第二四話……神谷夏美
「一応、消毒しておいたけど、もし痛むようだったら、医務室に行ってね」
「ああ」
まだ拍動が速い。まだ興奮が冷めない。
聖は、応急処置をしてくれた深津に別れを告げると部屋をあとにした。
「あ……」
「……? 夏美、どうした?」
「あーっ! 怪我してる!」
聖が部屋を出ると、そこに偶々通りかかった神谷夏美は聖の言葉など全く無視して声を上げていた。そして、張られたガーゼをまじまじと見つめる。
神谷夏美は、体格のいい聖がとなりにいるせいか小柄に見えたが、彼と一つ違いの女性としては平均的な身長はある。長く伸ばされた艶のある髪、目鼻立ちのくっきりとした整った顔立ちに大きな瞳、ふんわりとした服装の上からでもわかる豊かな女性的な曲線。
夏美はいわゆる「美少女」という形容詞がついてまわりそうな少女であった。
「血が出てるじゃない」
張られたガーゼの下から血が滲んでうっすらと赤く染まっている。
夏美はそれを見ると一瞬泣きそうな顔になると、無理矢理怒ったような顔に変えた。
「……火薬の匂い?」
夏美がボソッと呟くと、聖は眉をひそめて後退りする。
「勝手に探るな」
夏美の能力『ノーズ』は匂いからあらゆる情報を得ることができるのだ。
夏美と聖は幼馴染であった。聖の母親の生徒として知り合った。生徒と言っても、彼女の母親と夏美の母親は同級生だった。
「心配してあげてるんでしょう!」
「心配してくれと頼んだおぼえはない」
聖は突き放したように言うと、彼女を避けるようにして背を向ける。
「こら、なんだその言い方は!」
一つ年上の夏美は、負けじと保護者のような口調にして引きとめる。
「私は心配してるんだぞ! また、自分から危険な実験をしたいって言ったんでしょう!? ねえっ? ねえっ、ってば!」
歩き出す聖のあとを追いながら、彼を問い詰める。聖もそれを初めは無視していたが、夏美のしつこい夏美に思わず声を上げる。
「うるさい!」
「なら答えなさいよ、なんでケガしたの!?」
「実験の結果こうなった」
「それはわかってる。でも、その傷からは火薬の匂いがする。それもかなりの至近距離から撃ってるし、拳銃みたいな経口のじゃない。強化ライフルを複数……」
「問題は志願したかどうかだろ? そんなことはしていない」
過去にはそういうことを言ったこともあったが、研究者達がそんな意見を聞くことはなかった。スケジュールはすべて彼らが決めるのだから。
「そう……」
「そうだ」
彼はそういうとまた歩き出した。その背中を追うように彼女もまた歩き出す。身長に差があるせいか、聖の歩くペースについていくためには夏美は早足であるかねばならない。
「ねぇ、医務室行かないの?」
「すぐ治る。かすり傷だ」
「じゃあさ、鈴の所で治してもらおうよ?」
「かすり傷だと言っただろう」
冴木の名を出され、聖は露骨の不機嫌な口調になった。彼もまた、千堂同様に冴木に対して心よくは思っていなかった。
言ってしまったあとで夏美はそのことを思い出し、慌ててごまかそうとした。
しかし、すでに聖の気持ちは完全に閉じてしまっている。
夏美はそれを境にして話の機会を失い、また歩いていく聖の後ろを歩いた。
「……」
「……」
殺風景な廊下を歩きながら、夏美は何度か話しかけようと試みたが、なんと声をかければよいのかわからない。時間が経てば経つほど、話す機会は失われていく。ただ、聖に離されないようについていくので精一杯だった。
「おい」
「えっ、うん!」
「どこまで来る気だ?」
「えっ?」
聖に言われ、よく見るとそこはすでに聖の部屋の前だった。小さい頃は、一緒に遊んだりもした二人だったが、ここに来てからは、聖の部屋に入ったことなど一度もない。
「あ、あの……」
夏美は顔を赤らめながら何か言おうとしたが、そんな彼女には目も向けず聖はドアを開ける。
「早く戻れよ」
「……うん」
夏美は聖の言葉にうつむき加減でうつむいた。しかし、夏美の足はここから去ることを拒むように動こうとしない。
「?」
「あ、あのね……」
「……なんだよ」
「……」
「……?」
「なんでもない、じゃあね!」
夏美はそれだけ言うと聖の前から走り出した。どうしてうまくできないのか、彼のそばにいて、彼に必要とされる存在でありたいと望んでいるのに、うまくいかない。
たった一言、もしもたった一言、聞く事ができたのなら、その時の匂いで例え嘘をついていたとしても「イエスかノー」かぐらい夏美にはわかる。
しかし、聞かなければならない。
言葉に出せば消すことはできない。その答えを知ることになる。聞いたとして、期待する答えと違っていたならば……。
夏美は聖の事を思いつつ、自室へと帰っていった。