嫌いな言葉
軽くですが暴力を受けるシーンがあります。ご注意ください。
「気楽に生きたら?」「気楽に生きる」、これらは私が嫌いな言葉。
何で嫌いなのかというと幼少期いや、赤ん坊の頃まで遡る。
当時の私はまだ生後一ヶ月半の赤ん坊で、自力で移動できない、自衛とかそんなものは出来ない時だった。そんな折に実の父親(名前しか知らない)が風邪をひいてその風邪が私に移りミルクも飲めない、熱も高い、等と脱水状態を引き起こしたそうだ。
それで病院に行き点滴を受けていたら医師から「急性ウイルス性脳症」という病気にかかっているといわれたそうだ。
この病気は半分の確率で亡くなり、その半分のそのまた半分は何事もなく回復、残りは何かしらの後遺症が残るという病気だ。
今スマホで調べたりしても調べ方が悪いのか、それとも病名が変わったのかこの病気は出てこないが私は後遺症が残るという結果になった。
その後遺症で私は常に手が震えており、体幹も人より衰えている。そのせいか何なのかは知らないが私が初めて歩いたのは三歳になった頃だと聞かされた。
なお、私がこの病気を発症した原因となった実の父親とは私が一歳になる前に実の父親が仕事にも行かず女遊びをしていた(キャバクラ)ので、養育費等請求せず離婚したそうだ。
学生でデキ婚して実家暮らしなのに何ともまぁ周りの大人達は子供の今後の事を考えていないとつくづく思った。産むと決めた以上責任をきっちり持って欲しい。
ちなみに父方の祖母は赤ん坊の私を「情が湧くと嫌だから」といった理由で一度も抱っこしたことがないらしい。
そんなこんなでほぼ生まれつきといった状態でハンデを持って生きてきた私に対し母親は「お前が病気になったのは誰のせいでもない。悲撃のヒロイン面するな。」
「お前は人より何も出来ないんだから人より努力しろ。」
等々言われながら育ってきた。人より出来ないから努力するはわかるが、病気になったのは~の下りは流石におかしいと幼い世間知らずの私でもわかっていた。
最初の方にも書いた通り生後一ヶ月半の赤ん坊が自衛とか出来る訳がないのだ。
それなのに風邪をひいた実の父親とずっと同じ部屋にいさせて病気になったのに誰のせいでも無いとはおかしな話だ。貴女や周りの大人達が隔離するなり何なりとリスク管理をしていればこんな病気にかからずに済んだかも知れないのに。
更には私の笑い声がうるさい、泣いてると何で泣いてんの?何であんたが怒るの?と私には喜怒哀楽の感情が許されていない上に気に触ることがあれば頭を叩いたりタンスやトイレに頭を何回もぶつけさせたり、お腹を蹴ったりと虐待だろと思うような行為もされてきた。
だけど、周りの大人達はそれが普通、それが教育として普通の事と思っていた為、助ける等の行動はしなかった。まだ年齢が一桁の子どもに対し行われているこれが普通だと周りは普通と思っていたのだ。
とまぁ、そんなことを長年ネチネチと言われた上での短大卒業する前の就職活動も難儀し更にネチネチ言われ中々決まらない私に対し母親は「そんなに働きたくないなら足でも広げてろ」と言ってきた。所謂男の人を相手にした仕事でもしてろと言うことだ。一度も男性経験のない娘に対しイラついてたとはいえそんなこと言われるのは流石にどうかと思った。
そして成人式の日私はある精神的な病を発症した。「解離性運動障害」(詳しく知りたい方はご自由に…)という病気だ。これを発症した時、私は自室に一人でいて、丁度暖房も切れていて何時間も床の上で体が氷のように冷たく動けないまま意識はあり、リビングで笑っている父親(母親の再婚相手)と妹の声を聞きながら固まっていた。
幸か不幸か私の就職の話をしようと不機嫌そうな音を立ててドアを開けた母親が第一発見者だった。
「話したくないからって寝たふりするんじゃねぇぞ!」
暖房もついていない、床の上で倒れてる私の様子を見た母親が私の服を掴み揺さぶりながら最初に言った言葉がこれだった。
それからこいつ何でこんなに冷たいの?等と足や腕を触られたりした後、リビングで呑気にYouTubeを見ていた父親に声をかけ部屋に戻ってきたと思ったら父親は私の顔色や体温で異常だと気づいたらしく直ぐに毛布にくるませ救急車を呼ぶよう母親に言っていた。
その間も意識はあったので、何かぶつぶつ言いながら連絡する母親の声、救急車の人の声や走行中の音、病院についた後看護師にかけられた言葉等を覚えている。
一晩病院に泊まった後、私は歩けなくなっており杖をついての生活が一ヶ月続いた。その間もネチネチ言われたのは語る間でもない。
病気が全く治らずネチネチ言われ続けていると段々悪化し遂に今年は一ヶ月も入院する事になった。
親と離れていた為か症状が出るのは夜寝てる間だけとなり無事に退院。入院中から今現在までの家族は入院する前から考えると気持ち悪い位優しく接してきた。
そして先月の事妹がこういう考え方してるから~と言った所で私にも飛び火がかかり
「色々と考えすぎ何だよ。もっと気楽に生きたらいいのに。」
と、そんなことを言われた。それを聞いた私は頭の中に血が登ったような感覚だったが笑顔で受け流していた。
何を言っても話を、意見をきちんと聞いてくれない。
生きていて悟った事がこれだった。
その直後に妹がインフルにかかったが、家族は隔離するでもなく普通に共同スペースで好きにさせてた。
父親はともかく母親は何も学んでないのだと私は諦めていた。
私は親戚から見ると真面目ちゃんらしく「もっと気楽に生きたらいいのに」「もっと気を抜いたらいいのに」と言われてきたが、こういう性格になったのはあんたらの育て方だ。昔から言ってきた言葉、そして行動。これらで私は気楽に生きるということが出来なくなっていたのだ。
だから私は「気楽に生きる」そんな言葉が世界で一番大嫌い。




