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二  龍帥府  殺人者 英雄



 昨日、ホウ家前当主ホウ・ターホゥは自邸で死体となって発見された。

 

 龍帥ロン・ホウ・ティーエンはその実家ではなく、龍帥府にて寝食している。

 その日実家に赴いたのは、父ホウ・ターホゥとの約束があったからである。

 

 二人はホウ家の敷地内にある本宅とは独立した庵に籠り、半時もせぬうちにティーエン一人がそこから出てきて、そのまま屋敷を辞した。

 使用人たちは被害者からしばらく部屋に近づくなと言い含められていたので、ティーエンが帰った後も庵には近寄らなかった。

 だが、あまりに主人の音沙汰がないのを不審がった使用人が庵を覗いてみたところ、全身をめった刺しにされて血の海に沈んでいるターホゥが発見された。


 血の海に伏せる被害者の手の中には、一つの勲章が固く握りしめられていた。

 それは龍帥ロン・ホウ・ティーエンが授けられた数多い勲章のうちの一つであった。

 生前のホウ・ターホゥに最後に会ったと思しき人物も、龍帥ロン・ホウ・ティーエンであった。


 大逆罪以外は無罪の特権を持つ、龍帥ロン・ホウ・ティーエンであった。



 死因は出血死。

 凶器はその庵の壁に飾られていた曲刀。


 代々武門の家柄であるホウ家は、たしなみとして、観賞用の品であろうと武具の手入れは欠かさず、いつでも使用に耐える状態が保たれていた。

 その武器により全身をめった刺しにされていた。


 死体からは毒物の反応もあった。

 庵にあるはずの茶器も持ち去られていた。


 被害者と対面した犯人は茶の中に毒を入れ、抵抗する力を失った被害者を、その場にあった凶器で刺殺した。


 そう推定された。



 毒物の用意があったが、凶器はその場にあったもの。

 計画的犯行か突発的犯行か。まだそれすら判断がつかない。




 揮国最大級の大物が関わってくる事件だけに、ことは高級刑吏尉部だけでは収まらない。

 揮国最高級の大物が関わる事柄だけに、解決には拙速が求められる。


 結果、上層部の方針が定まらぬうちに、まず現場は動けとの指令が下った。


 そのぐだついた事情の結果、イーユーは初顔合わせの新人と組んで、龍帥の聴取を行わなければならぬ羽目に陥ったのだ。




 「人を遠ざけてたって、怪しくないですか」

 「遠ざけていたのは被害者だぞ」

 「そこですよ。被害者は自分の息子のなのに自分よりはるかに偉くなった閣下に劣等感を刺激されていた。五年の間に煮詰まった劣等感は、殺意に形を変え、ついに爆発した。そして、返り討ちにされた。計画的な犯行に及ぼうとしたところ、突発的に返り討ちにされた。これが結論、というのはどうです?」

 「それなら正当防衛だな」


 どうもシーファは龍帥を犯人にしたがっている。

 初めてコンビを組むイーユーにはシーファがどういう人物なのかまるで分っていない。

 何か龍帥ティーエンに含むところでもあるのか。



 警護兵からは突き刺さるような視線が感じられる。


 それも仕方がない。

 イーユーたちは龍帥府の主にして、救国の英雄、「龍帥」ロン・ホウ・ティーエンを、殺人事件の容疑者として取り調べるためにやってきたのだ。

 主に心酔しきっている警護兵が不快に思うのも無理はない。


 「見ましたか、あの目。これは龍帥が指示すれば黒でも白と言い張りますよ。いくらでも犯罪を隠蔽できますな、これは」

 そして、シーファはまたそんな言動を繰り返す。

 さすがに護衛兵たちには聞こえないように囁いているが、シーファの目が口ほどにものを言っている。

 警護兵たちの目には殺意さえ漏れ出している。



 「いいか、シン捜査官。相手は国家に大功のある人物だ。明確な根拠のない誹謗は慎むべきだ。それに情報が不足していて、現段階では予断にしかならない。意見があるなら、時分が整った正式な会議上でにしろ」


