第百十三話……目的地1
「ううぅ……」
「……」
胸が押しつぶされそうなほど苦しい。それに何だか、とても暑く、息苦しい……まるで何かがのしかかられて、呼吸を口をふさがれるような息苦しさを感じる……。
……!?
「……おい」
「……」
空が目を覚ますと、目の前に黒い耳と尻尾が揺れていた。座席を倒して仰向けに仮眠をとっていた空にいつの間にかサヤがしがみつくように眠っていたいたのだ。彼女の猫耳がちょうど眠っていた空の口を塞ぎ、呼吸するたびに鼻と口についたり離れたりしていた。
「……サヤ、起きろ」
「……」
名前を呼ぶと、それに応えるかのようにしっぽがポンポンと跳ねる。サヤはそれで返事をしているようだった。
後部座席ではユキが白い巨大な毛玉となって眠っている。しっぽの長いユキは眠る時にそのしっぽを体に巻き付けまぶしくないように顔を覆うのである。ごく普通の猫では考えられないほど長いしっぽであるからできる芸当だ。
……冴木?
後部座席で仮眠を取っていたはずの冴木の姿が見えず、空は彼女を探して視界を巡らせた。見ると、彼女はすでに起き、車の外でその方向をじっと見つめていた。
「……」
長い間研究所で過ごしてきた透き通るような彼女の肌は、金色に朝日を弾き、光風が髪を梳く。その瞳はまっすぐと第六研究所の方に向けられていた。
日倉や佐藤達とわかれた後、空達は研究所を目視できる所までやってきていた。まだ、誰も到着した気配がなく、到着が夜だった事もあり、彼らは仲間を待つことにした。
車を走らせれば、すぐにでも研究所へと行く事ができる。
空は起きる気配のないサヤを助手席に寝かせた。
「うぅん……」
車を出て行こうとすると、サヤの尻尾が空の腕に巻きついていた。空はサヤが起きないようにしっぽから腕を抜く。しっぽはパタパタと空を探すように動き回ったが、やがて、探すのをあきらめてサヤの体に巻きついて落ち着いたのを確認して、彼は車をあとにした。
「おはよう」
「ええ……」
彼女は空の方も見ずに「おはよう」と挨拶をした。眼下には第六研究所。位置的には研究所の裏手側にいることになる。
「いいの? あの子を放っておいて」
「よく寝てるよ。研究所から出たことがなかったんだ。あんなにはしゃいでいたら疲れもでるさ」
「気にかけているのね」
冴木のからかうような含み笑いに空は肩をすくめ「……妹がいるんだ。ちょうど、あいつぐらいの妹がさ」と言った。
「妹さんがいるの……」
冴木は急に真顔になって「私もよ」と言葉をつないだ。そう言った彼女の顔が少し笑ったような気がして空は少しだけ安心した。
「なに?」
「いや、お前もそんな顔をするんだなって思ってさ」
「それどういう意味かしら?」
「特別な意味はないさ。それにしても、到着したのは本当に俺達だけなのかな?」
「……そうね。もうすべてが解決してしまっているようには見えないしね」
ここから見える第六研究所は静かなものだった。警備のための守衛団隊員がいるにはいるが、それほど多くはない。もしもすべてが終わっているのなら、何かしらの合図なり、連絡があってもいいはずだ。
先に侵入しているような雰囲気でもない。
「あれっ? ……あれは?」
冴木は研究所に近づく人影に目にとめた。
「……あれ? あれって……?」
空もその姿を見た。
スラリとした印象の髪の長い女性だ。年齢はまだ二十代半ばを過ぎたあたりか。
どこかで見た事がある。
「……あれは、深津博士」
「……?」
記憶をたどり始めた空の横で冴木が呟いた。
そうだ。深津博士だ。
空も一度だけ紹介された事がある。担当が違ったために、その紹介の時に挨拶を交わしたきりだった。山崎博士の後輩だという話を千堂に聞いていたぐらいの印象しかない。
研究所のように白衣ではなかったので、記憶が一致するまでに時間がかかった。
「……いや、ちょっと待てよ。なんで、研究所の人間がこんな所にいるんだ?」
佐藤の話では研究所は壊滅した時に、そこにいた研究者や職員は全員死亡したとの事だった。当然、深津もその例に漏れないはずだ。
「ええ、それに何だか様子がおかしくない?」
「……?」
冴木の言葉の通り、深津は何だか落ち着かない様子で辺りをうかがっている。
その視線や動きから予測できる事、それは「第六研究所に向かってる……って、事よね」冴木はポツリと言った。
「たぶんな……」
何故、そんな隠れるようにしながら向かう必要があるのか、なぜ、第六研究所に向かう必要があるのか、少なくとも彼女は何かを知っているはずだ。
冴木と空をお互い顔を見合わせ頷く。
「今は情報がほしいわ。第六研究所の事が少しはわかるかもしれない」
「ああ」
空と冴木は深津のあとを追うように、その丘から駆け下りて行った。