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政略結婚を破棄したペナルティに、元夫の魂を望みます

作者: すじお
掲載日:2025/10/09

婚姻の儀が行われた夜、ナルタエム・エルドリスは誓いの言葉の裏で、心の奥に冷たいものを沈めていた。


 この結婚は、戦を終わらせるための犠牲。

 魔女の血を引く自分と、敵国の将軍が結ばれることで、長きにわたる戦乱がようやく終わる——そのはずだった。


 夫となったヴァルク・ラザンは、民から“鉄の英雄”と呼ばれていた。

 戦場では神の如き剣さばき、女の前では狼のような眼差し。

 粗野だが、最初はそれが魅力にも思えた。


 ——彼は私を恐れなかった。

 ——そして、私も彼に希望を見た。


 だが一年が過ぎた頃、その希望は裏切りに変わる。


「ナルタエム、悪いが——この結婚は終わりにしたい」


 冬の終わり、雪解けの水が城下を流れ始めた夜。

 ヴァルクはまるで政務報告でもするかのように、無表情で告げた。


 その傍らには、淡い金髪の若い娘。

 戦争孤児を養女として迎えたと聞いていたが、いまは彼女の唇にヴァルクの指が触れている。


「……和平は成った。もう“象徴”としての婚姻は不要だ。俺は彼女と生きたい」


 ナルタエムは静かにワインを注ぎ、その音を聞いていた。

 彼の言葉はすべて、氷の刃のように心に突き刺さる。


「あなたは……平和のために私を娶ったのでは?」

「そうだ。だが、もう戦は終わった。俺にも、俺の幸せを選ぶ権利がある」


 その「幸せ」が誰かを踏みにじるものだと、彼は知らないのか。

 いや——知っている上で言っている。

 ナルタエムは、ゆっくりと微笑んだ。

 それは哀しみとも諦めともつかない笑み。


「……わかりました。あなたの自由を、尊重いたします」

「すまない、ナルタエム。本当にすまない。……だが、彼女を責めないでくれ。彼女はただ——俺を愛しただけだ」



 愛。

 その言葉が、塔の中で凍りつく。

 ナルタエムはグラスを傾け、紅い液体の中に映る自分の瞳を見つめた。

 その瞳はもう、完全に“人間”の色をしていなかった。




 三日後。


 ヴァルクと若き娘——名をリーナという——の婚約披露の夜会が開かれた。

 戦勝の英雄と新たな恋。人々は拍手と歓声で祝福した。


 その最中、突然、会場の中央に黒い蝶が舞い降りた。

 一匹、二匹、三匹——やがてそれは群れとなり、天井を覆い尽くす。

 貴族たちがざわめき、娘が不安げに振り向く。

 そのとき、どこからともなく、低い女の声が響いた。


「——平和を破る者よ。代償を払え」


 次の瞬間、蝶たちは一斉に燃え上がり、漆黒の炎となって床に降り注いだ。

 悲鳴。

 ヴァルクは剣を抜いたが、その刃先は灰になり崩れた。

 リーナの頬に炎が触れ、彼女は白い花のように崩れ落ちる。


「リーナ!? やめろ、ナルタエム! やめてくれぇぇ!!!」



 叫びも虚しく、彼の胸から紅い光が溢れ出した。

 心臓が、魂ごと引き裂かれていく。


 ——それが、彼女の呪いだった。


 「裏切りの誓約」に背いた者は、心臓を代償にして地に堕ちる。

 会場が焼け落ちる頃、ヴァルクの瞳だけが、最後まで燃え続けた。

 その瞳は苦悶ではなく、奇妙な安堵の色をしていた。


 塔の最上階。

 ナルタエムは窓辺で、手に残る焦げた指輪を見つめていた。

 彼の魂は、すでに小瓶の中。

 黒い煙のようなそれが、瓶の内側で蠢き、時折、彼の声で囁く。


「……愛していた。おまえしかいなかった」

「遅いのよ」


 ナルタエムは瓶を唇に寄せ、まるで口づけをするように囁いた。


「あなたの魂は、私のもの。——平和のために、永遠に眠ってもらうわ」


 瓶を棚に置くと、隣にはいくつもの瓶が並んでいた。


 名札には、こう記されている。


『偽善』

『愛の名を騙る男』

『平和を装う裏切り』


 塔の奥で、百の瓶が低く唸り声を上げる。

 ナルタエムはゆっくりと目を閉じ、静かに微笑んだ。


「……さあ、次は誰が“平和”を語るのかしら」


 窓の外では、血のような月が昇っていた。

 そして、夜風が囁く。


 ——彼女は、ただ愛されたかったのだ。

 ——だが、その願いが叶うのは、いつも“死”のあとだけ。

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