『開戦の合図のラッパは、ケータイのコール音で』
猫ちゃん可愛いですよね
そ れ と !
少し疲れた感じのお姉さんも可愛いと思います(大声)
東京に出てきたばかりの私は疲れていた。
仕事をしているせいもあったのだろうか、東京という町のどこか人付き合いに乾いた雰囲気が性に合わなかったのだろうか、昔抱いていた都会への憧れは今や色あせていた。
私は自分の故郷が嫌いだった。
私の故郷は小さな町で、「こんな町いつか出てってやる」、いつも心の中でそう思っていた。幸いにも私は少し見た目も良かったし、要領が良いタイプの人間だった。
常に上位のグループに属していたし、こんな町で終わる人間じゃないと常々思っていた。周囲もそう思っていた。だから、東京に来たのだ。
別に東京じゃなくてもよかったんだとは思う。
ただ都会に行けば何かが変わると思っていた。都会に行けば輝けるのだと思った。幸せも掴めるのだと思った。
最近、鏡を見るとハッと怖くなる。鏡に写っているのは、思い描いていた充実している仕事ができるキャリアウーマンの顔ではなく、ただ仕事に疲れた化粧も崩れかけの女だからだ。
もちろん、最初は身だしなみにも気を使っていた。
ただ、下手に仕事ができた分、少し重要な案件を任されて運よく成功させてからと言うもの、困った仕事は私に回せ、という雰囲気が会社の中でできてしまっているのだ。
それはありがたい事なのだろうけど、素直に喜べるほど私はおめでたくもない。そして、仕事に追われろくにメイクを治す時間もない。
あーあ、どこで間違ったんだろうな――
自分に言いよって来る男も下心丸出しのバカばっかりだし。バーで飲んでいたら酒に酔って、朝起きたら裸で知らない男の部屋で寝ていた事だってある。
化粧もテキトーで男関係にもだらしない女って私の目指していたものではなかった。むしろ正反対だ。
別に子供みたいな理想を持って居るわけではないが、そこまで達観している訳でもない。
だけれどもたまに思う、私は何が欲しくて東京に来たのだろうと。
「はぁ……、残業疲れたー」
そう言い背伸びをしながら冬の夜の暗い道を行く私は、会社は徒歩で帰れる距離だからと夜遅くまで残業したおかげで、適当にしてきたメイクは崩れっぱなし。
昔の友人が見たらきっと仰天するだろう。
昔の友人も今、結婚して幸せな家庭を築いてる人も少なくはない。
彼女たちから送られてくる年賀状などに写っている子供の写真を見るとやるせない思いが込みあがってくる。子供が欲しいなと思っても、先ず男を捕まえるのが先である。
「あ~あ、どっかにいい男でも道に転がってないかな~」
思えば、だいぶ残念な事を口にしてしまっていた。
そう言った途端に、私の足に生き物を踏んだ時特有の「ぐにゃり」とした感触があった。思わずその足を無理やり引き戻す。
「あら、まさか本当にいい男が?」
そう言って目線を下げてよく見ると、猫がうずくまっていた。
「猫ちゃん……。まさか今、私が踏んだせいで死んじゃった?」
そう言いながら、猫の息を確かめると呼吸はまだあった。ただ弱っている様子なのでこれは危ないのではと思い、近くの動物病院を頭の中で探したが、そもそも私は、動物病院がこの辺りにあるのかも、こんな遅くにやっているのかも知らなかった。
「にゃーぁ……」
と猫の弱弱しい鳴き声が聞こえたので、とりあえずアパートにこっそり連れて帰る事にした。
これが私と夜色の猫、ノワとの出会いだった。
猫の体が冬の寒さで冷え切っていたので家に帰って冷蔵庫を漁ってみると牛乳が有った。少し温めてから広めの皿に移して、猫の目の前に置いた。するとそれまでの弱弱しい様子が嘘のように夢中になって飲み始めた。
「あらあら猫ちゃんもしかして、お腹すいて倒れていたの?」
「けふっ」
猫は、ちょうど牛乳を飲み終えてから、ゲップで返事をした。小さい子供ってこんな感じなのかな、と考えるとなんだか可愛らしく見えた。
