九 鬼
『『『快楽だ!』』』 『おれ『僕『自分は快楽を求めている』』』
『『正義こそ快楽だ』』
『復讐こそ快楽だ』
『常に正しき側に立つ俺こそ正義だ』
『『正しき裁きこそ正義だ』』
『正しさは弾圧される』
『正しさは僕が実証して見せる』
『正しさは最後に分かる』
『『『今』』』『おれ『僕『自分は快楽に満たされる』』』
ホウ・ターホゥは思った。
シン・シーファは思った。
〇×△◇▼◇◎は思った。
シン・シーファ高級刑吏官の死因は毒殺。
ホウ・ターホゥに使われた毒と同一のものと思われる。今回は毒だけで致死量に達する量が用いられていた。
同一犯かはまだ確定していない。
現場は帝都の一角にある出会い茶屋。
男女が秘密の邂逅に使う店である。
だからといって、それだけの用途にしか使われていないわけではない。
男性同士で秘密の邂逅に使ってもよいし、秘密にしたい密談だけに使ってもいい。
そんな店だ。
シーファがどのような用途でこの店にやってきたのかは分からない。
一つ言えるとすれば、ホウ・ターホゥ殺害現場の庵と限りなく似た状況でシーファは殺された。
店の従業員はシーファしか見ておらず、連れの姿は見ていない。
店が店だけにそう言った客も少ないないと言う。
シーファの死の報告を聞いたイーユーは即座に刑典庁を飛び出していった。その足でホウ家本宅に駆け込み、ホウ家五女ホウ・キュシンとの面会を要求した。
年頃の子女と二人きりで合わせるわけにはいかないと、ホウ家の人間の一人が見張りとして付いてきた。逆に言うと、ホウ家からの要求はそれだけしかなかった。
ホウ・キュシンはおびえ切っていた。イーユーがシーファの死を知らせたからだ。それでなくてもイーユーに対して口を閉ざしがちであった彼女は、まともに話せる様子ではなかった。
そこを強引にでも口を割らせようとするイーユー。
見かねたホウ家の人間がイーユーの肩に手を掛ける。
「ちょっとあんた。仮にもホウ家のおじょ……」
その瞬間、男の腕は関節を極められ、そのまま床に引き倒された。その時の衝撃で関節を外される。男は苦痛の叫びを、それと部屋の外へ救援の叫びをあげようと――する直前に首を踏みつけられる。
踏みつけたのはイーユーの足だ。その足の先にあるイーユーの眼差しを見た瞬間、男の喉は委縮して声が出せなくなった。
その目に宿る偏執的な光を目にして悟った。いや、悟らされた。邪魔をするなら、物理的に声を出せなくされる。
「仮に、とは何だ。仮に、とは。……さてお嬢様、躾のなってない無礼な使用人にはこの通り罰をくれてやりましたよ」
まるで使用人が全面的に悪いかのようなことをぬけぬけと言ってのける。
だが、それを否定できる人間はこの場にはいない。声も出せないキュシンと、床でうずくまって震えている使用人にそんな真似ができようはずもない。
「なあ、お嬢さん」
「はひぃ」
声色だけは優しいイーユーに、引き攣れた声のキュシン。
「シンの奴もあんたによくしてくれただろ」
「ひぇ、まだそんなに会ってな……」
「そんなシンの奴が殺されちまったんだ。許せないよな」
聞いちゃいない。
「仇をうたないと……なっ?」
「ひぃ」
「なっ? なっ? なっ!」
「は、はぃ~~」
彼女がシーファに話したこと、それらをより詳細に。脅迫者の風体などもさらに微に入り細を穿って聞き出した。
揮皇三五二年。
まだ人権などという概念が広まっていないこの時代、犯罪捜査にタブーはないのか。
そんなはずはない。
イーユーは上司のチャン刑吏司に呼び出された。
「ホウ家から苦情が入った」
「は! 申し訳ありません」
「昔に逆戻りか?」
「は! 申し訳ありません」
「…………こりゃ、駄目だな」
「は! 申し訳ありません」
「……諜報部からはシン高級刑吏官がどんな調査をしていて被害にあったか知らせるように言ってきている」
「は!」
「シン高級刑吏官の単独捜査の内容が『龍帥』に関わるものだった場合、捜査を禁じ諜報部に一任するようにとのことだ」
「は!」
「殺されたのはうちの人間だ」
「は!」
「あいつらはうちを……刑典庁を舐めた」
