第九六話……柏原さゆり1
「君は……異能力研究所所属の実験体、柏原宗次郎だな?」
「……」
柏原は寂しそうに微笑んだ。
「何がおかしい? 君達は……」
「残念ですけど、僕は戻りません」
「何?」
隊長らしき男は怪訝な顔で柏原を見た。その手にはしっかりとアサルトライフルが握られている。その銃口はかた時も、柏原から外れることはない。
すでに実験体の情報は行きわたっている。
研究所を壊滅させ、逃亡している実験体の顔、容姿、その能力が一体どんなものなのか。この部隊の隊長は、柏原が出てきた事に内心安堵していた。
提供された情報によれば、柏原の能力は「サイコダイブ」。人の精神に侵入するという能力だ。しかし、その能力は覚醒者の中でも一、二を争うほどに弱い、と。
人の精神に侵入するだか何だか知らんが、この人数をどうにかできるはずがない。
隊長はほくそえむ。
「おとなしくした方が身のためだぞ。おとなしく我々と……」
「……おとなしく? あなた達と? どうやって私を連れていくのですか? あなた達はここで死んでしまうのに?」
「……?」
男達は柏原の姿に目を見張り、自分の耳を疑った。
彼の姿が、声が、変貌していく。
男達はその確実に起こっていく変化を目の当たりにしているにも関わらず、柏原がまるで初めからその姿や声であったかのような錯覚を受けていた。
少年の体は丸みをおび、胸が膨らみシャツを押し上げる。
「なん、なんだ? 一体!?」
肌も、胸も、髪も、顔も、声も、すべてが変わり、柏原宗次郎が女になった。
「……母さん」
柏原は小さく呟いた。
私が女の姿に戻るのは、母さんが死んだ時以来だね……。
彼女はその切れ長の瞳を上げ、男達を睨みつけた。
母さん……。
母親のぬくもり。まだ記憶の中の母親の手は柔らかく温かい。
その感触は今も、鮮明に覚えている。
「お母さん!」
「どうしたの、さゆり」
幼いさゆりは大好きな母親に抱き付くと、今では思い出すことのできない笑顔の母の顔を見上げていた。
懐かしく、悲しい記憶だった。悲しみが母親の顔を思い出す事を拒んでいる。
初めて能力に気が付いたのは五歳の時、近所の子犬の中に入った時だった。
彼女はこの事実を知った時、心を躍らせた。
そして、そのうれしい発見を真っ先にたった一人の肉親である母に教えようと母の元へとかけていった。
「あのね、あのね! あたしね、ワンちゃんの中に入れるんだよ」