一 龍帥府前 二人の捜査員
―――には以下の特権が与えられる。
ひとつ 元勲礼讃碑にその名が刻まれ、王朝の続く限り、その功績が残される。
ひとつ 死後、遺体は皇帝廟の左右に埋葬される。
ひとつ 「王」に次ぐ身分の者のみが使える一人称の使用が許される。
ひとつ 性に特別な称を付けることが許される。
ひとつ その家系が続く限り、年奉が子々孫々にわたって支給される。
ひとつ ―――――
ひとつ ―――――
ひとつ ―――――
ひとつ 大逆罪を除くいかなる罪を犯しても罰せられることはない。
広大な大陸の東の果て。
その地を三〇〇年の長きに渡り支配してきた揮帝国。
揮皇三五二年。
スー・イーユーは目の前の高い――高すぎる龍帥府の城壁を前に、溜息を漏らしていた。
塀ではなく城壁。
『龍帥』 それは揮国における武官の最高位にあたる。
その龍帥が詰める龍帥府は、帝都の中心地、皇帝の住まう浄征城の右隣りにある。
そんな一等地に呆れるほどの広さの敷地を有し、帝城にも負けないほどに高い城壁を建てることも特別に許されている。
龍帥と対になる龍相は現在空位なので、龍帥は現状、この国において皇帝に次ぐ第二位の地位にあるといえる。
そんな人物にこれから……
そう思うだけでイーユーは胃が痛くなってきた。
イーユーは揮国の役人。刑典庁に勤める高級刑吏官である。
帝都の治安を守り、犯罪者を捕まえることを生業としている。
高級といっても別に本人が偉いわけではない。
高級な身分に属する人物――貴族などが関わっている犯罪を専門に捜査する、捜査官ということである。
スー・イーユーは平民である。先祖代々立派な平民である。
取り立てて特筆することのない、それでいて生活が安定しているという商家に生まれた。
それは、この国において上位に属する生活水準である。
この国では字を学べ、学を修めるというだけで、ただ生活するのとはわけが違うだけの金がかかる。
役人になれているという時点で国民の一割以下の上位層にあたる。
だが、これから会う「龍帥」とは格が違う。
そんな格が違う相手を、これから殺人事件の容疑者として聴取しなければいけないという事態に、イーユーは胃がいくつあっても足りない気分になっていた。
「ふ~ん。実に立派な塀ですなあ。これでは中で何が起こっても、外からでは感知できませんな。……中で何が仕出かされようとも、どんな犯罪行為が起ころうとも、いくらでも隠蔽可能ですねえ」
揶揄を含んだ発言の主はイーユーと組んでいる、もう一人の高級刑吏官シン・シーファである。
高級刑吏官は、基本、二人一組で捜査を行うのが慣例となっている。
叩き上げの捜査官が一人。
高級なる身分の貴族出身の捜査官が一人。
叩き上げが経験を活かし、貴族が捜査対象との間の緩衝材となる。
そういった目論見で定められた捜査方法だ。
制度が理想通りに運用されているかは、また別の話だが……。
スー・イーユーは役人となり、刑典庁に努め、地道に捜査員として経験を積んできた。
そうこうしているうちに周囲からは「おっさん」と呼ばわりされることもある年代になったが、イーユーは「おっさん」呼びを否定しない。
「おっさん」と呼ばれて否定するのは中年だけである。よって否定しない自分は中年ではない。
青い若さから渋みを帯びた深みに変化してる過程である。
そう自己評価している、冴えない中年である。
シン・シーファはイーユーと対比するかのように、若い。まだ新人に近い刑吏官だ。
代々、揮国の警務を司っているシン家の家柄で、現在の刑典庁の頭もシン家の者である。
顔立ちもイーユーと対比するかのようにエリート然としており、なかなか整っている。が、世の中を斜めに見るようなひねた目つきをしているせいで、受ける印象は良くない。
「声が大きい」
シーファを咎めるイーユー。しかし、シーファはそれを意に介さない。
「いや~、でもこれはやってますよ。クロですよ、クロ」
「父親だぞ」
「だからですよ。動機だってあるじゃないですか」
イーユーたちが捜査するのは殺人事件。
被害者の名はホウ・ターホゥ。
龍帥、「ロン」ホウ・ティーエンの血の繋がった父である。
「龍帥……閣下が、どうしてその地位に付けたのか、スー刑吏官もご存じでしょう」
当たり前だ。それはこの国の人間であれば、誰もが知っている。
―――――――――五年前
文化が爛熟し、退廃していた揮国は、危機意識に欠け、備えを怠っていた。
結果、南の海から押し寄せる侵略に対し、不意を突かれ、瞬く間に国の南半分を占拠されるという失態を晒した。
