第百六十五話……二十五人目のSora・前編
姉が死んだ。
雪のような純白のユキの毛並を破りこぼれた命はすっかりと外気に晒され錆色に色を変えていた。
傷はない。
冴木の力により傷は塞がり、手で探ってみてもその痕跡すら探し当てることはできない。
小さく小さく僅かに保っていたその命の炎は眠るようにこの地に消えた。
サヤは力を失くしたユキの体を抱きしめながら、声を噛み殺しながら涙を流した。
冴木に隠れているように言われたためだ。サヤは忠実にそれを守った。
時折、姉が目を覚ますのではないかと思い、顔を見たが、その願いが叶うことはない。
「う、ううぅ……」
声が漏れる。
たった一人の肉親だった。生まれた頃から一緒に過ごしてきた頼りになる姉だった。ドジな自分と違い、頭のよい姉だった。
ぽっかりと空いた胸の隙間を埋めるように姉の亡骸をますます抱きしめた。
「えっ……?」
サヤの耳と尻尾がピンと立った。
えっ?
「空?」
サヤは姉を抱いたまま思わず立ち上がった。
空だ。空がいる。
「鈴?」
サヤは姉の亡骸を胸に抱いたまま隠れていた研究室を恐る恐るあとにする。
今まで姉の事に気を取られて気が付かなかったが、周囲は静まり返っている。サヤは懸命に耳を動かしたが、何も音は聞こえない。
「空……? 鈴……?」
声は通路を反響し、どこかへ駆けて行く。その声に応えるものはない。
誰もいない。
そんなはずはない。冴木や空が自分を置いていくはずがない。いなくなるはずがない。
サヤは導かれるように通路を歩き、二人の名を呼びながら陽の差す方へと歩いて行った。
「……?」
サヤが抜けたのは庭園だった。陽の光が円形に切り裂けた雲の隙間より降り注ぐ瓦礫と植物の入りまじる場所。
ここには誰もいない。気配もない。しかし、匂いがする。空と冴木、冴木に似た匂いが一つと何だか懐かしい匂いが一つ。
サヤは大きく目を見開き、崩れた瓦礫を見ながら庭園の中央部までゆっくり足を進めた。
サヤは必死に瓦礫の中を透視し、そこに空や冴木がいないか、見逃さないように探し続けた。
しかし……。
「鈴……空……」
いない。どこにもいない。
あるのはこの庭園を靄のように漂う光の粒子だけ。このキラキラと煌く靄から空や冴木の気配を感じるのだ。
どうして? どうして……!?
「空ぁっ……」
サヤは叫んだ。
どこに行ったの?
「空ぁっ……!」
どうして置いて行っちゃった?
「空ぁぁぁっ!」
涙を流すサヤを光が包む。
サヤの中から溢れた光はやがて彼女そのものを包み込み。サヤは膨張する光の中で姿をかえ、天を支えるほどの巨大な樹木となった。
庭園を割るほどに巨大な幹のその根本から、ブカブカの首輪をつけた小さな小さな黒猫が一匹走り去るのだった。
この日、世界に雪のような光が降った。