十三 真犯人を犯人として捕まえる
「死んだかと思ったかと? ああ、そうじゃな。あの時は本当に死んだかと思ったわ」
ファン家の老将、ファン・ウィーゼンはしみじと過去を振り返る。
「五年前の戦役、ティーエン様の副将として出征したあの戦で、自陣に切り込んできた敵将の刃にかかって、儂は死を覚悟した」
深手を負って倒れながらウィーゼンは見た。
「侮っておったのじゃ。恐れ多くもその瞬間まで、あの御方のことを」
ティーエンは即座に反応し、敵将を斬り、ウィーゼンの怪我の具合を確認し、自軍を掌握し、退く敵兵に追い打ちをかけた。
「ほんの一瞬じゃった……ように思う。傷が深く、意識がところどころ飛んでおったのかもしれん」
老将の意識がはっきりした時にはすでにティーエンは潰走していたはずの他部隊までまとめ上げ、商会連合軍に痛撃を入れていた。
「いや、それからもまるで夢の中にいるような気分じゃった」
連戦に次ぐ連戦、勝利に次ぐ勝利。そして、凱旋。
「我が家の希望だと思っていたティーエン様は、そんなものではない。我が国の希望じゃったのじゃ。それがどれほど誇らしかったか、分かるか。小僧」
小僧と呼ばれた若者はゆっくりとうなずきを見せた。その内心を隠して、老将に訪問の本来の目的を問う。
「ああ? そうか、そんな疑いになっておるんじゃったな。くだらん」
ウィーゼンは吐き捨てる。
「ティーエン様がターホゥを殺すなど……相手にしようはずもない。逆ならともかく、ありえんな」
逆ならある。つまり、ターホゥがティーエンを殺害しようとして返り討ちに。父ターホゥは嫉妬により、息子ティーエンを殺害しようとして返り討ちにあった。
かつて彼はそんな推理をしたことがあった。
「それは……ティーエン様の腕なら、そうなるであろうが…………おい、調子にのるなよ、シン家の刑吏。お前のじいさんとは飲み友達じゃが、お前さんに舐めた口を聞かせておく気はないぞ」
若者は平謝りするが、今度はその内心を隠しきれていなかった。
「まったく、そうやって口だけ達者な奴ほど、戦場で碌な働きをせん。あやつもそうじゃった。あのシェン・カーシュイとかの。ん? なんじゃ? ああ、そうじゃ。それがなんじゃ? ああ、記録に残っておるし、調べれば分かるじゃろう」
若者は辞去の挨拶もそこそこに、老将の元から走り去る。
その若者――シン・シーファの死亡する三日前の出来事であった。
犯人――ホウ・ターホゥ殺害及びシン・シーファ高級刑吏官殺害の犯人――シァ・クオンは、取り調べに対し驚くほど素直に自白した。
シァ・クオンはイーユーとシーファが聴取した、被害者ホウ・ターホゥから援助を受けていた女の一人だ。元貴族で、五年前の戦役で家が没落し、若い身空で零落の身となった。
ターホゥが見返りを求めず援助だけしていたのは最初だけのこと。
援助していたのが女だけだったのは、やはりそういう目的であった。全員に対して要求していたのではなく、カモフラージュのために援助だけされていた女性もいた。
クオンも割り切ってターホゥの要求に答えていた。ターホゥの正体が分かるまでは。
ターホゥはクオンたちには身分を隠していたが、ある時実家にまで連れ込んで事を致した。
ホウ家にある例の庵だ。
ターホゥにしてみれば、充分馴染んだので正体を明かしてもよいと踏んだのだろうか。それは本人にしか分からない。
それにより彼女はターホゥの正体を知った。
シァ・クオン・彼女の元の名はシェン・クォウェン。
五年前の遠征軍の総司令だったシェン・カーシュイの娘である。シェン・カーシュイは戦闘中に逃亡し、その途中で逆上した兵士により殺害された。
その兵士は今となっては誰とも分からない。戦場の混乱の最中確認できようはずもない。その兵士が生き延びられたかどうかすら怪しい。
だが、その罪は恩赦となった。
捜査すらされないことになった。
捜査しても無駄だっとこも事実だろうが、捜査すらされない。殺されて当然と判定された。この状況下で、せっかくの戦勝にケチをつけたくないという思惑もあった。
殺人は無罪となった。
一方、シェン家である。
シェン家にはしっかりと罪が下された。
総司令官という重責にありながら敵前逃亡。ティーエンがいなければ全軍壊滅。揮国滅亡の憂き目にあっていた。
はっきりとシェン・カーシュイの罪であることから、彼だけに罪を帰するべきでないことまで。
公式の裁きは、お家断絶。家財没収。
一族連座まではされなかった。
通例に比べて、温情のある裁きである。
戦勝に対してケチを付けたくないという機微が、ここにも働いた結果かもしれない。
シェン・カーシュイを殺した奴の罪を減じる。
シェン・カーシュイの罪も減じる。
シェン・カーシュイの家族にも恩赦が下った。
しかし、世間はそうは見ない。
危うく、国を滅亡させ自分たちを地獄に叩き込むところだった輩に、不当なる温情が掛けられた。
シェン・クォウェンを取り巻く人々からの反応はそれだった。
「シェン・クォウェン」は「シァ・クオン」と名を変え、下町に姿を潜めた。
父は殺され、その罪は問われない。家は没落。母は環境の変化に耐えられず、じきに亡くなる。生きていくために泥をすすった。
だが、周囲からの扱いは「温情を掛けられている」である。