揮国朝廷は、慌て討伐軍が派遣する。
揮国の興亡この一戦にあり。
そして、討伐軍は一戦し、玉砕した。
司令官は真っ先に逃げ出し、憤った自軍の兵士に殺害される醜態を見せた。
これにて揮国三〇〇年の歴史に幕を閉じるかと思われたが、そこから奇跡が起こった。
一介の将にすぎなかった若武者が、自らが率いる一軍にて敵の進行を止め、崩れ潰走する狂騒状態の味方を立て直し再編するという離れ業を見せ、ついには侵略者を撃退することに成功したのだ。
若き皇帝はその将に「龍帥」の称号を与えるという最高の礼で報いた。
文官の最高位である「龍相」と、武官の最高位である「龍帥」。
建国王の両輪とされる二人が就いていたその役職は、その二人の死後、基本空席とされ、めったに任命されることはなかった。
ロン・ホウ・ティーエンは揮国三百五十年の歴史の中で、三人目の「龍帥」となる。
「そう! 龍帥!」
シーファは我が意を得たりと声を張り上げる。
「まだ若くあらせられる皇帝陛下が、どうやって老臣たちの反対を押し切って『龍帥』の称号を授けられたか。そのぐらいとてつもない功績だったから。であり、……そのぐらいとてつもない功績を挙げないと生きて帰れないほどの戦場だったからですよね」
「……ああ、……それはな」
イーユーも当時、徴兵され従軍していた。
通常は治安維持のために刑吏は、徴兵が免除される。そんな刑吏でさえ徴兵される事態だったのだ。
「高貴な身分たるロン・ホウ・ティーエン龍帥閣下――当時はホウ家当主ホウ・ティーエン殿が、そんな絶望的戦場に駆り出されたのは何故ですか?」
「……武門の名家『ホウ家』の当主だからな、参加しない訳にはいかないだろう」
イーユーにもシーファが何を言いたいのか分かってきた。
「そうですよね。龍帥になるほどの活躍を見せなければ生き残れなかった戦場。当主だからそこに行かなければならなかった。…………ところでホウ家の前当主が、まだそんな年でもないのに引退して、息子に当主の座を引き継いだ日を知ってます?」
「…………」
「なんと、出陣の三日前ですよ。……厳密には朝廷に届け出て、受理されるまでの時間があるので、もうちょっと前に決めたことでしょうけど」
「だが、五年も前の話だ」
「急に龍帥になんてなってしまったんですよ。忙しくて目の回る日々が続いたことでしょう。でも五年も経てば余裕もできて……昔のこと思い返したりなんかしちゃったり。
さらに、今の自分は殺人を犯しても罪には問われない立場である。
こうなってくると、つい魔が指す――ことがないと言えますかね?」
「……お前、まさか龍帥閣下の前でそんな自説をぶちまける気じゃないだろうな」
「……まさか。ちゃんと、わきまえてますよ」
本当だろうか、とイーユーは疑惑の目でシーファを睨む。
シーファは目をそらし、イーユーの目を見ない。
『本当』に分かっているのだろうか。
相手はイーユーたち二人の首を切っても、「無礼をされたので斬った」で通ってしまうほどの身分差の相手だ。
本当に分かっているのか、こいつ。
今回シーファと組むのは初めてで、イーユーにはまだシーファの人格が掴めていない。
とんでもないことをやらかして自分が巻き添えにされるのでは、という危惧を込めて相棒を見つめるが、当人はそんなことどこ吹く風で、
「そもそも犯人だったとして罪には問えないんでしょう。それ、捜査する意味あるんですか?」
そんなことをのたまっていた。
まだ、犯人とは確定していないし、だから捜査をする意味はあるし。現在は参考人として話を聞きに来た立場だし。
イーユーは頭を抱えながら苦り切る。
――それに仮に犯人だったとしても意味はある。捜査の意味はあるのだ。
だが、そんなことをこんこんと言い聞かせている時間はない。
龍帥との面会の時間は迫っている。
「いいか、シン刑吏官。今回の職務に関係ない言動は慎むように」
「ハッ、スー刑吏官。承知しました」
いい返事ほどに、いい納得は得られなかったイーユーだが、それ以上言うことはなかった。
イーユーが先任ではあるが、二人の官職は同格の「刑吏官」である。
指図をしても相手にそれを受け入れる義務はない。
イーユーは新しく組んだ相棒の言動を危惧しながら城壁の向こうの龍帥府を仰ぎ見る。
そして、向かう。
この龍帥府の主。
被害者の嫡男。
殺人事件の容疑者。
大逆罪外は無罪の―――『龍帥』に会うために。
20話までには終わる予定です
予定通りにいく保証はないデース