三 龍帥府前 50坪ぐらい
ここで、この国で今流行っている漫談を一つ。
ある日、リーの下へ友人のワンがやってきた。
ワン「やっちまった、やっちまったよ」
リー「落ち着けよ、兄弟。何をやっちまったって言うんだよ」
ワンの奴、小金欲しさに邸宅に押し入って、たまたまそこにいた家人をはずみで殺してしまったと言う。
リー「あ~あ。まあ、やっちまったもんは仕方ねえよ。それでこれからどうするんだい」
ワン「うん。こうなっちゃ仕方ない。自首しようかと思うんだ。そうすれば罪も軽くなるだろうし」
リー「いやいや! 待て兄弟! それはまずい」
リーはワンを止め、話し始める。
リー「実はな、俺の知り合いに強盗殺人して刑吏に自首した奴がいるんだがな……」
その強盗が自首して出た所、刑吏はその男をすぐに殺害した。そして、上には抵抗したのでやむなくと報告し、自分の手柄にして、なおかつ強盗が盗んだ金を自分のふところに入れてしまったという。
ワン「じゃ。じゃあ自首するのは止めておくよ。でも、それじゃあどうしようか……そうだ! 確かこの近くには寺があったはず。寺なら治外法権だし刑吏もあまり立ち入れないはず。そこに隠れよう。しかもあそこは尼寺だったはず」
好色な笑みを浮かべるワンだったが……
リー「いやいや! 待て兄弟! それはまずい」
またしてもリーはワンを止める。
リー「実はな、俺の知り合いにさっきとは違う強盗殺人をして尼寺に逃げ込んだ奴がいるんだが……」
ワン「また別の強盗殺人者の知り合いがいるのか」
その尼寺に逃げ込んだ強盗。光り物で尼を脅し、まずメシだ、と食事を持ってこさせる。その食事に入っていたしびれ薬で体の自由を奪われる。それからその寺の尼たちは、寄ってたかって、次から次へと、強盗を寺の共有財産にしてしまう。
その後、衰弱死した強盗を庭に埋めて隠そうとしている姿を、強盗を探しに来た刑吏に目撃され、尼たちはすべて逮捕された。
ワン「ひえ~、どっちにしろ死んじまうんじゃねえか。どうすりゃいいんだよ……あれ? じゃあ、あの寺は今は無人なんじゃ? よし! じゃあ俺はほとぼりが冷めるまであの寺に隠れていることにするよ。じゃあな、兄弟」
リー「おう! 達者で潜めよ!」
ワンが元尼寺に入っていくのを見届けたリーは、
「あ! 刑吏さん。実は怪しい奴があの寺に入っていくのを見たんですが」
通報の報奨金を手に入れたのだった。
イーユーはこの漫談が嫌いだった。
まさか容疑者でもない同僚を尋問することになろうとは。
無事に龍帥府より出られたイーユーたちだったが、結果よければすべて良しとは言えない。
実のところ、龍帥ロン・ホウ・ティーエンは、直接危害でも加えられない限りイーユーたちをどうこうするつもりはなかったのだが、神ならぬ身のイーユーたちにはそんなことは分からない。
龍帥府の門より出でてすぐ、イーユーはシーファを問い詰めた。
どういったつもりであんなことを言ったのか。
自分たちが処されることにでもなったら、どうするつもりだったのか。
イーユーは納得のいく答えが得られなければ、上司に職責に不適格だと申請して任務から外すように進言するつもりだった。
犯罪者たちを相手に磨いた、緩急の着いた尋問術でシーファを問い詰めるイーユー。
尋問中に通りがかる人間がいなかったこともイーユーに味方した。
プライドを折って、第三者がいては話さないだろうことまでさらけ出させられる結果になった。
シーファの龍帥に対する挑発的な言動は、「正義」のためだった。
なんだそりゃ、自己正当化か?
