでくるカイン。
一杯飲むと、二杯目も欲しくなるカインの店の特別ないちごジュース。喉を鳴らして、グイズは飲む。甘く、甘く、酸っぱく、濃厚な……囚われるような美味。
「……ふぁ」
二杯目を飲み干したグイズは思わずあくびをしてしまう。昨夜はしっかりと寝たはずなのに、急に眠気が襲ってきた。これからハンス親方の待つ鍛冶工房に戻って仕事をしなければならないというのに、困ったことだ。
「どうしたの? 大丈夫?」
「いや、ちょっと……大丈夫」
「無理もないよ。あんなことがあったんだし……」
慰めるような声が、遠くで聞こえる。うとうとと、本気でグイズは眠りの世界へと落ちかけていた。身体が傾くのを、カウンターから伸ばしてきた二本の腕が支えてくれる。
硝子の砕け散る音が聞こえたような気もしたけれど、意識の中には残らなかった。だ
「おっと、悪い……」
不明瞭な声で、グイズは謝る。鍛冶工房に戻り、今から働かないといけないと、理性は叫んでいるのに、身体がどうしても言うことを聞いてくれない。
抱き留められたカインの肉体は、思っていたよりもしっかりとしていた。
面差しは柔らかなものだが、やはり男のなのだなと……馬鹿なことを考える。
「グイズ……おやすみ……」
カインの声が、聞こえた。
遠く、遠くの方で――。