その自分を金で買っていたのは、あの戦いで龍帥になった相手の父。
その事実を知った瞬間、彼女の脳内で混沌がスパークした。
これがホウ・ターホゥ殺害事件の動機であった。
「……えっ? 勲章? ……ああ! そうですよ。あの龍帥に罪を押し付けらればいいなと思って、勲章をあの男に持ってこさせたのです。……今思えば、考えが甘かったのでしょう」
シン・シーファ高級刑吏官の件。
シーファがどうやって彼女を犯人と見抜いたのか。
シーファが婚活パーティで知り合ったマー・リーイン。彼こそがシァ・クオンことシェン・クォウェンの元婚約者であった。
リーインから元婚約者のことを聞いていたシーファは、彼女に会った時から何か気に掛かっていた。そして、ファン・ウィーゼン元将軍より総司令官の名を聞いた時に、それは繋がった。
「まさか、あのクソに邪魔をされるとはね」
クオンは供述中にこう感想を漏らした。
シェン・カーシュイの線から調べて行ったシーファは、ついにその娘がクオンであることを突き止めた。
ただ、別に殺人の証拠を見つけたわけではない。
だが、シーファは彼女が犯人であると確信し(事実そうだったが)、説得した。自首するようにと。
これはすべてシーファの勝手な独断で、証拠もない決めつけにすぎない。しかし、クオンにしてみればそうは思えない。
追い詰められた彼女はシーファにすべてをぶちまけ、問うた。
何故、自分が。自分だけがこんな目にあうのか。
シーファは答えた。
国益のためであると。
「何が国益だ! 馬鹿馬鹿しい!」
クオンは叫ぶ。
その発言はただの受け売りであった。龍帥の聴取の時にシーファが聞いた言葉。
シーファは単に聞いたばかりの言葉を、自分も使ってみたかっただけだった。
だが、それはクオンの逆鱗に触れた。
ターホゥに使った時の比でない量の毒を混入した茶を出した。
シーファは警戒する様子もなく、その茶を飲んだ。
即死であった。
クオンはもはやに死罪など恐れていない。傲然として、供述を続けた。
「……そんなわけで、これでお父上の事件は解決を見ました」
イーユーは三度龍帥府にいた。
龍帥ティーエンと妹ツォランに事件の顛末を説明するためにだ。
例の部屋にて報告を聞く二人は、平易な様子のまま、感情を見せなかった。
感情的になっていたのは一人。
「うう、悲しき過去っす。可哀そうっす。なんとかならないっすかね」
イーユーと一緒に来たウー高級刑吏官である。
この時点で遺族の前で不適切な態度であり、身分差を考えると、イーユーは厄介なことになる前にウーを止めるべきであった。
だが、事件が解決してイーユーも気が抜けていたのだろう。
またいつもの病気が始まったと悠長に構えていた。
実際はイーユーの想定の十倍は重症だった。
「そうだ! 閣下は罪に問われないんすから。閣下が罪をかぶって犯人だったってことしてもらえませんか」
正気を疑うウーの提案。
イーユーもツォランも護衛兵たちも、何を言われたのか理解できずに硬直している。
「構わないぞ」
「兄さま!?」
ただ、ティーエンのみが平易を保ったままだった。
「ホントっすか。さすが閣下っす」
「ああ。どうせそうはならないだろうからな」
では持ち帰るっす、とのんきに退出しようとするウーを強引に引っ張って、イーユーはその場から逃げ出した。
ウーは本当に持ち帰って「龍帥が犯人になると言った」と上司に報告した。
言うまでもないが、逮捕は不可である。
そろそろあいつも処罰される頃合いかな。しょうがないな。
イーユーは次に組まされる相手は誰になるか考え始めた。
結局、真犯人を犯人として処罰することになった。
それにしても、龍帥はあの時どういうつもりだったのだろうか。
刑典庁の廊下にて。
ウーの暴論に「構わない」と告げた龍帥の意図を考えるイーユー。
こちらの失言を冗句で有耶無耶にしてくれようとしたのだろうか。
考えるイーユー。その脳裏にある光景が浮かんできた。
ティーエンと犯人は入れ替わりで被害者を尋ねた。
すれ違う二人。
勲章を忘れたと引き返すティーエン。
クオンはターホゥに毒を飲ませたが、躊躇いがあり致命には至らない。その場から逃げ出したクオン。
鉢合わせる二人。
衝撃と混乱で、ティーエンにすべてをぶちまけるクオン。
そして……
「手伝え」
「構わないぞ」
苦しむターホゥの元に戻る二人。
部屋に飾ってある刀を取り……
いや、ないない。
なんだこの妄想。
イーユーは頭に浮かんできた謎の光景を否定する。
龍帥と犯人。二人がすれ違いを起こした。それはありえなくはない。
犯人が溜まっていた憤懣をぶちまける。それも遭遇したのなら、やりかねない。
ここまでは可能性がある。
「手伝え」
なんだそれ。
どこからそんな言葉がでてくるのか。
急に話が無茶苦茶になった。
どうしてこんな妄想が頭に浮かんだのか。
ここしばらく、ずっと推理のことばかり考えていたから、脳内の歯車が妙な感じに絡まっちゃってるんだな。
それでこんな訳の分からない妄想が頭に浮かんでくるんだ。
イーユーはそう結論付けて、頭を休ませるためにも休暇を申請しようと第参局へと戻って行った。
「手伝え」を断るティーエンの姿は、どうしてか想像できなかった。




