はしれ! メロスちゃん
メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスには算数もわからぬ。メロスにはプリキュアと、大好きなママと、おゆうぎ会で覚えた振り付けのことくらいしかわからぬ。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。
「メロちゃん、おままごとしてあそぼー。」
「うるさいっ! メロスはいまそんなことしてるばあいじゃないのっ!」
激怒しているメロスちゃんは、ともだちのセリーヌちゃんのお誘いをポイ! しました。
ここはシラクスぼくじょう。羊さんやヤギさんたちとふれあえる、幼稚園の遠足にうってつけのレジャー施設です。
メロスちゃんはぷんぷんしながら、先生にたたたっと駆け寄りました。
「どうしたの、メロスちゃん?」
「ディオニスくんがひつじさんをいじめてる!」
メロスちゃんが指さした方向には、羊さんにまたがってウィリー走行しようとしている男の子の姿がありました。
「困ったわねぇ。先生が注意してくるわね。メロスちゃん、教えてくれてありがとね。」
先生はメロスちゃんの頭を撫でます。メロスちゃんは気持ちよさそうにしてから、ふふーん、と胸を張りました。
そのとき、先生の体が羊さんに突き飛ばされ、先生は目を回して倒れてしまいました。
「あーっ! ディオニスくんいけないんだー!」
「ヒャッハーーー!! オレサマのモフモフ号のまえにいるからいけないんだぜーーーー!!」
王様気取りのディオニスくん、高笑い。メロスちゃんはいよいよはらわたが煮えくり返ります。あっ、と思ったときには、メロスちゃんの手はディオニスくんのほっぺたを叩いていました。
「いたっ!」
「あっ、ご、ごめん……。」
「ううーっ、ゆるさないぞ! くすぐりのけいだ!」
涙目になりつつも、ディオニスくんは手をワキワキさせ、近づいてきます。
ディオニスくんのくすぐりの刑は、馬乗りになって相手の腕を脚で挟み抵抗できなくしてからくすぐる、本格的なくすぐり攻撃です。あの体のおおきいフィロストラトスくんを保健室送りにしたこともあります。
ひょっとすると、今くすぐられたら、えんそくで楽しみにしていた「牛の乳しぼり」ができなくなるかもしれません。
メロスちゃんは泣きそうになりながらも、決意のまなざしでディオニスくんを見返しました。
「いいよ、それでまんぞくするならしたらどう? そのかわり、ちょっとだけ、まってくれない?」
「ちょっとって?」
「えんそくで、おうまさんコーナーにいくじかんまで。それまでまってくれたら、ちゃんともどってくるよ。」
「ばかな。」ディオニスくんは、けらけらと笑いました。「どうせうそだよ。もどってこないよ。」
「うそじゃないもん! わかった、じゃあ……セリーヌちゃーん! ちょっときてー!」
ほかの友達といっしょにヤギさんをなでなでしていたセリーヌちゃんは、メロスちゃんの呼びかけに気づくと、ぱたぱたと急いでやってきました。
「なあに、メロちゃん?」
「ディオニスくん、おうまさんコーナーにいくまでにメロスがかえってこなかったら、セリーヌちゃんをくすぐりのけいしていいから。」
「わかった。」
「えぇーっ!?」
セリーヌちゃんはわけもわからずふたりを交互に見ます。メロスちゃんはそんな親友を、ひしと抱きしめました。セリーヌちゃんは「なんでよぉ……。」とぽろぽろ涙を落としながらも、仕方なく抱きしめ返しました。なんだかんだいって、セリーヌちゃんはメロスちゃんのことが大好きだったのです。
「じゃあ、いってくるね!」
「いってらっしゃーい!」
「どうせもどってこないけどなー!」
メロスちゃんは、先生に見つからないように遠くに行くと、シラクスぼくじょうの地図を見回しました。
「ひつじさんがさっきのとこでー、ねこさんがここでー、うしさんがここ!」
たったかたー、メロスちゃんは走り出します。
ちっちゃな女の子メロスちゃんの、だいぼうけんが始まりました。
牛さんのお家は遠めでしたが、元気なメロスちゃんにとってはそんなきょり、お茶の子さいさいです。
ずささーっと音を立ててお家の前にストップすると、そこには牛さんのパーカーを着たお姉さんが立っていました。
「うしのおねえさんだ!」
「あれ? 幼稚園生?」
「あのね、メロス、しぬまえにうしさんのちちしぼりだけはしておきたいの!」
メロスちゃんは短い腕を縦にぶんぶん振りながらいいます。牛のお姉さんは、はて、と首を傾げました。
