3 震える唇
「パド様ー!」
裏口の扉は、キッチンへと続いている。手早く電灯をつけてキッチンを明るくする。
一見した限りでは、キッチンに異変は見当たらない。グイズは一階部分をくまなく探した。カインとルイーズも同じように、探してくれる。
居住区となっている一階には、キッチンと浴室、それから客間兼居間が存在している。
二階に寝室、三階は物置となっていた。
「グイズ! ぼく、上の方を見てくる……!」
一階にも二人の姿が見えず、カインが二階へと上がろうとしたタイミングで大きな物音が、上階から聞こえてきた。
ドスンッ
!!!
中から何か重たいものが倒れたか、落ちたかのような音が聞こえ、三人は顔を見あわせた。グイズの背中に、ひやりと嫌なものが流れた。
「リズ! パド様!」
名前を呼び、木でできた階段を駆け上がる。三人分の体重を受け、階段が軋んだ。
階段を上がるとすぐに、幅の狭い短い廊下が現れる。古いけれど、毎日綺麗に掃除をしている廊下には、いつものようにちり一つ落ちていない。
扉はそれぞれの寝室の数だけあり、どれもピタリと綺麗に閉じられている。
先程の音は、どの部屋から聞こえた?
ドン!!
再び、音が聞こえた。
「一番奥の部屋ですわ!」
叩きつけるような張りのある少女の声に反応し、グイズは一番奥の部屋――そこはグイズ自身の部屋だった。転ぶように短い廊下を駆け抜け、自分の部屋に入ろうとする。
だが、扉は忌々(いまいま)しいことにグイズの侵入を拒む。
「なんで!! クソ、なんでだよ!!」
ドンドンドン!!!
グイズは扉を強く連打した。
外部に繋がっている扉とは違い、室内の扉はどれも鍵など最初からついていない。
それなのに、頑丈な鍵がついているかのように、まったく開こうとしないのだ。
がむしゃらに体当たりをする。何度も、何度も。それ以外の開ける方法が、思いつかない。室内の扉は外のものと違い、ややもろい造りをしているのか、ミシミシと音を立てる。
だが、決定的に壊れる気配はまだ遠い。
「グイズ! 二人でやってみよう!」
「カイン手伝え!」
「う、うん!」
二人でタイミングをあわせて、肩を中心にして扉に全体重をかけて突進する。
一度、二度、三度。
肩に激しく痛みが走る。それはカインも同じだろう。
もしかしたら……!
不安をぶつけるように、一際強く身体を打ちつけると、ミヂッと鈍い音をたてて、扉の蝶つがいが壊れたのを感じた。
グイズは壊れた扉を乱暴に蹴り開けると、中に入りこんだ。遅れてカインとルイーズが続く。部屋の中は簡素な造りではあったが、清潔でなかなかに居心地のいい空間だ。
綺麗な状態を保っているのは、パド神父から教えたによるものだ。
見慣れたはずの室内に、とうてい看過できない光景が広がっていた。
先ほどの音は、これが原因だったのだろうか。
目の前に広がる光景に、指先が震えた。血の気が引く。呼吸をするのも、しんどい。
だが、グイズが茫然自失になったのはわずか数秒のことだった。
「リズ!!」
毎日モップで拭いている木の床に、小柄な肢体が手足を投げ出した格好で己の妹がいた。
少し前に聞いた物音の正体はきっと、妹だ。
「リズ! リズ!!」
グイズはリズに駆け寄り、十年間見守って来た妹を抱き寄せた。身内の目から見てもかわいいと思える、小さな妹。慌てて薄い胸に耳を当てた。
心音が、聞こえる。
「……ぁ……」
ドクドクと聞こえるのは、自分の血液の流れる音だ。緊張のまま、高鳴った心音に邪魔されながら、それでも妹の命の音を、確かにグイズの耳は聞き捉えていた。
「……ぁぁ」
震える吐息が、唇から洩れる。身体から、力が抜けた。
リズの小さな唇に指を当てる。唇は、少しかさついていた。
わずかだが、指先に呼吸を感じた。
意識を失ってはいるけれども、最悪の事態だけは避けることができたようだ。
「グイズ! リズちゃんは?」
「大丈夫……生きてる」
今はそれだけで、よかった。生きてる。それだけで、よかった。
「パド様……パド様は……?」
視線だけで、グイズはパド神父の姿を探す。
まだパド神父の無事は確認できていない。しかし、リズの傍から離れる気にはなれなかった。それに、腰が抜けてしまってすぐに立ち上がることができない。
室内には、パド神父が隠れるような場所はない。
「いいよ、ぼくが他の部屋を探すから。グイズは、リズちゃんの傍にいてあげて」
「あたくしも、探しますわ」
二人はグイズを部屋に置いて、廊下へと出て行く。
グイズはギュッと意識のないリズの小さな身体をかき抱いた。
数十秒後、カインの悲鳴が聞こえる。続いて、慟哭する声。
グイズは異常の――最低最悪な異常の内容が、頭の中に浮かぶ。
それは、本能による理解だったのかもしれない。
理解などしたくないのに、わかってしまう。きっと、でもそんな、馬鹿な……
固く瞳を閉じる。リズを抱きしめる腕が震えたまま、止まらない。
噛みしめた唇が裂け、赤い滴りが零れ落ちた。




