See you on the future life.
一陣の風が、砂塵を巻き上げ、天空へと運ぶ。砂の丘陵は表面を水のように滑らせ、月光に輝く様は宙を横切る銀河のようである。
その光景は砂時計の中で、煌く砂が落ちるのにも似ていた。睡魔の魅せる幻覚に、青年はつい相棒の掌で船を漕いだ。
「マスター、そろそろお休みになりますか?」
「いや、もう少し、この景色を眺めていたいな……」
ゆったりと襲う睡魔に深く息を吐きつけながら、青年は頭上の声に応じた。相棒の左手は、暖かい。それが、より一層眠気を誘うのだ。
地球は今、その八割が海へと沈み、残り二割の陸地のうち、半分以上が砂漠と化している。気候変動や過去の人間による環境破壊が、その原因であった。
人類は住む場所を限られ、その数を急激に減らした。文明は衰え、深く暗い水底か、砂の波へと消えていった。互いの通信手段も絶たれ、現在何れ程の人類が生き残っているのかも、不明である。人類は、このまま滅亡するものと思われていた。
ところが、着々と侵攻を進めていた地球による人類の排斥は、ある時期を以て収束を迎える事となる。急速に広がる砂漠地帯、それをも飲み込まんとする海洋の拡大、それらが一斉に侵蝕を止めたのだ。
人類はこれを機に、外界への探索を開始する。
青年は、その探索隊の第二十期に所属していた。先遣隊として、本隊の出動に先行して外界へと飛び出した。広大な砂漠で逞しく生きる動植物、遠く離れた場所に垣間見えた青い海、明かりのない夜の星空、目にするもの全てが、彼には宝のように見えた。素晴らしい旅であった。
帰り際、嵐に巻き込まれ、遭難するまでは。
唯一の救いは、相棒の無事である。探索隊の隊員一人につき一機、必ず割り当てられる探索用ヒト型飛行ロボットが、それだ。その機構について、青年は詳しいところを知らないが、最新鋭の人工知能を詰み、神秘的な技術で以て両腕を繋ぐ、現人類における最高の仕業によって生み出された代物である事には違いない。特に左腕はパイロットの細胞を培養した人工皮膚を用いて作られており、これが認証システムとしての役割をも果たしているのだ。
そんな人類の英知を集結させた存在である彼のおかげで、遭難後もなんとか生き延びる事ができている。だが、それも時間の問題であった。漸く人類が取り戻した通信機能は、嵐によって破損し、使い物にならない。救難信号を発信する別回路は生きているものの、これは受信者の接近がなければ、殆ど無意味なのである。
「本当に、そろそろお休みになるべきかと」
思考の海に沈んでいた青年に、相棒が優しい音声を届けた。彼の言う通り、本当に休むべきなのかもしれない。そう思うと、急激に身体が重くなったような気がした。やはり、疲れているのだ。
「ありがとう、そうするよ。お前も少しお休み。朝には起こすよ」
「了解しました」
青年は静かに瞼を閉じ、その身を相棒の掌に預けた。人肌らしい温もりが、優しく身体を包み込む。心地よい感覚に、浮遊するようだ。
生きて、戻る事ができるだろうか。帰りたい。故郷には、家族がいる。そろそろ彼女は出産予定日だったな。本当は、今頃その準備で忙しかっただろうに。申し訳ない事をした。帰ったら、謝らなければ。何か、甘いものでも買ってやろう。そうだ、明日は彼にその相談でもしよう。彼のデータベースに、スイーツショップの情報があるかは、甚だ疑問だが。まあ、いい。時間は、いくらでも……。
「おやすみなさい、マスター」
主の意識が完全に落ちるのを待ち、彼は音量を最小限まで落として囁いた。主の言いつけは、自分も休むようにという事だったが、彼はそれを守るつもりはなかった。主を守るために、必要な命令違反である。
――声が、聞こえる。マスターの声だ。呼びかけている。
「おーい、おい、聞こえるか? 機能してる?」
――自分は、いつの間に機能を停止していたのだろう。
「こりゃ、駄目かな? どう思う?」
――これは、誰に聞いたのだろう。誰かが近くにいるのか。救援信号が、受理されたのか。
「声紋認証システムじゃないか?」
「なるほど、それだ。どうすっかな。持ち帰れるか?」
――とにかく、これはマスターの声だ。主は無事だ。よかった。起きなければ。
「おはようございます、マスター」
「うおっ、びっくりしたー。なんだ、起動できるんじゃん。おい、声紋認証がなんだって?」
「いや、おかしいな。だって、この型は……」
正しく声紋認証により起動した彼は、続いて目の前の青年二名に対して、顔認証を実施する。片方の人間は、間違いなく主と一致した。更に、彼の機体に触れる指先で、指紋認証。これも、間違いはない。
ただ、違和感があった。機械である彼には、それが何か、分からない。データベースに残る彼の主とは、何かが違う。ただ、それだけだ。
「さて、お前さん、自力で移動できるかい? 油、差す?」
「いえ、必要ありません。マスター、どうぞご搭乗ください」
彼の呼びかけに、主は応じなかった。戸惑った様子で、もう一人の人間を見つめるだけである。
救いを求めるかのような視線に、主の友人は答えなかった。ただ肩を竦めただけだ。仕方ないとでも言うように、主は彼に向き直った。
「いや、えっと、俺はお前のマスターじゃないよ」
「しかし、声紋も指紋も、顔認証も、間違いなく貴方がマスターである事を証明しています」
「それは、きっと何かの偶然だ。お前のマスターは、今お前が大事に握っている、彼じゃないのか?」
気がつかなかった。確かに、最後に主と会話をした時、彼はその手の中で主を守っていた。それなのに気がつかなかったのは、自分の手に収まる重みが、すっかり軽くなってしまっていたからだ。
「偉いな、お前。今時珍しいよ、こんな風にマスターを守る機体なんて」
「馬鹿、こりゃ随分旧型だぜ。僕達の、曾々々祖父さんくらい前」
「マジかよ、だったら尚更すげえじゃん。今日まで、ずっとこの人を大事に抱え続けてきたんだろ? 大事にされてたんだな、お前」
笑った顔が、よく似ていた。抽出された特徴点が、完全に一致するのだ。
「どうぞ、私をお使いください」
「いや、だから……」
「新しいマスターとして、どうか」
「それは不可能じゃないかな。君の型は遺伝子型による生体リンクを用いて、操縦を行うんだろう。そこにいる君の本当のマスター以外で、君を操る事ができる人間はいない。いくら認証をパスしようと」
もう一人の人間は、メカニックのようだ。如何にも勉強を積んだ、それらしい話し方をする。
「お前、感動の場面に横槍入れるなよ」
「本当の事を言ったまでだ。それに、君がわざわざ操縦しなくたって、自動追従機能を彼自身が用いれば、勝手に僕らについてきてもらえるよ」
「身も蓋もない……。悪いな、昔からこういうやつなんだ。アンディよりアンディらしいって評判でさ」
「構いません。マスター、私はただの人工知能です。気に致しません。それより、どうか一度お試しください」
ただの人工知能であるはずの自分が、何故か根拠のない可能性に固執している。その事にさえ、彼自身気づいていない。
「お前さんも頑固だね。いいよ、やってみよう」
「おい、時間の無駄だぞ」
「別に減るもんじゃなし、やってみようぜ。これで動けば儲けもんだ。時間なんて、いくらでもあるさ」
青年は、生体リンクの準備に取り掛かるのだった。