第二六話……平田直也と柏原宗次郎
「母さん!」
「直也!」
母親の姿が消える。幾重にも重ねる瓦礫がその姿を飲み込んで行ってしまう。
「母さん! 母さん!」
その瓦礫が母の命を飲み込んだ事を、瓦礫から滲む真紅の雫が知らせている。
助からない? もう間に合わない?
「そんなことがあるものか!?」
母の温もりを吸った瓦礫は、驚くほどに冷たかった。
※
「はっ!?」
平田直也は息をのんで目を覚ました。
いつもの夢か。
直也はいつものように無意識のうちに自分の右腕を握り締めていた。母との別れの夢を見るときには、いつもこんな癖がでる。
もう少し……あの時、恐怖に負けていなければ、この腕を伸ばせていれば、もしかしたら、結果は違っていたかもしれない。
直也はいつもそう思う。
時々フラッシュバックのようによみがえるその光景は彼を苦しめた。
ベッドの上。小さな窓。日は差し込んでこない。悪夢のあとで目が冴えているのに、体は重い。体を起こすのもおっくうだ。
「……」
皮肉にも、あの事故をきっかけとして能力が覚醒した。もし、あの時、この能力があったなら、きっと腕を伸ばせていた。母を奪われることもなかった。
しばらくすると、気分が落ち着いてきた。体も起きてきたのか、今まで感じていた重さが薄れている。
直也は体を起こすと自室を出た。
時間も遅い。時計を見れば消灯時間をずいぶんと過ぎていた。しかし、このまま部屋で過ごす気分にはなれず、ホールに向かった。
通路は、完全に消えてはいないが最低限にまで照明はおとされている。とはいえ、歩きなれた通路になんら問題はない。
空調がよく効いているのかひんやりとした空気が心地よかった。
ホールまで来ると設置されたウォーターサーバーから水を汲み、一気に喉に流し込んだ。
体の中にひんやりとした感じが落ちていく。
足音を立てないように、注意を払いながら直也はソファに腰かける。
もし足音が立ったとしても、各部屋の人間に聞こえるはずはないのだが、何となく気になってしまう。
「……? 柏原?」
直也はふと気配を感じて振り返ると、線の細いシルエットの柏原宗次郎がいることに気がついた。
「直也、どうしたの? こんな時間に」
「お前の方こそ」
柏原の言葉に思わず問い返す。
柏原は、直也と同じ歳の十七歳の少年だ。華奢な体格と中性的な顔立ちで、本人はそう思っていなくとも間違いなく美形の類に入るだろうと思われた。その顔立ちと穏やかな性格に、直也は時々、彼が女なのではないかと錯覚してしまうほどだった。
「僕は星を見てた……」
吹き抜けになったホールの天井は窓ガラスになっており、そこから夜空が見える。
直也はそんなことに始めて気が付いた。
「星? 物好きだな」
「うん」
柏原は直也の言葉に笑顔で頷き、そばにあった椅子に腰かけ、静かに瞳を閉じ、ゆっくりと深呼吸をする。
「……」
「……うん?」
「恐い、夢を見たんだね?」
彼の言葉に直也は眉をひそめた。
「入ったのか?」
「……ごめん、気になったから」
柏原の『サイコダイブ』は相手の心の中に侵入する能力だった。
柏原は立ち上がると、今度はソファに腰かける直也の瞳を覗き込む。その瞳は不思議な瞳だった。吸い込まれそうなほど澄んだ瞳だが、少しも彼の意志のようなものを感じない。
まるでそれはよく磨かれた鏡のように。
「お詫びに、僕がゆっくりと眠らせてあげるから」
「……?」
柏原は穏やかな瞳でゆっくりと頷くと、やさしく彼の頬に触れた。
「お、おい……うん? あ、あれ?」
まぶたが急速に重くなっていく。瞳をあけていることがこんなに労力を使うのかと思うほどだ。
ダメだ、重い……起きていられない。
間もなく直也の体から力が抜け、息は深く、彼は眠りについた。柏原は倒れてしまいそうになる彼の体を抱きとめながら、自分の膝の上に彼の頭を置き、さらに手をかざす。
「記憶を消すわけじゃないから安心して。その記憶も今の君をつくる大事なものなんだ。けれど、たまには休むことも必要だろ?」
柏原は微笑みながら、直也の寝顔を語りかけた。直也は深く深く眠った。うなされることもなく、腕を握ることもない。
朝日が少しづつ昇り始めている。朝が来て、新しい今日が始まろうとしていた。