「は!!」
「シン・シーファ高級刑吏官の殺害の捜査はうちで行う。上層部も同じ意向だ」
「は!!」
「だからと言って、お前一人で行かせるわけにはいかん」
「は……」
「ウー高級刑吏官!」
「おっす!」
ウー・グンリャ高級刑吏官が自分の席から立ち上がりこちらに向かってくる。
「スー・イーユー高級刑吏官はウー・グンリャ高級刑吏官と組んで捜査に当たれ。これは命令だ」
「やりましょうねスー殿」
「ああ、そうだな」
イーユーは煮えたぎった脳みそに冷や水を掛けられた気分になった。
……こいつか。いや、こいつしか空いてる人員はいないのは分かってるけどさ……。
もちろん上司の狙い通りの結果だとイーユーには分かっていた。
「スー殿のやる気、感動したっす」
「ああ、そうだな」
「朋輩の仇は討たないといけないっすよね」
「ああ、そうだな」
自分もキュシンに対して同じようなことを言った身で、イーユーはおざなりに返した。
ウー・グンリャ高級刑吏官は熱意もあり、能力的にも問題はない捜査官である。情に厚く、犯罪被害者のために必死で犯人を捕まえようとする。
……なんだがな。
そして、見つけた犯人に、悲しき過去があった場合。情に厚いウーはこう言う。
「なんてかわいそうな犯人だ。見逃してあげましょう」
これで問題となっていないのは、口で言うだけで、その後の結果には何の影響ももたらせないから。それだけだ。
今回の場合、ホウ・ターホゥに弄ばれた女性が犯人だったら……。
言うだろうな、いつもの台詞を。
まだ、ホウ・ターホゥ殺害とシーファ殺害が同一犯と決まったわけじゃないが……。
その時のことは、その時のことだ。
イーユーは気持ちを切り替える。
動き出すイーユー。
そして、刑典庁刑吏尉部も動き出す。部署を挙げての大捜査にホウ・ターホゥの脅迫者はあっという間に見つかった。
そして、容赦のない尋問。
脅迫者は彼らの主から命令されて脅迫していた。
命令したのは――――
これは正式な捜査であって、公式な捜査ではない。
その人物を刑典庁に出頭させることはできず、こちらから出向いて聴取することになった。
担当するのはイーユーとウーの二人。
二人はホウ家に赴き、その人物と相対した。
「さて、何のことだか、一向に話が見えませんな」
ホウ家家令ファン・ヘイダンは全くの潔白を主張した。
「しかし、脅迫者たちはあなたに命令されたと言ってるんすよ」
「拷問から逃れたくて、でたらめを並べ立ているだけでは? 私が旦那様を脅迫していたなどと……それもそんな荒唐無稽な内容で……、意味が分かりませんな」
ヘイダンは静かに皮肉気な薄ら笑いを浮かべている。
「では家令殿はまったく覚えのないことだと言うんすね」
「ええ。……それにおかしな話ではありませんか」
ヘイダンの口角が上がる。
「刑典庁の方々がこの件を捜査しているというのは……。役所違いでは?」
何故、ヘイダンはそのことを知っているのか。驚くウー。だが、
「そうだな」
イーユーは静かに同意した。
「先だっても家で問題を起こしていらしゃった。これ以上問題を起こすのは避けるべきでは? 老婆心ながら申し上げておきますが……」
「そうかもな」
イーユーはまたしても肯定した。
「でもな、ヘイダンさんよ。組織ってのは上からそう命令されただけで、はいそうですかと納得して動くわけじゃないんですぜ」
刑典庁は身内に厚い。
それが上層部にとっては顔も名も知らぬ人間だったとしても、組織の一員というだけで組織を挙げてその報復に打って出るだろう。
しかも、今回殺されたのは、組織の長と同じ名を持つ人間だ。
「刑典庁は引かないよ」
上でどれだけもめても今回の捜査を押し通す。イーユーはそう主張しているのだ。
「身内びいきとは……あまり良いこととは思えませんが」
「まったくだ」
イーユーはまたしても同意した。
「身内が被害に会った時だけじゃなく、普段から同じ熱心さで捜査すべき。それが刑吏としての正しい在り様だよな」
「ホウ……」
ヘイダンはイーユーの目論見を図りかねている。イーユーを観察しようと、その表情に注目する。が!
