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はりぼてプロムナード  作者: 田作たづさ
ミコと猛毒
7/10

If 割れた硝子は尚も美しい 上

エンディング分岐

「これは私のためです。もしここで私が美子さんを殺してしまったら、私は普通の生活には戻れない。罪に問われなくても、彼女を殺した事実は一生消えないから。だったら、ここから生きて出られたとしても、その先は地獄じゃないですか」


 自身のこめかみへと向けた拳銃。その引き金へと掛けた指先に力を込める。少しずつ少しずつ、その力を強めていく。それは美子に拳銃を向けていた時よりも、随分と簡単に出来てしまった。光子は、僅かに口の端を上げた。


 ──ほら、やっぱり。私は優しくなんてない。ただ、より心が傷付かない方を選択しているだけ。あの日、私のせいでお母様が亡くなったあの日から、血に濡れた母を見たあの時から、私は正しさがわからなくなってしまった。


 歪みきった視界。光子は全てから背けるように、ゆっくりと瞳を閉じた。



 ──さようなら。



 ふと、光子の肩から強張りが抜け落ちる。そして、一発の銃声が部屋の隅々まで響き渡った────



 光子の身体、その上半身はゆっくりと崩れ落ちる。だらりとした左手指には、役目を終えた一丁の拳銃を尚も握って。


 ソファーへと腰掛ける彼は、目線を少しだけ空へと上げた。それから、妖しく微笑んだ。


 瞬間、鋭い轟音。光子の身体が、床へと虚しく倒れ落ちるその時だった。まるで効果音でも付けるかのように、それは轟いた。


 まさに青天の霹靂。銃声よりも格段に凶悪なそれに多くの者が呆気に取られ、動くことすらままならない。


 雪の結晶のように美しい、細かく舞い上がったガラスの破片。部屋の中央に設置されていた巨大なシャンデリアが天井から落下し、そして粉々に割れていた。


「主人様! お怪我はありませんかっ! 申し訳ございません。私がお側におりながらっ!」


 白い着物を身に纏った女性は両膝をつき、許しを乞うように声を上げた。


「あの野郎っ! まさかこれを狙いやがって!」


 目つきの悪い短髪の青年は叫んで、ぴくりとも動かない光子を睨みつけた。


 光子が放った一発の銃弾は、彼女の頭を貫通することはなかった。その代わりに、シャンデリアを天井から吊す細いチェーンを貫き、その役割を終わらせたのだ。


 短髪の青年は頭に血が昇った様子で、気を失っている光子へと拳銃を向けた。今この瞬間にも発砲しそうな青年を、燕尾服の男性はその手で制止した。


「てめぇ。なんで止めやがる!? 黒川!!」

「お静かに」

「はーっ!?」


 燕尾服の男性こと黒川は、その長い人差し指を自身の口元に当てた。レンズの向こう側には、憂いのような諦めのような、混じったなにかが浮かんでいる。子ども扱いされたか、もしくは馬鹿にされたと思ったのだろう。短髪の青年は自身の語彙力をフルに活用して、口悪く文句を言い始めるが────


「面白い」


 ソファーへと腰掛ける彼が発言をした途端に、ぴたりと口を噤んだ。先ほどまでの威勢は影を潜め、今や子ウサギのように小さく怯えている。もしも黒川が止めなければ死んでいたのは自分だったと、青年は悟ってしまった。


「黒川」

「はい、主人様」

「あれの行動をどう考える」


 彼の瞳が、光子を正面から捉える。あれとは、光子のことを指しているようだった。黒川は僅かな時間で思案を済ませると、淡々と模範解答を述べた。


「えぇ、主人様。彼女の意志は強く固まっていたものと思われます」

「口先だけの愚行者は多くいたが。実行して見せたのは、あれが初めてだな」

「左様でございます。主人様」


 彼は口元を抑えると、目元を細めてクスクスと笑った。


「あの高飛車で傲慢な女が、最期に人助けとはな」


 光子が引き金を押し込む瞬間。美子は最後、文字通り最期の力を全て使って、鎖を自身へと引き寄せた。それは現実に置き換えると、極めて些細な動きに過ぎなかった。しかしそれは結果として、光子の命を救った。


 加えて、これはただの偶然であって美子が望んだわけではなかったが、シャンデリアを見事に撃ち落とした。天井に設置されている金色のオブジェクトに銃弾が幾度か掠り、弾道が変わったことによって生じたサプライズだった。


 多くの人間が認知出来なかったその一部始終を、彼は見逃さなかった。


「たとえ、偶然の産物であっても」


 彼は、誰に聞かせるわけでもなく小さく呟いた。深海のような暗い瞳に、小さな喜びが浮かび上がる。彼にとって、本日の茶番は大層愉快で満足に足る出来栄えであった。


 一方黒川は、自身が仕える主人の様子に複雑な想いを抱いていた。主人が喜びを感じることは好ましい。紛れもない黒川の本心だった。しかし同時に、それは自身への負担が増加することを暗に示していた。


「あれを、可愛がってやれ」

「承知いたしました」


 それだけを告げると、彼はおもむろに立ち上がった。ゆっくりと、それでいて軽やかに歩き始める。彼のために扉が開け放たれるが、刻まれる靴音は一度止まった。彼は見返り瞳を細めると、こう付け加えた。


「くれぐれも、殺すなよ?」

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