六 ホウ家邸 五女~七女 そして八女
仲の悪かったホウ家とファン家の合併。
それは必ずしも勢力の均衡によってのみ行われたものではなかった。
ホウ家の後継者ターホゥ。ファン家の主筋の娘ティーラン。
その二人は悲劇的恋物語の主役のようにお互い愛し合っていた。
そこにほだされた面も無きにしも非ずと言った所、だったのだ。
その様子がおかしくなってきたのは、その二人の子、ティーエンが生まれてからだった。
母ティーランは息子の養育にかまい、夫の相手をしなくなる。
夫ターホゥは妻子にかまわず、内に外に女を作り、遊び歩いた。
一度子を産んだ女には見向きせず、次から次へと新しい女へと遊び歩く。
当時を知る人たちは例外なく眉をひそめた。
ある時期にそれが終わった。
それは妻ティーランの亡くなった時期。
新しい妻レンファを迎えた時期。
その間には妻の死に喪に服した二年がある。
終わった時期はいつなのだろうか。
それは誰が知ることなのだろうか。
事件に関係するのでなければ、被害者の私的な事情になどイーユーたちは踏み込まない。
逆に事件に関係するなら、人が踏み込まれたくない事情にも踏み込まなければならない。
因果な商売だと思いつつ、それでイーユーの捜査の手が止まることはない。
次に聴取するのは五女のホウ・キュシン。
元は四女だったが、二年前にドゥチェンが引き取られ四女となり、それ以来五女になった。
母は庶民の出。五女が七才の時にこの家を出ていき、それ以来音信はないと聞く。
彼女は口数が少なく、聞かれたことに最低限答えるだけで、聴取ははかどらなかった。
ツォランに対しても必要最低限度の礼を取るだけで、あまり関わろうとしないように見えた。
犯人の心当たりに関しても、
「さあ。何か後ろ暗いことでもしていたんじゃないですか」
とだけで、それ以上のことを喋ろうとはしなかった。
イーユーはしばしシーファに五女の相手を任せて、ツォランを呼び寄せて相談する。
何か彼女の口を軽くさせるようなネタはないかと。
「四女のドゥチェン嬢とは違い、彼女はあなたがこの家にいた時からの知り合いでしょう。何かないんですか」
「ん~、そうですわね。キュシンお姉さまもドゥチェンお姉さまと似たり寄ったりの扱いでしたし、この家をよく思っていないのは……あら?」
「ん?」
二人が密談しているうちに変化が起こっていた。
なんと、二人を余所に、五女とシーファが活発に会話を交わしているではないか。
「どういうことだ?」
五女たちの会話を聞き取ろうと近づきかけたイーユーだったが、
「あら。私たちが近づくと、また黙ってしまうかもしれませんわよ」
(それもそうか。後でシンから会話の内容を聞きだせばいいだけだしな)
ランの言葉に正当性を認めたイーユーは、そのまま若い二人にその場を任せることにした。
「……で? 結局どんな話をしたんだ」
五女の部屋から辞し、シーファから話を聞き出そうとするイーユー。
「は、どうもホウ嬢……だとややこしいですね。え~と、ホウ・キュシン嬢とは話が合うようでして」
どうやらイーユーから見ると歪に映るシーファの感性と、五女の感性が共鳴するところがあったようで、かなりのところまで情報を引き出していた。
「どうやら彼女は父親の後を付けたことがあるようでして。それも一度や二度ではないようです」
「ほう、それはまた、どうして? どんな動機でだ?」
「どうも父親の弱みを握ろうとしていたようです」
「ほう、弱みを握って……それからどうするつもりだったんだ」
「弱みを握って……、その後はどうするか考えてなかったみたいです」
「何だ、そりゃ」
「とにかく弱みさえ握れば、自分にとって得があると主張しておりまして……」
「有利を取って便宜を引き出せる、とかか? あまりこの家ではよく見られていないみたいだしな」
「その辺りまではまだ考えていないそうです。まずは弱みを握ってから、とのことで」
イーユーから見れば、まずその発想に行くのが疑問なのだが、まったくの他人にそんなことを言っても仕方ない。
彼が考えるべきは仕事のこと。
弱みを握る。それができれば、被害者を脅迫できる。脅迫関係などそうそう上手くいかない。
イーユーはそれを何度も見てきた。
大体は、揉め事になり、いずれ破局。果てに殺害。そんな事件もいくつも扱ってきた。
(というか、これまでのシンなら、そんな感じの疑惑を言い出してきそうなものなんだが……)