「死んじゃうの?」
「えっ?」
「死ぬ前に乳搾りしたいんでしょ?」
メロスちゃんはふるえだします。
「メロス、しんじゃうの……?」
「自分で言っときながらわかってなかったんかい! 大丈夫だよ~メロスちゃん、死なないよ~。あと八十年くらいは生きられるよ~。」
「ほ……ほんとに……?」
「ほんとほんと。世の中にはまだまだいっぱい楽しいことがあるんだからさ。よし、幼稚園の先生のところへ帰ろっか!」
「うしのおねえさん……。」
「なーに?」
「そのうしさんのおようふくは、うしさんのきもちになれるため……?」
牛のお姉さんは、ころころ変わる話題に苦笑いします。
「そうだよ~。これを着るとね、牛さんの言葉がわかるのである。」
「ほんとに!? すごーい!! うしさーん!!」
「あっ、勝手に入っちゃ……まあ、いっか。」
牛のお姉さんが、牧場長をつうじて幼稚園の先生に連絡しているあいだ、メロスちゃんは牛さんを見上げて、目をきらきらさせていました。
「うしのおねえさん、しゃべって! しゃべって!」
「はいーはいー、あ、ちょっと待ってください?」牛のお姉さんはスマホの保留音を鳴らして、メロスちゃんに向き直ります。「なーにメロスちゃん、お姉さんに牛さんと話してほしいの?」
「うんっ!」
牛のお姉さんは(やべえ絶対この天使の笑顔に応えることこそが大人としての義務だ)と思い、せき払いをしてから言い放ちました。
「ン……ンモ~~~~。」
牛さんは草をもぐもぐしながら黙っています。
「ン、ンモッ、ンモ~~~~ゥ!」
牛さんは草をもぐもぐしながら黙っています。
「ン、ンモァァァァァァァアッ!!」
牛さんは草をもぐもぐしながら、うんちしました。ぼとぼと。
牛のお姉さんは喋るのをやめ、おそるおそるメロスちゃんを見ました。
今ここで起こっていることが理解できないという顔をしていました。
牛のお姉さんはスマホの保留音を解除すると、電話の向こうにまくし立てました。
「(牧場長! そういうわけですからお願いします!)」
「(任せたまえ。)」
お姉さんはスマホをちょちょいといじり、ぽいと牛さんの方へ投げました。
「えー、ごほん。メロスちゃん、今ちょっと牛さん疲れてるみたい。」
「しゃべってくれないの……?」
「ほら、ちょっと顔色悪いでしょ?」
メロスちゃんはぴーんとつまさきだちで背伸びして、牛さんの顔色を見ます。
「ほんとだ……ふつうはしろとくろなのに、まっくろだ……。」
「そういうことだから……、んっ? おやおや?」
お姉さんがなにかにきづき、メロスちゃんも顔を上げます。
……モォォォ
そんな声が、牛さんの方から聞こえてきたではありませんか!
「うしさん!」
『モォォォォオ!!』
「うしさぁん!!」
『モォォォォォォォオオッ!!』
少し牧場長に似ている声の牛さんが、元気に鳴いています。
はしゃぐメロスちゃんのうしろから、不敵な笑顔で牛のお姉さんが現れました。
「ンモッ、ンモォォ、ンモ?」
『モォモォ!』
「わぁー!! うしさんとしゃべってるー!!」
メロスちゃんはぴょんぴょんとジャンプして、体の上から下までのぜんぶでよろこびを表します。
「なんてゆってんの?! なんてゆってんの?!」
「『メロスちゃん、来てくれてありがとう。きみはかわいい子だね。』って、言ってるよ。」
「ん~~~~~~っ!!!!!!」
満面の笑顔になるメロスちゃん。もちもちのほっぺたにちっちゃな両手を添え、首を体ごと横にぶんぶんと振るすがたは、とってもうれしそうでした。
メロスちゃんはあまりのうれしさに、乳しぼりのことを忘れてしまったようでした。
「ありがとー! ばいばーい!」
「あっ、待ってメロスちゃん、ひとりだと危ないからー。」
たったかたったか、走るメロスちゃんに、少し遅れて牛のパーカーのお姉さんがついていきます。
「メロスちゃん、お姉さんと一緒に行こうね?」
「うしのおねえさん、おねえさんがいなくてうしさんさみしくない?」
「大丈夫だよ~。あの野郎あの後スマホ踏み潰しやがってあいつマジ寂しさで少しは懲りたらいいんだ。」
「ふぇー?」
「なんでもないよ~。あ、ほら、みんなが見えてきたよ。」
「どこどこ?!」「ほら、抱っこしてあげるから。」
牛のお姉さんに抱っこされたメロスちゃんは、羊さん広場に集まった、ぶどう組のみんなを見つけます。集まっているので、きっと、次の場所に行く準備をしているのでしょう。
「あーっ!!」