そのまま、猫ちゃんを一晩泊めてあげると、体にかかる重みで朝、目が覚めた。私の布団の上に猫が居たのだ……。
「猫ちゃん、重いよ……。あともうちょっと寝かせてよ……」
どうせ起こしてくれるなら、イケメンな優しい男の子が良かったな……、と思いながら再び布団をかぶろうとすると……。
「にゃん」
なんか、ダメだって言われた気がする……。仕方ないから猫ちゃんを手で持ち上げてどいてもらう。その時、「りん」と澄んだ鈴の音がなった。どうやら猫ちゃんの着けてる首輪から聞こえた様だ。
「キミ飼い猫だったのかー」
「にゃん?」
「まあ確かにしつけはよくできてるなとは思ったけどね……」
とりあえず飼い主探さなきゃねと思ったけれども仕事があるしなーと思ったが、すぐによからぬ考えが頭をよぎった。
「よし! 今日は会社をサボるぞー!」
今日私は生まれて初めて会社をサボった。
会社に風邪を引いて会社に行けない旨を出来るだけ鼻声で伝えた。少し学生時代に戻ったような楽しげな気分だった。
「えーっとね、飼い主さん探すには、ポスターだね。こう見えて昔から絵は得意だったんだから!」
本当は写真を撮ってパソコンで取り込んで、ポスターを作った方が楽だし早いのだがあえてそうしなかった。描きたい気分だった。
ポスターは直ぐにできた。ただせっかくだからポスターの猫ちゃんに色を塗ろうとこっちに越してきて以来使っていなかった色鉛筆を引っ張り出して色を塗った。
「キミの毛色は黒じゃなくて、なんていうか夜色だよね? 黒に少し青が混ざっているような、深みのある色。うーん。表現するの結構難しいや」
そう言って私が笑うと。
「にゃーーん」
何故だか誇らしげに鳴いた。
ようやく満足のいく色合いに仕上がり、猫さんの特徴を書き込み、ポスターが完成した頃にはもう十時頃だった。どうにも何事にも時間を忘れて取り組んでしまう悪い癖が出てしまったらしい。猫さんの様子を確認すると
「にゃ」
とムスッとしていた。そういえば、朝ご飯あげて無いんだった。
「あいにく昨日キミにあげたので買ってある牛乳最後だったんだよね……」
これは買い置きしていなかった私が悪いのか、突然の来客? である猫さんが悪いのか……。
とりあえず、猫さんがお腹を空かしたままじゃアレなので買ってこようか。今度は牛乳にキャットフードもつけてあげよう。
さてここで一つ重大な事を決めておこう。
「キミの事は飼い主さんが見つかるまで預かるだけのつもりだけど、名前が無いと不便なんだよね―。キミもいつまでもキミキミ言われるのも嫌だろう」
それに私名前を付けてみたかったんだよねーという心の声は言わない方が賢明だろう。
「ノアール? うぅん、ちょっと違うな……。縮めてノアでどう!」
私がそう言うと
「な~~ん」
何ともうんざりした様な返事が返ってきた。
先ほど完成したポスターをプリンターで一先ず五枚程カラーコピーしてテープと一緒に持って外出する。しかも私はスッピンだ。もはや、少しの外出など気にしないのだ! 心はピッチピチの学生! お肌もピチピチ(のハズ)。
うちの家はコンビニに行くよりも近くにスーパーがある。スーパーで牛乳と少量の袋のキャットフードを買い、ついでにスーパーの店員さんに誰のか分からない猫を預かっているので飼い主探しをしたいという事情を話して、ポスターを張らせてもらう許可をいただきました。
「どこに貼りましょうかねー」
私が上機嫌で貼る場所を探していると
「この上野剣道教室と、猫さがしのポスターの間でいいや――ってええ!」
これノアと似た猫とその飼い主さんの写真がポスターにプリントして「この猫探しています」とありますね。
「すごい偶然と言うか、何というか……」
これ私ポスター作る意味あったんです? と思ってしまいますよ、まったく。まあ、楽しかったから良いんですけどね?