今回は疑惑を思いつかなかったのだろうか。
それともまさか、五女とは友好的になったので言い出さないなどというのではなかろうか。
(感情――いや私情かな。私情で疑惑を言い出したり言わなかったりってのは問題のある言動だが……)
何でも言えと言った手前、正面から苦言を呈すのもはばかられる。
それにそうと決まったわけでもない。
まだ、イーユーの偏見に満ちた疑惑にすぎない。
先輩として後輩を育てていくことに決めているイーユーだが、本題をないがしろにすべきではないと思いなおした。
今は捜査に集中して、いずれ機があれば五女の疑いについて意見を聞いてみることにした。
「それで、他に何か言っていなかったか」
「はあ……」
「なんだよ、歯切れが悪いな。言ってみろ」
「……それが、極秘で伝えたいことある、と申しておりまして。私に」
シーファはそう言って、イーユーとツォランを意味にありげに見る。
「ああ? 俺らがいない所でってか。なんだそれは?」
「どうもこの件だけは要領を得ないのですが、ともかく後で伝えたいネタがある。この場では話せないと言うばかりで」
「……若い男とよしみを作りたかっただけ、とは思わないのか。家庭環境的にそういった方法を考えてもおかしくないだろう」
「? いえ? そんな感じでは」
(分かってないな、こいつ。)
あまり良くもない、不安定な立場から抜け出したいから、父親をつけるなんて真似までしていたのだ。
そんな立場から抜け出すためには別の方法もある。長女がやったように。
「分かったよ。ともかく任せた。機会を見て一人で聞き出して来い」
下手に自供を強要したり、自分が関わると話がこじれそうだと判断したイーユーは、シーファに一任した。
「はい。任せてください」
素直にいい返事をする相棒に、イーユーは黙って頷く。
どちらにせよシーファから捜査機関に伝わるので、一人に話しても一緒ではないかと思ったが、イーユーは黙っていた。
ホウ家六女 ホウ・サイユー。
揮国を旅する旅芸人の女との間に生まれた娘で、母親は娘が生まれると同時に赤子をホウ家に預けて、別の街へ旅立って行った。
今はどこにいるかも分からない。
ホウ家七女 ホウ・ヌ―チェン
その母はいちおう貴族の令嬢のはしくれであった。実家に五十も年の離れた老人の元に嫁がされそうになったので、爺よりはましだろうと、貴族界で貞操が緩いと評判だったターホゥの元に押しかけて、狙い通り愛人となった。
六女と七女と七女の母。
その三人とまとめて聴取することとなった。
「だから、旦那様にはむしろ恩があると言ってもいいくらいなのです。どうして旦那様を殺したりなどしましょうか」
「いや、そうではなくて、何かご存じのことでもあればというだけで……」
七女の母ジュライは、ホウ家に押し込み愛人となって娘を生んだ後、同い年で母がいない六女の母替わりともなって育ててきた。
生みの母から音楽系の才能を引き継いでいるのではと思い、音楽を習わそうとすれば、六女は興味を持たず。自分の娘の七女の方が興味を持ち、その道に進みたがるようになってしまう。
七女ヌ―チェンは「私の弦が世界を変える」と言ってはばからず、既存の楽曲にない新しい曲を作り上げんと、日々不協和音をかき鳴らしている。
六女サイユーは自分の娘の七女の方に進めようとした学問の道に邁進している。将来はツォラン様の秘書になって妹のヌ―チェンを養ってみせると公言している。
そんなことをジュライから怒涛のように聞かされるイーユーたち。
聞きたいのはその話ではないと思いつつも、切れ間なく聞かされる話の渦に遮る隙を見いだせない。
「うちの秘書は条件厳しいよ~」
年が近いので仲も悪くないのか、ツォランは珍しく砕けた口調で六女七女と歓談しており、イーユーたちの助けにならない。
そもそも彼女に助けを求めるのがおかしいともいえる。
結局六女七女より、七女の母からしか話を聞けなかった。
もっとも、年齢的にも幼い彼女らから実りのある話を聞けることもないだろうと、イーユーは自分に言い訳をして聴取を終えた。
収穫と言えば、旦那の愛人の存在について七女の母ジュライからこんなことが聞けた。
「愛人関係での怨恨が原因? それはないでしょうね。旦那様は今の奥様と結婚して以来、女遊びは止めたようなのよ。決して、ツォラン様のお母上だからおもんばかってるわけじゃないのよ」
(たしか家令のヘイダンもそんなようなことを言っていた)
同じ内容の話を違う人物から聞く。その是非や如何に。
