第十話……冴木鈴華
千堂は空を中庭へと案内する。
ここに来て間もない空も中庭には行ったことはないが、通路を歩いている時に窓から見下ろしたことがある。
植物が植えられ、ベンチが各所にある遊具のない公園のようなところだ。
完全に施設に囲まれているため、空でも飛ばないかぎりそこから外界に出ることはできないが、この施設で数少ない外に出られる部分でもある。
「えっと、Cから出るか」
千堂はそう言って角を曲がる。
案内などがあまり表示されておらず、すでに空は自分がどこにいるのかもよくわからなくなっている。
この研究所はかなり広い。室内だけの移動にも研究者達は専用の乗り物を使っている。
横だけでなく縦にも面積をとっているため、各所にエレベーターが設けられている。
「C?」
「ああ、ここの南側のブロックや」
いくつものブロックに別れてはいるが、Cブロックは研究所の南側。一部の研究者達の居住区ともなっている区画に近い。もっとも、千堂達は立ち入りを禁止されている部分も多くあるので、行動範囲はかぎられているが。
昇降リフトで下りながら、空は改めてこの施設の大きさを実感していた。
ここはまるで小さな町である。
商店、病院、学習施設も一応に揃っている。子供達に勉強を教えているのは、一部の研究者達が行っている。
風も雨も降る事もない、温度も管理された箱の中に作られた町のようだ。しかし、町というには……。
人が少ない……。
本物の町ならゴーストタウンだろう。大きさの比率からして見かける人間が少なすぎるように思えた。
「どうした? 空」
「……なんでもない」
人がいないって寂しいな……。
「お、そこにいた」
「?」
あそこと指差す千堂の指先を目で追っていくと、ガラスに囲まれた中庭の中に空と同じくらいの少女が一人、おそらくサヤよりも年下の女の子と男の子が一人づつ見えた。
「お姉ちゃん、ここ」
「どれどれ?」
幼い男の子は彼女の前で、擦り切れた膝を見せている。どうやら遊んでいる最中に転んだらしかった。
彼女は男の子の膝に数秒ほど手をかざすと、その傷はいつのまにかなくなっていた。
「これで痛くないでしょう?」
「うん、ありがとうっ」
男の子はまた元気に駆け出した。
「あれが、冴木鈴華」
「ずいぶん、若いんだな」
「歳行ってるなんて言ってなかったと思うけどな」
確かに言っていなかった。ここにいるのが一番古いだけで歳上とかぎらない。
年齢だけなら、空よりも歳下のように見えたが、鬼崎とはまた違った意味で近寄りがたい雰囲気を放っているように感じる。
冴木は千堂と空に気がつき、視線を向ける。
「……」
どこか不思議な印象を与える少女であることは間違いないが、それが一体何なのか、空にはよくわからなかった。
綺麗とか可愛いとかと言われれば、そう言った類に分類されると思われるが、惹きつけられる理由はそれだけではないように思えた。
「不思議な感じやろ?」
「ああ、そうだな」
千堂の耳打ちに答える。
おそらく初めて彼女にあった人間なら、その行動は二つに分かれるのではないかと思われた。彼女のなんともいい表し難い独特な雰囲気に惹きつけられるか、それともその雰囲気に警戒するか。
空は後者であった。
千堂に連れられ、冴木鈴華に近づくと彼女は立ち上がって丁寧軽く頭を下げた。
「はじめまして、あなたが新しく入った風見さんね。千堂君から聞いているわ」
「そりゃ、どうも」
空は思いがけず返答が無愛想になっているのに気がつき、ごまかそうとしたが、彼女は少しも動じていない。
「どこの出身?」
彼女の言葉。彼女から切り出さなければ沈黙は長く続いただろう。
「久喜に住んでいた」
久喜とは埼玉県北部に位置する久喜市のことだ。壊滅的被害を今も色濃く残してはいるが、その周囲よりは幾分復興も進み、北部では中心的な町になりつつある。
「ここはどう?」
「……ああ、いいよ。居心地は」
相手の真意が見えず空も曖昧な言葉を返す。
近づき、話すほどに何か違和感のようなものを感じる。
……何なんだ、この女?
千堂にしても他の子供達にしても、力を使わなければ能力者とわからないが、この冴木鈴華に関しては側にいるだけで、普通でないことがわかる。そんな感じだった。
「千堂、そろそろいいだろう。サヤが待ってるしな」
「サヤ?」
空の言葉に冴木がオウム返しする。
「ほら、高橋が管理していたセカンド。猫姉妹の事や。今空の所にいるんよ」
「へぇ」
冴木が驚いたように目を丸くする。千堂の言葉に彼女の興味深く頷く。
空は思わず「しまった」という顔になったが、千堂はかまわなかった。
「あの子をね。やさしいのね。私の力は『ヒーリング』っていう。怪我をしたら、
私のところに連れてくるといいわ。治してあげるから」
冴木は僅かに笑みを浮かべそう言った。
「それじゃあ、俺達はこれで。空行こうか」
冴木と別れ、通路に戻ると千堂は上機嫌に空に言った。
「よかったな、冴木に気に入られたようやな」
「なんでわかるんだ?」
「治療するって言ってたやろ、頼めばやってくれるけど、あいつの方からそんなこ
と言うなんて珍しいしな」
それにあいつが笑うなんてな。
千堂の記憶の中にはないものだった。