第九八話……柏原さゆり3
「お、女の子……になった?」
男達は茫然として彼女の姿に魅入った。
線が細いが、女性的な膨らみのある柏原には、今着ている男物のシャツやパンツが妙に違和感があった。パンツはまだしも、丸みを帯びた肩に男物のシャツは大きく、はだけたように白い肌が露出していた。
「最後にチャンスを上げる。このまま帰って全員に伝えて、私達と私達の仲間をこれ以上追うな、って」
「な、何をバカな事を! ここへは間もなく応援も到着するんだ。君一人にどうにかできるとでも思っているのか!?」
「そう、残念ね……なら、あなた……」
柏原はスッと細い指先を隊長の男に向けた。
「……!?」
不意に世界が反転した。
唐突にバランス感覚が失われた部隊長の男はどちらが上で下なのかわからず、地面から空へと落ちていきそうな感覚に必死に地面にしがみついた。
な、なんだ!? どうなってる!?
お、堕ちる? いや、そんわけはいない、そんなはずはない! 空に落ちるわけが……。
これは柏原宗次郎の能力だ。瞬時に悟った。
奴が女になった事、いや女に見えた事も自体がすでに術中だったのかもしれない。
体感する混乱を押さえつけるように、頭の中で冷静に整理しようと努めた。
頭ではわかっていても、知覚する現象に理性が反応して手を離すことができない。脂汗を浮かべながら、慌てて部下達の姿を確認しようと顔を上げた瞬間、そこには冷たく見下ろす柏原の顔があった。
「う、うわあぁぁ!」
地面にしがみつく男の前に柏原は逆さになった地面に悠然と立ち、笑みを浮かべていた。柏原の手が伸びようとした瞬間、彼は必至の形相で柏原に向かい引き金を引いた。
引き金を引く感触、手に伝わる銃の反動。その反動は何度も何度も訓練された身体に染みついた感覚だ。間違うはずがない。確実に撃った感触を得た。
や、やった!?
グラリと螺旋を描くように柏原は空へと落下し、視界の中から消えて行った。
しかし安堵するのも束の間、幾人もの柏原の妖姿が男を囲んでいた。
「幻覚だ! 幻覚なんだ!」
自分に言い聞かせるように何度も繰り返す。それがこの状況をかえる呪文のように。振り払うように、近づく柏原に向かい闇雲に銃を乱射した。
「もうその辺でいいでしょう?」
「……!?」
女の声に地面に這いつくばっていた男は周囲を見回した。男の感覚に上下が生まれ、左右と前後を認識する。錯乱していた感覚が体に戻り、大地の感触を噛みしめた。見上げればそこには荒涼の空、冷涼なまなざし、そして銃口。
「み、みんな……!?」
「あなたがやったのよ。うまいのね、射撃」
「……!?」
十名近くいた部下達は隊長を囲むように命を流しながら倒れていた。
こんな、バカな……! さっきまで見ていた柏原は……!
「うわあぁぁっ!」
男は声を上げ、目の前に突きつけられた銃を力づくで奪い取ると、柏原に向かい銃口を向けた。
こんなはずじゃなかった。情報では、最弱の能力者と言われていたはずなのに!
こんな奴に猶予を与えてはならなかった。隊長は激しい後悔と自責の念に囚われながら、引き金に指をかけた。
「!?」
男はハッとした。
なぜ、自分は銃を自分自身に向けているのだろう? しかし、一度動き始めた指は止まらない。
一つの銃声と共に男はその場に沈みこんだ。
戦闘は終わった。
柏原はただの一歩も動くことなく。その出来事を見届け、たった一人で空を見上げた。
「……」
風が柏原の髪を揺らし、彼女はゆっくりと息をついた。
彼女は男の中から守衛団の現在の状況と動きをくみ取っていた。
「……大部隊が動いているみたいね。そっちまでいけるかしら?」
こちらには要請された援軍が向かっている。それを引きつけ、そのあとは……。
「……直也、行ってくるね」
柏原の体から仄かに光がこぼれ出る。彼女は一人、荒野の街をあとにした。