第四八話……クリエ2
隔壁が閉じると部屋に液体窒素が噴出する。
「……」
急速に下がる部屋の温度。一瞬の内に通路は凍り付いた。
黒白の巨人は、その凍てつく世界で手も足も動かせなくなった。まるで氷の世界に作られた不気味な巨像のように立ち尽くす。
巨人は動きを奪われた身体の中で、目の前に見える隔壁の向こう側に意識を飛ばした。
すると、体は影のように虚ろとなり、ノイズのように体の模様を移り変わらせながら、氷の牢屋を水平に移動した。そして再び黒白の巨人として、何事もなかったかのように歩き出したのだった。
「な、なんだこいつら!?」
隔壁の外で待機していた武装した団員達はその光景に息を飲んだ。その内、いち早く我に返った一人が装備した自動小銃の引き金を引いた。それが皮切りとなり、そこにいた全員が銃を構えた。
「お前らも撃て、普通じゃないぞ! こいつら」
「おお……!」
「深津博士は下がっていてください。ここは私達が!」
男は怯える深津を後ろに避難させながら、通路角から飛び出した。
「!?」
その瞬間、頭に疑問符が浮かんだ。
何故だ?
あの化け物は、武装はしていない。丸腰だ。拳銃一丁も持っていないはずなのに?
それは確かに銃身から放たれた。しかし、巨人に向かい放たれたはずの銃弾はいつの間にか撃った本人を貫いていた。
その流れ弾に彼もまた自分の体に熱いものを感じ、手で触れるたが、確認しようとしてそのまま倒れこんだ。
「……何だよ、これ?」
それは一瞬の出来事だった。最初の攻撃で駆け付けた隊員の半数がバタバタと倒れた。清潔感のある通路は一瞬にして赤く汚れた。
「博士!」
茫然と立ち尽くす中、誰かが叫んだ。その声に深津は我に返る。
何? これは何なの?
一瞬にしていくつもの命が失われた。深津は現状を理解しようとしたが、脳がそれを拒否しているのか混乱が増すばかりだった。
「博士、逃げてください!」
「で、でも……」
彼女は、この状況で「逃げろ」と言われて逃げ出すような性格ではなかった。彼女は何か自分にできる事はないか周囲を見回した。
その時、深津が身を隠す壁が不気味に歪む。壁面から炙り出しのように白い巨大な手が浮かび上がる。
「えっ? えっ!?」
「あぶない!」
「きゃあっ!?」
咄嗟に隊員の一人が深津に体当たりした。
壁からは、白い腕が伸び、顔、足と順に姿を現した。まだ壁から出きらない内に、口しか無い顔を倒れた深津達の方へ眼を向ける。
体当たりした隊員は瞬時に銃を構えていた。
「うっ!?」
隊員の体が硬直する。
「どうしたんですか!?」
頭を抱え、苦悶の表情を浮かべていた隊員は彼女に目を向けニヤリと笑う。
「えっ?」
な、なに? 別人?
別人ではないかと見間違うほどの、虚ろな目、にやけた口からは涎が垂れる。
「やめて!」
深津は思わす叫び声を上げた。
隊員は持っていた銃を口にくわえ、深津の制止を聞くことなく引き金を引いた。男は無残にもその場に倒れこんだ。
「きゃあああ!」
吹き飛んだ頭部からは、キャップの空いたまま倒れたペットボトルのようにトクトクと命が流れた。
深津は震えた足で走り出していた。後ろで誰かが彼女の名前を呼んだ。
深津は耳を塞ぎ、何も見ないように視界を閉ざし、ただ走った。
死んだ。あの男は死んだ。しかも、ただ死んだのではない。自ら引き金を引いたのだ。
狂っていた……発狂していた!
「違う、違う……」
恐怖心が背後から追ってくる。深津は脇目も振らずにただ走った。息が切れ、足がいつの間にか重たくなっていた事にすら気が付かず、彼女はそのまま倒れた。
どこまで走ったのか、どれくらい走ったのかもわからない。
息が苦しい。足も悲鳴を上げている。
「ここ……」
気が付くと、そこは深津の先輩である山崎の自室の前だった。
本能的にこの部屋を目指していたのかもしれない。山崎は深津にとって大学の頃から憧れの存在だった。
山崎先輩に会いたい……。
しかし、山崎の事だ。こんな時にでも、自室にいるとは考えにくい。いつもの場所で研究成果をまとめているかもしれない。
「でも……」
ここから山崎の研究室に行くには、今来た道を逆に行かねばならない。しかし、戻ることはできない。あの巨人がいる。追ってきている。少なくとも、深津にはそう思えた。
例えいなくてもいい。ここで待っていれば、先輩は帰ってくるはず。
ここで待っていれば、先輩に会える……。
深津はまだ震えた手で山崎の部屋の電子ロックにナンバーを入力し、ディスプレイに手をあてる。ナンバーと指紋認証、それについで深津は自分の名前を口にする。音声認識を含めた三重にロックがされている。山崎が登録していない人物はこの部屋に入ることはできない。
ドアが開くと深津は急いで山崎の部屋へと転がり込んだ。暗い部屋、人の気配はない。深津は急いでドアを閉めると、明かりもつけないままに部屋を歩く。暗闇の部屋でつまずきながら、記憶を頼りに山崎のベッドまでたどり着いた。
深津は誰もいないベッドにもぐりこむと、頭から毛布をかぶり、目をしっかりと閉じた。
暗闇の中で耳を澄まし、神経を研ぎ澄ます。
大丈夫、大丈夫……先輩が守ってくれる、先輩が守ってくれる……。
深津は山崎の匂いにつつまれながら、呪文のように何度も何度も口の中で繰り返した。