 イーユーは繰り返し言って聞かせた。

 イーユーは平民で、シーファは貴族。

 地位は共に同じ高級刑吏官。

 イーユーが先任であるため、原則として指示はイーユーが出す。


 とはいっても、これまでイーユーと組んだ貴族捜査官たちの中に、平民のイーユーの指示に素直に従ってくれた人物は数少なかった。

 だが、シーファは、


 「そうか……それは正論でありますね。は! 失礼しました。不適当な言動は慎みます」


 以外に、イーユーの言葉に従う姿勢を見せた。


 ひょっとしてこいつ、何でもかんでも噛みつくわけではなく、龍帥個人に対して含むところがあるのか。

 イーユーはそう推測した。


 嫉妬か?


 イーユーにしてみれば龍帥は雲の上の人。自分と比較しようなどという気には到底ならない。 

 シーファは国家有数の家系の若き貴族という点では同列。だが、実際には龍帥とシーファではその身分に天と地ほどの差がある。

 それにシン家は建国以来の名家ではあるが、代々貴族間の監査という役目を担ってきた。それ故、他の貴族豪族からは忌み嫌われている。

 さらにシン家はお家に課せられたお役目第一なところがあり、血統よりも能力を重んじる。

 能力目当てで平民から優秀な子供を養子にして取り立てることも多い。それも他の貴族から反感を買うことになる点だ。


 同じ貴族と言っても、文句のない家柄から絶大な功績を立てて成り上がった龍帥と、貴族界のつまはじきもので嫌われ仕事についているシーファではあまりに対照的だ。

 屈折した感情を抱いても仕方がないのかもしれない。


 だが、捜査にそれを持ち込むとすれば仕方がないで済まされない。

 イーユーはシーファの言動に注視しておくようにした。


 イーユーがそう決めた時、上役が面会室から出てきた。


 刑吏官であるイーユーたちだけで「龍帥」に面会などできない。

 それなりの地位の上役の同席が必要とされた。


 上役と言ってもイーユーの直接の上司ではない。面識もない、かなり上の立場の人間だ。

 イーユーの記憶によれば、刑典庁でも上から3,4番目ぐらいの地位の人間だったはずだ。


 その上役は龍帥に対し挨拶を行い、逃げるように退室していった。


 確かに上役がいた所で捜査の役には立たない。だからいなくてもぜんぜん構わないのだが、上役の態度は明らかに逃げだった。


 龍帥から「帰ってよし」の言質を取ることに成功したので、後は何があっても、龍帥の機嫌を損ねても残ったイーユーたちの責任という態だった。


 それで責任から逃げられるのか、イーユーにははなはだ疑問だったが。

 いや、そもそもイーユーには龍帥を怒らせて問題をおこすつもりなどさらさらないのだが。


 ……ないのだが。




 そして、彼らは今、龍帥府の一室にて龍帥本人と対面していた。


 本来であればこうはいかない。

 面会は謁見の間。輪郭ほどしか見えない離れた距離までしか近寄れない。周りには何十人もの儀仗兵に囲まれている。さらに話をするのに、仲介役を介して伝言ゲームのように会話を行わなければならない。