イーユーは脳内の情報の備蓄に要注意の便箋を付けた。
これで一通り、ホウ家の娘たちへの聴取は終わった。
「さて、次はどうするんですか、先輩。被害者の直下の使用人に話を聞きに行くんですか」
シーファはやる気はある。やる気はあるんだけどな、と思いつつイーユーは指示を出す。
「先にチャン刑吏司に報告してからだな。もう他の捜査員が聴取に行ってるかもしれない。それにしても……」
このお嬢様は何がしたかったのだろうか。
イーユーはしげしげとツォランを眺める。
父親を殺した犯人を捕まえる協力がしたい。
久しぶりに実家に帰って家族たちと顔を合わせたい。
本人の言によるとそんなことだったが、イーユーはそれを鵜呑みにはしていなかった。
あまり表立って出したりはしないが、彼は疑い深い性格なのだ。
イーユーは自分の得た情報を整理する。
被害者の長男 ロン・ホウ・ティーエン 自分に会った後に人に会う約束があった。その人物が怪しい。
被害者の妻 ホウ・レンファ まったく思い当たることがない。
ホウ家家令 ファン・ヘイダン 仕事関係で思い当たることはない。個人的な問題によるものだろう。
ホウ家長女 ホウ・イエコォン 及び
ホウ家長女ホウ・イエクォンの母 具体的な内容はないが、ホウ家にはいつ人が死んでもおかしくない空気があった。
ホウ家次女 ホウ・チーシャン 三女が父を殺したいほど憎んでいる。
ホウ家三女 ホウ・リーシャン 女関係の問題で殺害されたと主張。
ホウ家四女 ホウ・ドゥチェン 父との関係は経済援助のみの没交渉関係。故に父の殺人には自分は無関係。
ホウ家五女 ホウ・キュシン 父の後を付け、何かを発見した。シーファにのみ後で話す。
ホウ家六女 ホウ・サイユー
七女 ホウ・ヌ―チェン 目立った話は聞けず。
ホウ家七女ホウ・ヌ―チェンの母 ジュライ 今現在、被害者に愛人はいない。
――そして……
被害者の末子 ホウ・ツォラン
捜査に協力などという名目で付いてきたが、彼女は本当はどんな目的で付いてきたのか。
実際、彼女は聴取でほとんど目立った動きを見せず、本当に付いてきただけの様子だった。
イーユーはそろそろそこの所をはっきりさせようと、彼女に向けて一歩踏み出した。
その途端、イーユーの前に影が立ちふさがった。
ツォランの護衛だ。
断固として聞き出そうとするイーユーの意志を剣呑なものに感じたのか、護衛はランの前に立ちふさがりイーユーを冷たく見下ろす。
イーユーは今の今まで護衛の存在をすっかり忘れていたことに戦慄を覚えた。
よくよく思い返してみれば護衛たちは聴取の間もずっとツォランの傍にいた。
それなのに彼らの存在を今まで意識していなかった。
彼らは気配を消し、ツォランの影に徹していたのだ。
その凄腕と、相手がその気ならいつでもイーユーが気づく間もなく首を撥ねることができたという事実。
ずっとそんな状態にあったという事実に、今更ながら思い至ったイーユーの背に冷たい汗が流れる。
同時にこれではシーファのことをどうこう言えないなと、自嘲する。
「あら、どうしたのかしら。刑吏さん」
ツォランはそれに気づいているのかいないのか、変わらぬ様子で気楽に声を掛けてくる。
イーユーは一歩下がって、腕を広げ手のひらを広げて見せる。
「いや、失敬。少々気が早ってしまっていたようです」
護衛に対し害意のなさをアピールする。
護衛は見下ろしたまま、イーユーが長く息を吐いて吸うのを二,三回繰り返す間待って、正面から下がった。
途端に即座に気配が消えている。その場にいるのに注意しないと見失うほどに。
その様にまだ心臓の高鳴りが収まらないイーユーだったが、表面上は平静さを取り戻した態でツォランに尋ねる。
「……それで、んっ、ああ、……ええと、ホウ嬢はいかがでしたか? ……その、話を聞いてみて」
「安心したわ」
歯切れの悪いイーユーの言葉と対照的に、ランは端的に答えた。
何が安心したのか。
「家族の中に犯人はいない。話してみてそれが分かったの」
言い切ったランにその根拠を聞くイーユーだったが、ランは肉親だから分かると言うばかりで、一切の根拠を語らなかった。
そう言われれば無理に聞き出すわけにもいかない。
だが、イーユーには一つだけ分かったことがあった。
「安心した」
被害者の末子 ホウ・ツォラン 肉親に犯人がいるか探るために刑吏に同行。当人の中では家族間に犯人はいないと確信を得られた模様。