第六話……一匹と一人
シュルシュルと長いしっぽが空の前を通り過ぎていく。
「どいてくれる?」
「うん?」
白衣の女の子は空に声をかけられ、はじめてその存在に気が付いたのか、ハッとしてからやっと聞き取れるほどの小声で「ごめんなさい」と言って彼の横に降りた。
空は体を起こすと彼女と視線を合わせた。
「……?」
クリクリとした琥珀色の大きな瞳、よく見れば彼女には大きな猫の耳が生えていた。
その上、首輪までつけられているではないか。首輪にはプレートがつけられ「Second」と記されている。お姉ちゃんと呼ばれていた猫も同様の首とプレートがつけられ「First」と文字があった。
「大丈夫かい?」
一人と一匹に注意をしていた男に声をかけられ、「ああ」と頷いた。
立ち上がりながら、彼の胸につけられたネームプレートを見る。「高橋」という名前の横に彼の写真が印刷されている。少し前に撮った写真なのか、今の彼とは髪型が違っていた。
二十代後半と思われる高橋は男性のわりには小柄で、空が立ち上がると身長を越してしまう。
「あ、こら! ファースト戻ってこい!」
「にゃあ!」
「お前が行ったら、セカンドまでついて行ってしまうだろうが!」
不思議な光景だった。彼はまるでファーストが人間の言葉を理解しているかのように語りかけていた。
ファーストの方もそれに答えるように、渋々足を帰ってくる。
「賢いんだな。その猫」
「いや……」
高橋は猫達の暴走が落ち着き、少し冷静さを取り戻したのか、空が何者か探るような眼をして言葉を濁した。
空はポケットに突っ込んでいたIDを取り出し、高橋に突き出した。
名前と顔写真、それから実験体であるということが書かれている。
「ああ、まあ、そうか。こんな所に、君みたいのがいて何者かと思ったんだが、普通に考えれば、それしかないよな」
「……?」
高橋の言い方に何かひっかかるものを感じたが、空はそれよりも猫の話を振った。
「あの子だけど……」
「ああ、セカンドか。あいつらなら、まあ、ここで隠すことでもないから言ってしまうが、ある種のDNAと動物……つまり、猫だな。を配合させるという実験で生まれたんだ」
「実験で生まれた?」
「ここはそんな事もやってるんだ。ファーストは猫の体に人間に近い思考を持ち、セカンドはその逆だ。セカンドはずいぶんとファンタジックな容姿をしているが、一応人間さ。姿形は違えど、こいつらは姉妹みたいなもんさ」
いいながら高橋はやれやれと頭を掻く。さしずめ高橋はファーストとセカンドの世話係のような立場にいるらしかった。
「とはいえ、もう廃棄品に近いんだけどね」
「……」
廃棄品、という言葉に空が眉をひそめた。呼び名もそうだが、少なくとも命あるものに対する言葉ではない。
「廃棄品っていったけど、こいつらの実験というのはもう終わってるのか?」
「うん、まあ、そうだな。データは取り終わっている。さっきも言ったけど、失敗しているんだ。だから、そこで終わったんだ」
「ということは、もう必要ないんだ?」
「まあ、そうなるな」
空はしっぽの長い姉と、その姉にちょっかいを出して怒られている妹を見た。
「こいつら、貰ってもいいか?」
「……」
空の言葉に高橋は一瞬言葉を失い、次に笑いだした。
「はははっ、またなんで?」
「なんとなく。必要ないんだろ?」
「ああ、別にかまわない。むしろ助かるよ。ただし、変な事に使うなよ」
「変な事?」
「ああ、大人の話さ」
茶化すように笑う高橋に、空は目を鋭くした。
「おっと勘違いするなよ。俺はごく普通の大人だ、特殊な趣味は持ち合わせていないよ」
「異常者が自分の事を異常者だと言うか?」
「なるほど、手厳しいな」
高橋はファーストとセカンドを見ながら少し思案するようにアゴに指先を引っかける。
「君らの担当は確か上村さんだったけ。俺の方から言っておくよ。こいつらのエサはここにあるから、たまに取りに来てくれ」
「上村に言うのか?」
高橋は肩をすくめ「もちろん」と言った。
「上村さんはこいつらと君達の責任者なんだ。役目を終えていると言っても、こいつらに何かあったら、俺はクビじゃ済まされないさ。だから、異常者じゃなくても変な事はしない」
そう言って高橋はさっきの問いに答えた。
「まあ、君の所に行くなら問題ないだろうよ」
「……そうか」
高橋はファーストとセカンドを呼ぶと、彼女達に今の話をして聞かせた。
ファーストとセカンドはうんうんと高橋の話を聞いているが、不思議と猫のファーストの方が話を理解しているように見える。
「そうだ、それはともかく」
「うん?」
「俺達の居住区ってどっちだ?」