最初はそう思ったイーユーだったが、聞いていくうちに怒りは呆れに変わっていった。
若いな……。
イーユーは嘆息と共に、シーファの言動の意図を理解した。
シン・シーファは、この国の治安を司る家で育ち、治安を司る職に就いた。まだ若く、経験も少ない。
それを考えれば、もっと積極的に交流し相手のことを知り、必要な捜査のイロハを教え、シーファの言動を抑制できる関係性を気づいておくべきだった。
イーユーは顧みて、自分にも欠いていた点があったことを悟る。
同時に、そんな新人をこんな重要な調査で付けてくる上層部に対しての不満も生まれる。
龍帥の特権。大逆罪以外無罪。それ自体がシーファの正義に反していた。
そんな特別扱いは許されるべきではない。特権か龍帥・龍相か、どちらかは廃止すべきだ。
その抑えきれない信念が漏れ出して、あのような形をとったのであった。
シーファにとっての正義は利己的で独善的なものであった。
だが、悪ではない。
イーユーはそう判断した。
「だからといってなあ」
イーユーは困ったように嘆息し、どうしたものかと考える。
「龍帥閣下の特権が駄目なら、皇帝陛下だって大逆罪以外無罪じゃないのか。それはどう思っている」
「陛下はこの国に必要な存在です。ですが、龍帥はこの国にいなくても、別に問題なく回っていたじゃありませんか」
龍帥は三五〇年の国の歴史で三人しかいない。歴史の大部分は龍帥在籍者なしだ。
「陛下と違って、龍帥はいなくても国は成り立ちます。ならば、法と安寧の観点からはみ出した特異な存在である龍帥はいるべきではないです」
「これまではそうだったかもしれないが、今この国が置かれている状況は今までとは違う。国難の時期だ。必要ないとは決めつけられないだろう」
「必要なのはティーエン閣下の能力であって、龍帥の称号ではないでしょう」
龍帥を除けば、軍の最高位にあたるのは万虎将だ。それでもいいだろうとシーファは主張する。
「ティーエン閣下は若く、一将軍から一気に出世した身だ。龍帥という特別な身分がなければ軍部を十全に動かすことは難しいんじゃないか」
「……そうでしょうか」
こっちの方では納得しそうにないとイーユーは目星を付ける。
イーユーは軍部の詳しい勢力図など知らないので、説得力が弱い自覚もある。
よって目先を変えて話す。
「まず、だ。功罪相償うってのは知ってるよな」
「それはもちろん。罪と功績を相消滅させることでしょう」
「法典にも書いてあるし、実際にそうやって罪を帳消しにするのも行われている」
「はい」
龍帥は大逆罪以外無罪である。どれほどの罪を犯しても無罪。
だが、どれだけの罪を犯しても無罪、というわけではない。
矛盾しているようだが、実際に前例がある。
かつて、大きな罪を犯してしまった龍帥がいた。
その罪自体は特権で無罪となった。
だが、その龍帥は「こんな罪を犯してしまった自分にこの称は相応しくない」と、自ら龍帥の地位を返上した。
つまり、どれだけ罪を犯しても無罪ではなく、一度罪を無罪にするがその代わり特権と地位を引き換えにする。
功罪相打つ。
大逆罪以外無罪と言っても、その正体はこんなものだ。
小さな罪であれば相打たずに無罪になるだろうが、今回の場合、龍帥が犯人だとすれば、尊属である父殺しにあたる。
罪は無罪になるが、龍帥の地位は返上するという落としどころになることは十分にあり得る。
「それでも法からはみ出した特異物扱いなのか?」
「あ……、いや……でも」
正直、イーユーはシーファの、若く融通も利かず歪んでおり独りよがりで排他的で自己中心的で根っこに自分のエゴが見え隠れする正義が、嫌いではない。
揮国は現在乱れている。王都は退廃の都という名に相応しい風紀の乱れぶりと晒している。
治安も悪化し、犯罪の内容もより倫理を失った方向に向かっている。
そんな状況でやり玉に挙げられるのは、まず政治と宗教だった。
こんな小話もある。
天才的な能力を持つが、何故か役人になれない男がいた。
男は怒り叫んだ。
「こんな不条理がまかり通るのは神がきちんと仕事をしていないせいだ!」
その日の夜、その男の夢の中に、地獄の裁判官「獄吏王」が現れた。
「この世は神の手により完成された世界である。お前が役人になれないのは、この国が世界の道理に反する間違った国だからだ。故に正しき者であるお前は間違ったものであるこの国には仕えられないようになっているのだ」
