第百四十六話……幻想・前編
「これは……?」
俺は……確か……?
空は高校の制服を着たまま、自分の前に置かれたコーヒーと朝食を見た。
「どうしたの? お兄ちゃん食べないの?」
四人掛けのテーブルの目の前の席にセーラー服姿のサヤが腰かける。
……? 猫耳?
まだ熱いトーストに不器用にバターを塗り、少し慌てた様子で食事をする黒髪の妹の耳はまるで猫ようだ。ふさふさとしたその耳は台所の母親の動きを気にしているのか、それともテレビの朝の占いで自分の星座の番を気にしているのか、器用によく動いている。
ちなみに空の今日の運勢は十二星座中二位、「思いがけない出会いがあるかも」だった。
耳……本物だよな?
空は不思議に思い、自分の耳に触れてみた。
少なくとも、猫耳ではない……。
よく見れば、黒く長い尻尾も先ほどから揺れているではないか。
空はその尻尾を見ようと体を傾け、首を伸ばしのぞき見ようとした所、台所からマグカップを手にした母親に声を掛けられた。
「空、まだ食べてないの? 早く食べないと遅れるわよ」
「そうだよ、お兄ひゃん」
母親に続いて、目玉焼きを頬張りながらサヤもいう。空は時計を見ると、何だかいかなければならないような気分になり、慌ててトーストを口の中に押し込み、コーヒーで流し込んだ。そんな事をしている間に、空はサヤの耳や尻尾が何だか不自然に思えたことそのものを忘れてしまったのだった。
「ユキ、行ってくるね!」
サヤはソファに寝ころびながらテレビを見ていたやけに尻尾の長い真っ白な猫に声を掛けると、空と一緒に家を出た。
空とサヤは小中高一貫の学園に通っている。校舎は同じ敷地内だ。その向かいには最近設立されたばかりの真新しい校舎の小等部も存在する。
可愛らしい臙脂色を基調とした制服を着た小学生も同じ方向に向かい歩いている。
「ほら、そこ、歩道から出たらダメよぉ!」
小等部教諭の深津が登校する圭祐や美奈たちを注意している。「はぁい!」と小学生たちは返事をするもののあまりに効果がなく深津は肩を落とした。
「サヤ、おはよう!」
「あっ、真結、哲さん、おはよう!」
後ろから声を掛けられ、空とサヤは振り向き、制服姿の神楽と蓮見と合流する。明るい声の神楽に、横にいる蓮見はペコリと会釈して挨拶をした。
「ああ、おはよう」
空、サヤ、神楽、蓮見の四人はいつものように四人で学校までの道を歩く。
サヤと神楽は昨日見たお笑い番組の話で盛り上がり、何やら流行りのネタを口にしては楽しげに笑っている。その横で蓮見は相槌を打っていた。
「じゃあね、お兄ちゃん」
「ああ……」
学校につくと空はサヤ達と別れ、高等部正面玄関で靴を履き替えていると、いきなり後ろから背中をポンッと背中を叩かれた。
「おはようさん、空」
「なんだ、千堂か。おはよう」
空が振り向くと長身の千堂が人懐こい顔で笑って見せる。二人は靴を履き替え、並んで教室へ向かい歩き出す。
彼の持っている鞄が異常に薄く感じるのは中身が入っていないためだろう。
「なんだとはなんやねん。せっかくの最新情報を特別サービスで教えてやろう思ったのに」
「その特別サービスは俺で何人目なんだ?」
「うん? まあまあ、ほら、で、知りたいやろ?」
「なんだよ、藤本が沖田姉に告白した話か?」
「ちゃうちゃう、あっ、もしかしてその顛末がどうなったか知りたい?」
「まあ、興味はあるけど……それじゃないのか?」
「ああ、ここだけの話、実は転校生が来るらしい」