「俺には無理だ」
「……」
イーユーの目に宿った光の強烈さに、ヘイダンの笑みが消える。
「俺には身内を殺した奴とそうでないやつを殺した奴、どっちも同じ熱意で捜査するなんてできない」
「それは、刑吏として適正を欠いているのでは。問題行動も多いようですし……転職をお勧めしますよ」
「あんたなあ……」
ヘイダンは冷たく宣告する。ウーは憤るも、イーユーは静かだ。
「ああ、そうかもな。……でもシーファの奴は違った」
静かに熱を込めて話す。
「あいつは法の下の平等を志していた。あいつならいつかは正しい在り方で捜査する刑吏になって、正しい在り方で捜査する組織に出来たかもしれない。……でもあいつは殺された。ならどうする。なら犯人には正しくない捜査ってものを存分に味わってもらうことになるなあ。それが報いってもんだろ」
「……そちらの理屈だけを主張されましてもね」
ヘイダンの返答は相変わらず冷たかったが、返答までにはわずかに間を消費した。
「では龍帥閣下にお頼み申し上げるしかないですかな」
「……………何の話ですか?」
ヘイダンの返しは、今まで最も間が空いていた。
「父の仇を討つためです。龍帥閣下も快く協力してくださることでしょう。妹のホウ・ツォラン様からも父の仇を討つために捜査に協力すると言質をもらっています」
「だから、何の話を……」
「高名なる龍帥閣下が父の敵を討つのに協力してくだらさらないなど、そんなことはあり得ないでしょうし。内部での争いで捜査が進まないなんてことであれば、一喝して撤廃してくださるでしょうし。父の敵を討つためであれば、捜査には全面的に協力せよと、布告してくださるでしょう。そんなのは当然のことですかな」
それはイーユーにとっても賭けだった。本当に龍帥がそうしてくれるか、イーユーには分からない。
だが、どうしても、どうしてでも、手段を選ばず、龍帥に声を届けて見せる。
その後、龍帥がどうするかはイーユーには分からない。だが、分かるはずだ。イーユーではなく、家令ファン・ヘイダンなら。龍帥がそれを聞いて、どのように行動するのか。どのように命じるのか、分かるはずだ。
「……旦那様は嘘をついておいでのようでした」
ヘイダンは長い沈黙の後、口を開いた。
「ですのでそれを暴こうと思いまして」
「はあ?」
イーユーの口からは困惑が形となって表れた。
「旦那様個人で済むことならともかく、家に問題が降りかかるようなら困ったことになります。この家のこととなれば、ワタクシめの業務となって参ります」
「どういうことだ?」
「慌てずとも、順に説明致しますよ」
ヘイダンはあくまでも慇懃な態度を崩さない。
旦那様は嘘を付かれている。いえ、嘘を抱えている。秘密を持っている。隠していることがある。そう言いかえるべきでしょうか。仕事上必要かと思いまして、それを探ろうと思ったわけです。
ならば、どうすべきか。
旦那様は隠し事がある時、それを言い当てられると、決して肯定せず否定いたします。それが外部から見てどれだけバレバレであっても。
逆に隠し事と的外れな指摘をされた時、それを肯定し、認めるのです。そうすれば、それ以上、隠したい本当の秘密を探られないと考えて。
――なので、あり得ない嘘で脅迫してみたのです。
事実でもない脅迫などには応じないでしょう。それがあり得ないことは旦那様がよ~くご存じの事ですから。何の隠し事もないのであれば。
ですが実際には、でたらめの脅迫に応じた。つまり、探られたくない本当の秘密に踏み込まれないよう、嘘の脅迫を受け、痛くもない程度の散財に応じた、と言う訳です。
信じがたいですか? まあ、そうでしょうね。
あの方は悲劇の主人公なのですよ。
本人の認識が、という話です。その立場を気取りたがる方なのです。
反目する家同士の間での恋の悲劇。悲劇を超えて結ばれたはずの妻から子供より優先されない悲劇。悲劇。悲劇。悲劇。