猫さがしの方のポスターに飼い主さんの電話番号が描いてあったので、さっそく電話して差し上げます。ケータイって便利!
リズミカルにコール音が鳴って、それが二、三回繰り返されたあとに、
「はい、高峰ですが」
と、若い男の声で名乗られた。
「えーっと、こちら、茜崎という者なのですがお宅の猫ちゃんじゃないかと思う猫を今自宅で保護してまして――」
そこまで私が言うと
「本当ですか!? 良かった。ノワ生きてたんですね……。本当に良かった――」
最後は泣いていた。なんだか可愛い人だなと思った。
あと私が勝手に付けた名前と、実際の名前がほぼ変わらない事に吃驚した。一文字違いだ。落ち着くのを待つ。
「――有難うございます。ノワをすぐに迎えに行きますんで、どちらへ伺えばよろしいでしょうか?」
何気なく、先程の猫さがしのポスターを見ると、猫と一緒に写ってる飼い主さんはメガネを掛けた落ち着いた雰囲気の二十代中盤ぐらいの男性だった。けっこう私の好みかも!
すぐに私が今スッピンで来ている事を思いだした。彼の家が近かった場合に私が化粧してる時間がない。
「いえ、私の家はわかりづらい場所に有るんでこちらから向かいますよ。ご住所はどちらで?」
女は、こういう時だけ頭が回る。
「日比谷の駅のすぐ近くですけど。いえ、そんな悪いですよ。僕が迎えに行くのが筋ですし」
この調子ならいける。
「いいのよ。ちょうどその辺りに用があったし」
「ですが……」
「なら、日比谷の駅まで迎えに来てくれる? 間を取るという事で」
「わかりました。わざわざすみません」
ほらね?
「その代りとは言ってはなんですが、少し時間を待ってもらって良い?」
ここから家に帰るのが七分程度。ノアに少し餌をあげて……。メイクに五十分はかけたいわね……。
「はい、もちろん大丈夫ですよ。どれくらいに?」
服を選ぶのに十五分かしら? 向かうのにも十分程度ね。
「今から一時間半後ぐらいかしら」
「わかりました。僕の携帯の番号は今かけてもらっているので大丈夫です。着いたらかけてくださいね」
「あの、少し変な事聞いてもよろしいですか?」
私が尋ねると、彼は不思議そうに
「はい、なんでしょう?」
と言った。
「ノワちゃんの名前の理由とかあります?」
たぶん彼と私は似たような考えで名前を付けたはずだ。
「フランス語のノワールからですよ。ほら、ノワの毛の色ってなんだか深みのある黒色でしょ?」
ほらやっぱり。
「ありがとうございます。では八十分程後に」
私は急いで家に帰ると、ノア、じゃなかったノワに買ってきた牛乳と、キャットフードを与えて
「ノワ、すごい偶然ね。男が転がってないかなー、と言ったらあなたを見つけて。そしてあなたは私に男を連れてきてくれたんだもの」
それもイケメンのね、と私は続けた。
「んな~~」
と、ノワはあくびだか返事だかわからない鳴き声を上げた。
ううん。偶然なんて言葉じゃなくて、きっとこれは意味のある偶然だったのでしょう。
「なんて言うんだっけ? えっと――シンクロニシティと言うのかしら?」
まあ、何にしろ、ここから恋する女の戦いが始まる。
服は鎧だ。 化粧は盾だ。 少し開けた胸元は剣だ。
そして、開戦の合図のラッパは、ケータイのコール音で。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
実は一番気に入っている作品。
自分らしさがでたかなーって