そのとき、メロスちゃんは思い出しました。
「おろして、おろして!」
「え? どうしたの急に? あっ、あんまり走っちゃ危ないよー!」
思い出したのは、ディオニスくんとの『お馬さんコーナーに行く時間までにもどる』という約束。
「セリーヌちゃんがくすぐられちゃう!」
ぶどう組は、羊さん広場の次は、お馬さんコーナーに行く予定だったのです。
ぜんそくりょくで走る、メロスちゃん。
その前に、ヤギさんの群れが立ちはだかりました。
群れは道をのろのろと横切り、氾濫した川のように通せんぼをしています。
「ううーっ、やぎさん、どいてよーっ! ……こうなったら、うりゃー!」
メロスちゃんはヤギのだくりゅうに突っ込み、ヤギさんをおしのけおしのけ、やっとこさ群れを通り抜けることができました。
ころがるように走る、メロスちゃん。
その前に、一隊の猫さんが立ちはだかりました。
山賊のように汚れた猫さんは、にゃーにゃーと鳴きながらメロスちゃんにすり寄り、甘え始めます。
「ひゃー、かわいー! よしよし。にゃー、にゃにゃー? ……あ!! こんなことしてるばわいじゃない! ばいばい、ねこさん!」
メロスちゃんは猫さんの肉球の誘惑を振り切り、むぅ~、と悔しいような切ないような声を漏らすと、振り返らずに走り出しました。
息をきらして走る、メロスちゃん。
とつぜん、くらり、と目の前がゆれて、転んでしまいました。
思えば、今日は牧場にきてから怒りっぱなしの喜びっぱなしの、走りっぱなしです。まだ五さいのメロスちゃんは、もう疲れてうごけなくなってしまいました。
でも、このままじゃセリーヌちゃんが……。
セリーヌちゃんがメロスのかわりにくすぐられちゃうよ……。
メロスのせいだよぅ……。
「……う」
メロスちゃんは強いこどもです。
「うあーん! うああーん!」
でも、泣いてしまうときもあるのでした。
――こどもの悲しい泣き声には、きっと誰かが気づいています。
ゥモオオオオオオオオオオオッッ!!!!!!
牛舎の方から聞こえてきたのは、牛さんの叫び。牛のお姉さんを驚かすのは、牛さんの全力ダッシュ。
メロスちゃんのピンチに駆けつけたのは、かたくなに鳴かなかった黒い牛さんでした。牛さんは、いっぱい嬉しがるメロスちゃんを見て、へんな意地を張らずに鳴いてあげればよかったなあ、と後悔していたのです。
「あっ! うしさん! よぉし!」
メロスちゃんは最後の力をふりしぼり、大きくジャンプ。走る牛さんの背中に、ぽむっと着地すると、しがみつきました。
羊さん広場の、集まったぶどう組のところへいっちょくせん!
「って、止まれええええええええ!!!!!」
牛のお姉さんの大声のおかげで、牛さんは広場の柵を壊したあたりでブレーキをかけました。するっとメロスちゃんは牛さんから降りて、「ありがとっ、うしさん!」と頭をなでなで。
「メロスちゃん!? 今までどこ行ってたの!? なんで牛!?」
先生はおおあわて。ぶどう組のみんなは、ぽかーん。
そんな中、メロスちゃんはセリーヌちゃんに歩み寄ります。
「セリーヌちゃん。」メロスちゃんは目に涙を浮かべて言いました。「メロスをぶって。ちからいっぱい、ぶって。メロス、とちゅうであきらめそうになって、ないちゃった。セリーヌちゃんがもしメロスをぶたなかったら、メロスはセリーヌちゃんをぎゅーできないよ。ぶって!」
メロスちゃんは目をぎゅっとつむって、自分のほっぺたを差し出します。セリーヌちゃんは、あわあわと困ってしまい、それでも自分なりのかんがえを言いました。
「あのね、メロちゃん。わたしをぶって。メロちゃんはぶたれるようなことしてないから、わたしをぶって。わたしはメロちゃんがもどってくるまえに、ほんのちょっとだけ、メロちゃんをうそつきだとおもっちゃったの。メロちゃんがわたしをぶたないと、わたしはメロちゃんをぎゅーってできないの。」
メロスちゃんとセリーヌちゃんは、おたがいのほっぺたを差し出したまま、ぷるぷるとふるえていました。
しばらくして、ふたりはおそるおそる友達の方を向きます。
どちらもきょとんとした顔をしていました。
「……ぷっ」「……くすっ」
そしてふたりは、なみだが出るくらいにたくさん、たーっくさん笑いあいました。
それから、これがぶつ代わりだというように、お互いをぎゅぎゅぎゅーっと苦しくなるほど抱きしめました。
そしてそれを、先生と、牛のお姉さんと、黒い牛さんが優しいひとみで見つめているのでした。
牧場は、今日も平和です。