ああ、愛する我が子を戦場に送り出さないといけない「悲劇」なんてのもありましたね。
悲劇。悲劇だからしょうがない。私は悲劇の主人公。可哀そうな身の上だからしょうがない。そう自分に言い訳して悲劇の主人公に浸るのですよ。
強請る金額も、旦那の資産からするとスズメの涙ほど。ですが、自分の身を犠牲にして秘密を守っている自分。そんな状況があれば、自分から飛び込んで行ってその状況に浸る。そんな性分をお持ちなのです。そういうお方なのです。
その秘密が誰のための秘密なのか、そんなことは関係ないのです。自分に都合が悪いから秘密にしている。その秘密を守るために自分の身を削る。ああ、なんて悲劇。なんて可哀そうな私。そう考えるわけですな。
…………む? オホン。話が逸れましたかな。
ンっ、ンンン! さておき、旦那様は秘密を抱え込む。こちらの事情などお構いなし。こちらに話しておいて頂けなければ困ることも、そうでないことも秘密にして抱え込む方なのです。
なので、まずは本当に秘密があるのか確認。次いで秘密の内容を探る……という過程を踏むつもりでしたが……内容を探るより先に亡くなってしまわれました。
死んでしまわれたのなら、もう関係ないことですかね。
は? 何か? 主に対する態度とは思えないと?
臣下は主人に習うものです。主人たる旦那様に仕えること二十年以上。ワタクシめ主に習いこのような関係に至りました。これがワタクシめと旦那様の適切な主従関係というものです。旦那様当人ならともかく、部外者などにとやかく言われる筋合いはありませんな。
ふむ? それで? それでどうするとおっしゃられるので? ワタクシめの罪を問うとおっしゃる? 刑典庁がやる気になっているとはいえ、それはできないのでは? 脅迫した金ですか? それならホウ家の資金に戻して、また旦那様の元に戻しておりますな。だからと言って金を脅し取った事実は消えない? 嘘の内容での脅迫など通用するのですか? 脅迫ごっこでもして遊んでいたという主張の方が説得力がありませんかな? それでもですか? でしょうな。ですが、先ほども申した通り、刑典庁の管轄でその罪を問うことはできないのでは? ……できると言うのであれば、いつでも出頭しましょう。
最後に? ティーエンさ――閣下がファン家の血を継いでいないと言うのが本当に嘘かですと?
ないない。あり得ませんな。間違いなくティーエン閣下はファン家とホウ家の血を受け継いだ方ですよ。
「これで振り出しっすかね」
家令への聴取を終え、イーユーたちはホウ家を辞した。
ヘイダンの言う通りであれば、脅迫の件はターホゥの死にも、シーファの死にも関係ないと言うことになる。
「どうしますかね」
「ひとつ推測できることがある」
ウーの提議にイーユーは答える。
「関わりの薄い『旦那様』に対して、詳しすぎる」
最初にヘイダンはこう言っていた。「旦那様から自分の個人的なことに関わってくるなと言われたのでそうした。だから何ら思い当たることはない」と。
「家令も嘘をついている。それか、被害者と同類か。だから被害者の面倒ごと内面について分析できるほどに詳しくなったか、同族嫌悪でもしているのか。被害者に何も思うところはないって態度じゃないな」
「それは事件に対しては、ほとんど何も分かってないってことじゃないっすかねえ」
ウーはばっさりと切り捨てる。
「で、どうするんすか。いったん戻ります? 長女の嫁ぎ先に詳しく聞きに行った班も戻ってるかもしれませんし、あっちに期待します?」
「いや」
イーユーはまなじりを決して宣言した。
「龍帥の元に向かう」
「えっ? 何をしにっすか」
「一からだ。一から全部、すべての疑惑を晴らしていく。そのためには龍帥だろうが虎帥だろうが、どこにだって行ってやる」