 それが正式な作法となる。

 それほど地位に差がある。


 だが……


 「そんな面倒くさいことをしていられるか」


 この龍帥府の最高権力者。「龍帥」ロン・ホウ・ティーエンの鶴の一声によって、作法はすべて却下され、同じ部屋の中で対面して聴取することになった。


 無論、龍帥とイーユーたち間には、一足飛びには届かないほどの距離は開いていいるし、腕に覚えのありそうな護衛が、両者の間にも、周りにも直立不動で控えている。


 もちろん武器などは入室前に預けているイーユーたちだが、少しでも怪しいそぶりを見せた時点で、警備兵たちは容赦なく剣を抜くだろう。


 龍帥がイーユーたちに無礼があったゆえの処置と主張すれば通るだろうし、それでなくとも大逆罪以外無罪である龍帥が咎めを受けることはない。


 イーユーは隣のシーファをよ~く注意しておくことにした。



 イーユーはそう念じ、目の前にいる龍帥ロン・ホウ・ティーエンを正視した。

 帝都の若き令嬢たちから氷の美貌とも評される若き龍帥は、その主面になんの感情も浮かべてはいなかった。


 父の死による悲しみも――疑いを掛けられている憤懣も――何も見えず、ただ、無の感情だけがそこにあった。

 そして、龍帥の隣には一人の少女がいた。


 「この子にも関係する話だ。立ち会わせる」


 ティーエンの言葉に確認はなかった。決定事項である。

 当然、イーユーたちに拒否する権利はない。


 龍帥の隣に座している年若い少女は、龍帥ロン・ホウ・ティーエンの妹にして、被害者の娘でもあるホウ・ツォランである。


 この少女も兄と同じく、氷を思わせる美貌を有していた。

 だが、同じ氷でも、兄ティーエンが永久氷壁であるなら、妹は氷細工でできた華。

 そんな違いがあった。


 少女にもまた、父の死を悲しむ感情は見受けられなかった。

 かといって、兄のように無感情という風ではない。なんとも読み取れない、相手に感情を読み取らせない、貴族的な微笑を浮かべている。


 少女もまた兄と同じく、実家ではなくこの龍帥府に住んでいるという。



 「しばし前に父から私の勲章を自宅にも飾りたいと相談を受けた。あの日はそれで適当な勲章を見繕って持って行き、父に渡した。無論、その時点では父は無事だった。

 ……ああ、その時に持ち込んだ鞄はその勲章を保管していたものだ」


 イーユーたちはティーエンから事件当日の出来事を聞いていた。


 「その時、父君の様子で何か気になった所でもありましたでしょうか」

 聞き手はイーユーだ。シーファには任せるのは心配だし、先任捜査官であるイーユーが先導するのが自然だ。


 「……そうだな。そもそも父が私の勲章を欲しがったこと自体に唐突さを感じたな。これまで、そんなそぶりを見せることはなかったからな。その時は単なる気まぐれかと思い、気に留めないでいたが、こうなってみると引っ掛かりを感じるな」


 「誰かが閣下の御父上に、閣下の勲章を自宅に飾るべきと教授した人物がいる……と? その人物が怪しいと?」

 「それを調べるのは貴官らの仕事だろう。なにしろ、父は最初はただの勲章ではなく龍帥章を実家に飾れないかと聞いてきたのだからな。もちろん、それは断ったが、父もそれは無理だろうと分かっている様子だった。

