162 始まり
その日は唐突にやってきた。
「おい、見ろ!」
「太陽が……!」
「なにが、なにが起こっている!?」
王都の道行く人々は、皆一様に空を見上げていた。
そして、まだ昼間だというのに急に辺りが暗くなる。太陽が、まるで端から腐食するように光を失っていく。
皆既日食だ。
「なんだよ!? 本当になんなんだよ!?」
「ああ、女神様……」
「と、とにかく教会に!」
そして人々は、なにもかもを放り出して、救いを求めて最寄りの教会へと向かうのだった。
◇
「驚きましたね……」
冒険者パーティ『誓いの黒剣』のリーダー、ベンヤミンが恐れを含んだ声で呟く。
「半信半疑でしたが、まさか本当にこのようなことが起こるとは……」
彼の恐れは皆既日食へか、それともこれを予言していたディートフリートへか。
「リーダー……」
「どうする?」
「こうなれば是非もありません。我々は『ゴーレムバレー』に向かいます。彼の言葉の重要度が増しました。ぜひとも我々で聖剣を手に入れなければ……!」
「了解」
こうして『誓いの黒剣』は動き出す。すべてはディートフリートの予言に従って。
◇
「団長! 空が!」
「なんということだ……」
「きたか……!」
『シュヴァルツヴァルト騎士団』団長、バルトロメウスは低く呟いた。彼はこの皆既日食を予言してみせた少年に対する畏敬の念を強くする。
「女神様も酷なことを強いる……」
バルトロメウスの呟きに目を伏せる騎士団の面々。彼らは王国が邪神復活に対して用意した精鋭を集めた特殊部隊だ。彼らにとって、たとえドラゴンスレイヤーであろうと守るべき子どもであることに変わりはない。
子どもを戦場に送るのは忸怩たる思いがあった。
自分たちは、そんな事態を防ぐために、子どもたちを守るために、ひいては王国を守るために騎士になったのではなかったか……。
「いくぞ。敵は邪神四天王」
「「「「「はっ!」」」」」
彼らは行く。王国を守るために。子どもたちが笑って暮らせる未来を目指して。
◇
「ハルトくん! あれ!」
「おーおー。マジかよ。マジでディーの言ったとおりになったな」
皆既日食に怯える人々をよそに、リーンハルトは少し嬉しそうに言ってみせた。
「まさか、本当に……」
「辺境伯様はどうなってるんだ……」
「な? 言ったろ? ディーはすごいんだ!」
ディートフリートに畏怖の感情を抱く仲間に笑みを浮かべてみせるリーンハルト。
しかし、その笑みは次の瞬間には挑戦的な笑みに変わる。
「だが、邪神を倒すのは俺たちだ! 行くぜ!」
「あ! ハルトくん!?」
「まったく、言い出したら聞かないんだから……」
「まぁまぁ、みんなも行きましょう。遅れますよ?」
リーンハルトたち、『霹靂』も王都を出る。若輩ながら、たしかな自信をみなぎらせて。
◇
「きちゃったかぁ……」
オレは騒がしくなる屋敷の執務室で喰われていく太陽を見ていた。前世では見物客が出るほどのレアな天体ショーだが、この国の人たちにとっては異常事態のようだった。
「お兄さま! お日様が!」
「ん。暗い」
「リア、リリー」
コルネリアとリリーの二人が、転がり込むように執務室に入ってきた。
「始まるのね……?」
「ああ、出かける準備をしてきてくれ」
「はい!」
「ん」
執務室を出ていくコルネリアとリリーを苦笑で見送ると、クラウスが心配そうな顔で口を開く。
「旦那様……」
「心配するな、クラウス。それよりも、屋敷のことは頼んだぞ」
「かしこまりました……。あの、バウムガルテン領は大丈夫でしょうか?」
「大丈夫だ。そう信じるしかない」
「はい……」
バウムガルテン領のことはオレも心配だ。しかし、バウムガルテン領を救うためにも、早く邪神を倒さなければ!
「じゃあ、行ってくる」
「お気をつけて」
◇
「始まりましたのね……」
カサンドラは要塞と化したバウムガルテン屋敷の執務室で黒く浸食されていく太陽を見上げていた。
「奥様、続々と領民が集まっております。頃合いかと」
「ありがとう、爺。行ってきますわ」
カサンドラはバルコニーに出ると、中庭に集まった領民を見下ろした。
領民の顔は不安そうだ。その顔は下を向き、どよどよと力のないざわめきが支配している。
「ディー、わたくしに力を……」
カサンドラは一度左手の指輪にキスをすると、領民たちに語りかけ始めた。
「皆さん、こんにちは。カサンドラ・バウムガルテンでございます」
「坊ちゃんの奥さんだ!」
「奥様……」
「わたくしたちは今、最も重要な決断をしなければなりません。夫のディートフリートが語っていたように、ついにこの時が来ました。わたくしたちは立ち上がり、戦わなければなりません」
民衆は静かにカサンドラを見上げていた。
「わたくしたちの敵は、わたくしたちの未来を奪おうとしています。私たちには選択肢はありません。わたくしたちは戦います」
これは普通の戦争ではない。敵は邪神の眷族であるモンスターだ。
捕虜などという概念はない。死ぬか生きるかである。
「わたくしたちの心には勇気があり、わたくしたちの魂には決意があります。わたくしたちは自分たちのバウムガルテン領を守るために戦います。わたくしたちの仲間のために、わたくしたちの家族のために、そして将来の世代のために」
民衆の顔つきが少しずつ変わっていく。
「わたくしたちは協力し、団結し、勝利を勝ち取ります。わたくしたちは決して一人ではありません。お隣を見ください。わたくしたちの愛する領の民衆がわたくしたちと共に立ち上がり、戦います」
集まった民衆は左右を見渡す。そこには怯えた顔はもう無かった。
「今こそ、勇敢に立ち上がり、わたくしたちの自由を守るために戦う時です。わたくしたちは決して屈服せず、決して挫けません。わたくしたちは勝利するまで戦い続けます。自由のために、正義のために、そしてわたくしたちの未来のために!」
「「「「「おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」」」
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