第百五十三話……母なるもの2
「お姉ちゃん!」
サヤの声に背中を押されながら、ユキは暗がりに潜む女の銃を狙い飛びかかる。不意打ちと言っても過言ではないほどの間髪の入れない迅速なユキの動きにも関わらず、女は難なく反応する。
小さな悲鳴をあげ、ユキは銃のグリップで弾き返された。それでもすかさず空中で身をひるがえし、見事に着地した。
「ふふ、すごいじゃない。手元において置きたいくらだわ、名前はファーストだったかしら?」
「!」
「ファースト」の言葉にユキの目の色が変わる。ユキは全身の毛を逆立て鋭い牙と鋭利な爪をあらわにし、唸り声を上げた。
サヤはその姉の姿があまりにおそろしく深津の足の裏に隠れ、ガタガタと震えた。
ユキは空がつけてくれた名前にプライドを持っていた。
名前、私の名前……。
姉は顔には出さないが、ユキという名前をつけてもらったことを本当に喜んでいた。
喜びのあまり、その日の夜は眠れないほどだった。そして代わりにファーストと呼ばれるのを以前にもまして嫌うようになっていた。
「……どうにも旗色が悪いわ。本来なら撤退が最優先なんだけど……でも色々と知っておきたいタチなの。職業柄」
「……!」
暗がりから現れた女。畑中の姿に深津は慄然として後退る。
クリエがいるのだ。ある程度予想はついていた。深津は知らぬ間に拳を握りしめ、手の平はひどく湿り気を帯びていた。
あのクリエ三体は、彼女が指揮をしているに違いない……。深津は、そう直感的に理解した。
「誰なの?」
冴木が訝しむ。その顔には警戒心よりも焦燥の色が強い。畑中を警戒しながらも意識の半分以上は通路の奥に向いている。
「この人は……」
「ハァイ、あなたが最初に異能研に保護された実験体、冴木鈴華ね。私は畑中、あなた達の味方かも知れないわよ?」
「み、味方?」
その言葉に僅かに冴木の意識が畑中に向いた。だがそれは一過性のもの。彼女の足は今にも駆け出しそうだ。
「ふざけないで! あなたが味方なはずないじゃない! 研究所を壊滅させたのは、あなたが……」
「異能力研究所の襲撃を指揮したのは私。新兵器クリエ複数体投下による実戦テストを兼ねた殲滅作戦は見事に成功したわ」
「……くっ」
クリエ、白い巨人、隊員の死、山崎先輩の部屋の匂い。脳裏に焼きついた記憶が、関係のないはずのこの場所で、山崎の匂いや巨人の足が聞こえたような錯覚が起こり、深津は膝の力が抜けそうになる。
ここには巨人はいない。クリエはいない。
深津は胸の中で反芻し、込み上がる不穏な感覚をどうにか散らそうと努めていた。
「でも、納得できないことある」
「……?」
「異能研襲撃の唯一の生き残り。研究所を完膚無きまでに破壊した、あの子らがあなたに対して手を出すことができなかった」
「……」
「深津、あなた何者?」