 『自分でも無理だと思うが、頼まれたので一応聞いてみる』

 そのような口ぶりに感じられたな」


 龍帥に贈られる「龍帥章」は朝廷に出仕する時に龍帥自身が身につけておくもので、貸与するなどもってのほかである。

 明確に禁止されているわけではないが、朝廷に務めているものなら常識と判断するだろう。

 龍帥本人は当然のことながら、貴族の名家の当主であった被害者も知らぬはずはない。


 それを知らない人間が、被害者をそそのかし龍帥章を持ってこさせようとした上で被害者を殺害した。龍帥に罪を擦り付ける目的で。


 それが龍帥の意見、ということか。

 ――ない線でもないか。


 イーユーはその程度に留めておくことにして、気を取り直してその他細々とした質問を行う。

 ティーエンは特に不快感を見せず、丁寧かつ簡潔に対応した。


 任務であることを理解し、真摯に対応してくれている。

 イーユーはそう感じ、ほっとしていた。


 イーユーから聴取する事柄は終わり、シーファに変わった。


 イーユーの不安を余所に、シーファは大過なく聴取を進めていた。

 貴族間での暗黙の風習慣習を前提とした中での疑問質問。

 イーユーも役職的にある程度は知っている部分だが、生まれながらにその常識に浸っている相手とは差が出る。

 イーユーにはできない部分をこなしていく。


 貴族宅における本宅から離れた庵の位置。

 その位置にある庵は敷地外からの直通口を持っていることが多い。その有無や、被害者との面会時のその直通口の施錠の状況などを尋ねている。



 シーファが問題なく仕事をこなすので、イーユーは油断してしまった。

 龍帥から聞いた話を脳内でまとめ、質問事項に抜かりはなかったかと確認する作業に気を取られてしまった。


 そのため気づくのが遅れた。


 いつの間にそんな話の流れになっていたのか。

 イーユーが気づいた時には、すでにシーファがその発言を放った後だった。



 「いやしかし、まことに申し訳ありません。閣下。閣下ともあろうお方に、こんなにお手数をおかけするとは、まことに慙愧に耐えません。こんな……()()()()()()()()()()()()のことで」


 警護兵たちが気色だつ。

 対照に、父の死を「ぐらい」扱いされたティーエンは特に目立った反応を見せない。

 妹のツォランの方はむしろ、かえって興味を持った様子を見せている。


 イーユーもまた困惑の中にあった。

 どういう話の状況でそうなったの理解できず、止めるタイミングを見つけられないでいる。


 それをよそに、シーファはさら言を紡ぐ。


 「いや~、なにしろ閣下のいらっしゃった戦場では何十万という人に死が訪れたはず。そのうち何割かは閣下の手で引き起こした死であったでしょう。

 そんな閣下にしてみれば、いちいち、たった一人の死でお手間をおかけするなど、まことに不本意なこととお思いでしょう。一人殺せば殺人犯。百人殺せば英雄などと言いまして、いったい何が違うかとおっしゃりたいかもしれませんが、一人殺せば罪人ですので、どうかご寛恕ください。

 いや、それにしても殺人犯と英雄と、どこに違いがあるのでしょうな」


 こいつは何をしたいんだ。


 イーユーは訝しむ。


 確かに怒らせたり挑発したりして、失言を引き出すという捜査の手法はある。

 いや、それ以前のこととして、そんな話で龍帥を怒らせでもしたら、ただでは済まない。

 聴取の合間に一つ雑談をしただけ。議論でも吹っ掛けている態で、龍帥個人のことを話しているわけではない。

 まさかその名分で通せると思っているのだろうか。

 相手は気分を害したという理由で、こちらの首を飛ばせるという事実を忘れていないだろうな。


 警護兵たちが龍帥の顔を伺う。指示さえあればすぐに不心得者に誅罰をという意思を込めた目線だった。

 イーユーも慌てて龍帥の顔を伺う。

 そこに浮かんでいた感情は、


 「国益だ」


 変わらぬ「無」だった。


 「国民が一人死ねばその分国力が落ちる。労働力・軍事力・経済力、一人分の力が失われる。人の死は国益に反する。だから国は殺人者を罪人とし、罰を与える。

 敵国に侵略されれば、自国も自国民も害される。それは国益が損なわれることを意味する。敵兵を殺すことでそれを防げるなら、それは国益にかなった行為だ。だから国は敵兵殺しを英雄と賞する。

 国のその判断に同意するなら、国民も同じように評する。それだけのことだな」


 こんな答えが返ってくるとは思っていなかったか、シーファは二の句を継げないでいる。


 「……で? この話に何の意味があったのだ? 父を殺された敵兵の遺族が復讐のために私の父の命を狙ったとでも言うのか?」


 龍帥はあくまでも無感情にシーファに質問する。


 「い、いえ……それはまだ……そういったことでは……」


 シーファはすっかり顔色をなくし下を向いていた。


 妹姫のツォランは、その様子を愉快そうに眺めていた。








 五体無事で龍帥府より出てきたスー・イーユー高級刑吏官とシン・シーファ高級刑吏官。

 二人は同時に龍帥府の門から出る。

 イーユーは大きく深呼吸を二、三回行った。

 そして、歩き出す。

 シーファも力なくその後を付いてくる。


 同じ歩調で二人は歩み、門より少し離れた所まで来た所で、



 イーユーはシーファの胸倉を掴み上げた。



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