男はそれは道理だ、と納得して満足した。
そんな話が流行るさまを見て、イーユーは良い気分ではなかった。
自分が体制側の人間だからそんな風に思うのか。
確かに政府も宗教も腐敗している。そんな面をイーユーも何度も見てきた。
だが、それだけではないはずだ。むしろ、そんな腐敗した面々よりまともな面々の方が多いはずだ。
でなければ、体制自体が成り立たず崩壊しているはずだ。
そんな多くの真面目に務めを果たしている人間をせせら笑うような話にはどうしても好感を抱けない。
そう、イーユーは思っている。
だからこそ、どんなものでも正義によって動こうとしているシーファに、イーユーは一定の理解を示す。
だが、それでシーファの行動が許されるわけではない。
「それにだ、自分の巻き添えで死ぬ人間が出たかもしれないことはどう思っている? それがお前の言う正義か?」
「う……」
イーユーの目論見は的中し、シーファは目に見えて弱った様子を見せた。
「正義のために必要な犠牲だ」などと言われなくて、イーユーは秘かに内心安心した。
それならこいつを切り捨てなくてもいいはずだ、と思う。
「ですけど……」
「先走りすぎなんだよ」
それでも完全には得心できないシーファにかぶせるように告げる。
「今度からは、誰かにお前の不満をぶつける前に、まず俺に言ってこい。それで俺の意見も聞いてから、改めて言うなら言うで、言わないでおくなら言わないでおくかどうかとか決めることにしようや」
「……………………」
「まだ組んでから間もないけど、俺たちは相棒なんだからな。それぐらいの話はしていてもいいだろう」
「……先輩」
話のまとまりかけたその時、龍帥府の門が大きな音を立て開き始めた。
その奥から現れたのは馬車。
それも馬鹿でかい大きさの馬車だった。
無骨で堅牢な造り。その巨大さは並みの邸宅を凌駕するほど。十頭以上の馬に引かせ、前後には騎馬兵たちが警護についている。
こんな巨大な馬車の使用を許されているのは皇帝か龍帥・龍相の両者しかない。
かつてこの東方の地を統一した皇帝は、巨大な馬車を有していた。
そして、その馬車のサイズに合うように街道の規格を定めたとされる。
それから一九〇〇年あまりが経っているが、その規格は今も健在である。
現皇帝の使っている馬車の規格も当時、その皇帝の馬車と同じ大きさとされている。
イーユーも警護に駆り出された、皇帝の巡遊などでその馬車を見たことがある。
今見ているのは、それより一回り小さい程度の大きさである。
皇帝専用でなく、龍帥専用の馬車であろう。
が、こんな間近で見たことはないので、その巨大さに圧倒されていた。
このサイズの馬車が普段使いされているという事実。その非現実性に固まって馬車を見つめるしかできないでいた。
それはシーファも同様のようだった。
そんな二人の前に馬車の中から声がかかった。
「あら、まだいらしたの、刑吏さん」
声の主は龍帥の妹、ホウ・ツォランであった。
馬車の扉――とは思えない大きさの扉を開け、ランは二人を誘う。
「これから母を見舞いに実家に参るところですの。目的地は同じでしょう、一緒に参りません?」
確かに二人は次に現場である彼女の実家へと向かうことになっていた。
そこで他の捜査員と合流する予定になっている。
彼らの予定がなぜ彼女に知られているのか。単なるあてずっぽうか……それとも。
「どういうおつもりでしょうか」
「いろいろとお話したいこともありますし、それに父の仇を取ってくれる刑吏さんに協力するのは娘として当然のことでしょう?」
ツォランは先ほどと同様、本音を見せない形だけの微笑みを見せる。
「どうします、先輩? 僕は行ってもいいんじゃないかと思いますが」
シーファがイーユーに囁きかける。
シーファがやらかしたせいで忘れていたが、イーユーたちは彼女からも話を聞きべくだったのであった。
これも仕事の一つだ、と割り切り、イーユーは令嬢の誘いに乗ることにした。
二人して巨大な乗り込む。
馬鹿げたサイズに見合った、これまた馬鹿げたサイズの乗り口に、馬鹿げたサイズの階段で登る。
馬車の内部も外見にたがわぬ広さで、馬車の中に部屋が三つもあった。
しかも、一室が先ほどの龍帥府でツォランたちと面会した部屋より広い。
ツォランはその部屋の、床に据え付けた長椅子の上に半ば寝そべるような姿で、侍女たちに面倒を見させていた。
他にも護衛と思しき兵士たちの姿が見える。
自分たちに敵意むき出しであった龍帥府の警備兵とは違い、この護衛たちからは敵意や殺気といったものがまるで感じ取れない。
イーユーにはそれがかえって恐ろしい。
彼らが敵意や殺意を見せるのは、標的を確実に始末する時だけ。
そんな強者たちだと思わせる。
龍帥府内より外出時のほうが危険性は上がるので、護衛もより優秀な人間が当てるのは道理である。だが、それだけかとも思える。
イーユーはティーエンの妹への過保護なまでの愛情を垣間見たように思えた。
年齢も一回り以上離れているし、兄妹というより父娘のような関係なのかもしれない。
同時に、実の父親の死に対しての反応も気にかかる。
「あ……」
シーファが何か気づいたという風に固まる。
シーファはイーユーの耳に囁きかける。
「これって龍帥専用の馬車ですよね」
「たぶん、そうだろうな」
他にこんな馬鹿でかい大きさの馬車があるとは思えない。
「これ龍帥本人が使用する時以外は使っちゃいけない規則になってましたよね」
後輩がきちんと学習しているようで、イーユーは感慨深い。
だが、同時にこいつ教本に書かれた部分しか理解していない頭でっかっちだと確信を深める。
「いいんだよ。龍帥が同乗していなくても龍帥の使いで使用する場合も許さることになってるんだよ。そうじゃないと整備に出すだけで龍帥本人の同乗が必要になるだろ」
たとえ咎められたとて、龍帥が使いに出したと主張すれば、攻めるべき理由も消える。
龍帥が妹を罪に落としたいのでもない限り、違反になることはないだろう。
「どうかされまして」
男二人で秘密に話していたので疑われたか、ツォランの問いにシーファは慌てて答える。
「いえ、すごい馬車だと話しておりまして、すごいですね。……本当にすごいです」
うまく言葉を紡げない。
「……え~と、これだけ大きいと値段も張るでしょうね~」
なんとか絞り出したが、下賤な会話。これだからシン家の者は。そう言われてもおかしくはなかった。特に貴族というものの間では。
しかし、揮国でも有数の貴族の令嬢であるツォランは、
「いいえ。中古ですの。先の龍帥がお造りになられた品を手直しして使っているだけですのよ」
「ほほう、骨董品でありますな。……ん?」
先の龍帥と言えば、百年以上前の人間である。
そのころに作られた馬車ということは……
「先輩。馬車の耐用年数規格って何年ぐらいと定められていましたっけ。ひょっとしてこの馬車、違反なんじゃ……」
イーユーがシーファを説得して本題に入れるようになるまで、しばしの時間を必要とした。
馬車の中の部屋には卓子まで置かれており、二人は椅子に着席し卓に置かれた茶をいただく。
馬車の振動でこぼれないように留めが設置されていたが、馬車が出発してもほとんど振動を感じさせなかった。
「さて、捜査にご協力いただけるということですが、さっそくお聞きしたいことがあります。構いませんか?」
イーユーがさっそく始める。
聞きたいこととは当然、被害者のことだ。
「あの家には長らく帰っていないの。父ともこの数年は行事で会うくらいで……。最後に会ったのは半年ほど前になりますわ」
要は、最近の被害者の様子は分からないということらしい。
「でも、刑吏さんのお役には立てると思うの」
ランは無邪気にほほ笑む。その微笑には邪気だけでなく、喜怒哀楽すら欠けているように見えた。
「あの家のこととで、ぜひお聞かせしたいことがありますの」
「ぜひ、お聞かせ願いたい」
龍帥はともかく、ホウ家の令嬢であるホウ・ツォランが、実家ではなく龍帥府に住んでいることも気になっていた。
ホウ家の事情については、事前に調べられた分の情報は詰め込んできたが、資料だけでは知れない情報を仕入れられるのは歓迎だ。
だが……、
(分かってるとは思うが、鵜呑みにはするなよ)
イーユーはシーファにだけ聞こえるように囁き、シーファもツォランに知られないように了解した。
そして、二人は聞く。
ティーエンとツォランと他家に嫁いだ長女を除き、全員母親の違う六人の姉妹が住んでいる現在のホウ家の内情を。